第四百三十二話 逃げられないように

「私は、出来る限り全ての民を救いたい。それは私が公爵令嬢だからとか、貴族の矜持を誇りに思っているからとかではなく、一人のこの世界に生きる人間としてそれを願っています。その為には、私一人の力ではどうにも出来ない問題が山積みです。私は全ての領地に赴き、全ての人と話した訳ではありません。ですが、あなた達にはそれが出来る。私の代わりに、自分の領地の領民達と話をし、悩みを聞く事が出来る。今回の事で沢山の方々から自分達の財産を使って領地に還元したいというお話がありました。私はそれに大賛成です。飢饉が来れば、必ず色んな店や人々に甚大な被害が出て来ます。恐らく、食料品店や飲食店などは死活問題でしょう。そうなった時、是非あなた達には彼らの救済をお願いしたいのです。もちろん、自分達の生活は確保してください。ですが、普段の贅沢は少しだけ控えて、その分を彼らに回してやってほしいのです。そうする事で、きっと彼らの中にもあなた達の中にも確かな絆が出来る事でしょう。そしてそれはいつか、必ずあなた達の元に倍になって還ってきます。どうか、今よりも少しだけ幸せな世界になるように、ご協力をお願いいたします。今日はお忙しい中お集まりいただいて、本当にありがとうございました。あなた達の良識を、私は心から信じています」


 キャロラインは、ゆっくりと頭を下げた。


 けれど、中々頭を上げる事は出来なかった。大分度胸は据わったと思っていたが、やはり怖い。


 今まではこちらに好意が向いている人達ばかりを相手にしていたから怖くは無かったが、今回は違う。今の王政に大して不満のある人たちも沢山居る。そう思うと体が小さく震えだした。


 その時、後ろからアリスがキャロラインのドレスを軽く引っ張って来た。ふと視線を後ろに移すと、アリスは目に涙を浮かべながらニカっと笑って親指を立てている。


 そんなアリスを見た途端、キャロラインの肩から力が抜けた。柔らかく微笑んだキャロラインを見て、テラスの下からパチパチと拍手が聞こえてくる。


 驚いたキャロラインがテラスの下を覗き込むと、そこには先頭を陣取っていたマリオがこちらに向かって大きな拍手を送ってくれている。


 頬を伝う涙を拭う事もせずに拍手を送って来るマリオにキャロラインが思わず笑うと、拍手の波が伝達したかのように次第に大きくなり始めた。


 大地を揺らすのではないかと思う程の拍手に驚いたのは、何もキャロラインだけではない。


 そんな光景を下で警備しながら見ていた仲間たちも驚いていたし、城の中からキャロラインの声明を聞いていたルイスやルカ、それぞれの両親たちも驚いていた。


 どれほど言ってもまとまらなかった貴族たちが、今はほぼ全員が晴れやかな顔をしてキャロラインに拍手を送っている。あちこちから聖女だ、本物だ、という声が聞こえてくる。


 そんな光景を城の中から見ていたヘンリーがポツリと言った。


「ああ、オリビア……君にも見せたかったな……」


 オリビアはもうじき赤ん坊が生まれるというのに、今日ここへ向かおうとして皆に止められた。もしも万が一何かが起こらないとは言い切れないからだ。


 けれど、この光景はオリビアにこそ見せてやりたかった。


 キャロラインを支え、ヘンリーにキャロラインに従わないのなら離婚するとまで言ってのけたのは、オリビアにはきっと、キャロラインがこうなる未来が見えていたのだろう。


 ヘンリーは涙を浮かべながら一生懸命さっきから写真を撮っていた。そんなヘンリーにルカが眩しそうに目を細めて言う。


「自慢の娘だな」

「ああ、本当に……ルカの所も、自慢の息子だろ? 娘をずっと支えてくれてたんだから」

「もちろんだ。将来が楽しみだ」

「本当にな。俺達もあの子達に負けてられない。ルカ、国庫を開くぞ」

「ああ。すぐに議会を通す。まぁ、この様子ではそんなもの開かなくても良さそうだが」


 そう言って窓の外の貴族達の晴れやかな顔を見ながら、ルカは満足げに頷いた。

 


