第三百九十九話 それぞれの夜1

「……はぁ」


 ルイスはバセット家で与えられた部屋に戻り、テラスの椅子に座って大きなため息を落とした。そこにすぐさまトーマスがお茶を持ってやってくる。


「お疲れですね、ルイス様」

「まぁなぁ……戦争か……嫌だな」

「……そうですね。しかも大陸とですからね……こちらの軍だけで足りるのかどうか……」

「それもだが、何だろうな。無益だなと思うよな。どうして皆、他所の土地をむやみに欲しがるんだ? 自分の治めている所の人間が全て幸せでないなら尚更不思議だ」

「戦争をすれば莫大な資金が動きます。それが目当てで戦争を起こす所も多いのでしょうね」


 静かにそんな事を言うトーマスに、ルイスは頷いて出された紅茶を飲んでキャシーのバターサンドを齧る。


「金など、有り余るほど持って何か良い事あるか?」

「どうでしょうか。私には理解出来ませんが、贅沢をしたいのではないですか? そういう人達は」

「……贅沢なぁ。俺はこうやってトーマスや仲間たちとお茶を飲みながら夜空の星を眺めて今日あった事を思い出しながら笑い合う。そんな事こそが最高の贅沢だと思うんだがな……」


 夜風を浴びながら言ったルイスに、トーマスは嬉しそうに微笑んでルイスの正面に腰かけると、やっぱり同じように空を眺めている。


「私もそう思いますよ、ルイス様。何の憂いも無く明日を迎えるのが、一番の贅沢だと」

「ああ」


 二人はキャシーのバターサンドに舌鼓をうち、庭から聞こえる妖精とアリスの頓珍漢な歌を聞きながら、満天の星空をいつまでも見上げていた。

 


「ね、ねぇミア? あと一つ……あと一つぐらい食べても大丈夫だと思う?」

「……お嬢様、先ほどもそう仰ってましたが……」

「……そうよね。でもね! 美味しいのよ! 明日動く! 必ず動くから!」


 まるで子供のようなキャロラインにミアは笑みを零して頷くと、キャロラインの前に腰かけてキャシーのバターサンドを一つ持った。


「では、一つだけ一緒に食べましょう。これで罪悪感は半分こです」

「ミ……ミア……あなたという子は……ありがとう!」


 キャロラインはミアからお許しがでたのでバターサンドを一つ摘まんでチビチビと食べた。本来なら公爵令嬢がこんな食べ方をするなど許されない。卑しい食べ方だと叱られるだろう。


 けれど、ここにはそんな事を言う人は誰も居ない。だからだろうか。バセット領に来ると何故かキャロラインまで本来の我慢していた自分をさらけ出してしまうのは。


「はぁぁ……アリスがあれほど褒めるキャシーの良さが分かるわね。このバターサンド、少しも癖が無くて驚くほどまろやかだもの。父様にも母様にも食べさせてあげたいわ」


 きっとお腹の赤ちゃんも喜ぶのではないだろうか。そう付け加えたキャロラインに、ミアは笑顔で頷いた。


「お嬢様は本当にご家族思いですね。マリカのギフトの時も思いましたが、やっぱりお嬢様は聖女なんだなって。私は、そんなお嬢様に仕えているのが誇らしいです」

「それは違うわよ。私はワガママで身勝手よ。今までのループではこんな事した事無かったもの。でもアリス達を見ていると不思議とつられるのかしらね?」

「そんな事はありません。今までのループはお嬢様の周りに本当のお嬢様を認めてくれる方が居なかっただけです! 私には分かります。きっと今までのミアも、お嬢様の本当の良さを知らなかったに違いないんです。だからね、余計にこのループで最後にしたいんです。私は、今のお嬢様の側にずっと居たいですから」

「ミア……」


 バターサンドを握ったまま言うミアに、キャロラインは思わず両手を広げて抱き着いていた。そんなキャロラインにミアは驚いている。


「私も。私もずっとあなたと居たいわ! やっぱりキリの所にお嫁に行くのは止めさせようかしら?」

「え?」


 驚いたミアにキャロラインはクスリと小さく笑う。


「冗談よ。妖精電車が完成したら、毎日ミアは私の所に来てくれるのでしょう?」

「もちろんです!」

「だったら何も反対しないわ。それどころかあなた達の子供が今から楽しみよ。ミアに似たら絶対に可愛いし、キリに似たら綺麗な子になるに違いないわ!」


 ミアから体を離して嬉しそうに言うキャロラインにミアは顔を真っ赤にして両手で顔を覆ってしまった。普通公爵令嬢の一番のメイドと言えば大抵こういう話には詳しかったりするが、どうもミアは昔から苦手なようでこういう話をするといつもこんな反応をする。それが可愛くてたまにからかってしまうキャロラインである。


「も、もう! お嬢様! お風呂! お風呂に入りましょう! ダイエットです!」

「あら、さっきも入ったわよ?」

「良いから! 早くドレスを脱いでください!」


 そう言ってミアはキャロラインのドレスに手をかけようとすると、キャロラインはまるで子供のような笑顔を浮かべて悲鳴をあげるが、外から聞こえてくるアリスの大音量の下手くそな歌のおかげで、キャロラインとミアのはしゃぎ声は誰にも聞こえなかった。やはり、バセット領では皆、子供に戻ってしまうようだ――。


 

「オスカー、見てみろよ」


 カインが生ハムを食べながらふと窓の外に視線をやると、そこにはアリスと一頭の巨大なクマが仲良く座って何かを見ていた。


 一体何を見ているのかと思って立ち上がると、森の入り口で妖精達が手を繋いで輪になってダンスしている。カインの言葉にオスカーが窓辺に寄って来てその光景を見て