「……これでひと段落、かな?」


 警備をしていたノアが壁にもたれて言うと、様子を見に来たカインが頷いた。


「だな。これでキャロラインは本物の聖女だって認識が植え付けられたはずだ。あとはさっさと国庫を開いてフォルスとグランに恩を売るだけだな」

「だね。そっちは決まり次第、ダニエルが動いてくれるって」

「ありがたいな。ギルドの連中に声を掛けてあちこちに今日の情報をばらまいてもらおう。キャロラインだけの言葉だけじゃ弱い。今はアリスちゃんの魔法が掛かってるけど、アリスちゃんの魔法はその……長持ちしないだろ?」

「そうなんだよ。だからトーマスさんに増幅をかけてもらったんだけど、それでも一週間ぐらいじゃないかな。だからそれまでに僕達は先に領民達にこの話をしよう。領主達はもう逃げられない状態にしておかないと」

「そうだな。じゃ、俺は早速妖精王に頼むわ。妖精達の情報網を使えば、あっという間に知れ渡るだろ」

「うん、お願い。僕はギルド参加者に声掛けるよ。ついでにフォルスにも伝えてもらおう」


 そう言ってノアとカインは急いでそれぞれメッセージを打ちだした。写真も添えつけて、至る所に居る商会と、妖精王に今日城であった出来事とキャロラインの声明を簡単にまとめて送りつける。


 こうしておけば噂は一週間もあればあっという間に広がるだろう。


 秘密裏に行われたノアとカインの策略が功を奏し、領主達が意気揚々と領地に戻ると、既にほとんどの領民が今日あった出来事を知っていた。


 どこも食料に危機感を持っていた為、余計にこの噂はあっという間に広がりあちこちで不思議な事が起こった。


 領主が何も言わないのに、領民達がそれぞれに貯蓄していた食料や資産を持ち寄って使ってくれと言い出したのだ。領民の食料や資産など、寄せ集めても雀の涙ほどだ。それでも、彼らはそんな行動を取った。


 普段はそんな事をされても迷惑だ! と突っぱねる領主達も、今はまだアリスのお花畑な魔法がかかっている状態だ。そこに来てこんな事を領民達にされては、横暴な領主達も流石に突っぱねる事が出来なかったという。


 

 そして年末。いよいよ恐れていた事が起こった。とうとうそれぞれの領地で蓄えていた食料が底をつきだしたのだ。


 学園は長期休暇に入った所だったので、それをルイスから聞いたのはそれぞれの領地に居る時だった。それを聞いてすぐさま仲間たちは秘密基地に集まり情報を交換する。


「父さんは国庫を開いた。セレアルも協力してくれているが、酷いのは僻地だな。ここに真っ先に食料を配らなくては」

「うちもね、あれからギルドのメンバー全員集めて会議して、落ち着くまで食料品の価格は全て半額にするって取り決めをしたんだけど、その補填、どうしたらいい?」

「もちろんうちが補填するよ。その為のギルドの会費だし、ちゃんと売上表忘れずに提出するように皆にも言っておいて」

「うん、ありがと」


 リアンはそれを聞いてその場ですぐさまメッセージをギルド仲間に送った。すると、あちこちからすぐさま返信が返ってくる。それを見てホクホクするリアンにノアが苦笑いを浮かべる。


「もし僕が補填しないって言ったらどうするつもりだったの?」

「え? あんたは絶対するよ。ていうか、せざるをえなくなるよ。だって、あんたがもし断ったら僕はアリスに言うつもりだったからね」

「……なるほど」


 どうやらリアンはそこまで考えてさっさと取り決めをしたようだ。ちゃっかりしているリアンである。


 アリスに頼まれたらノアは断れない。そこまで計算して先に取り決めをしたのだろう。

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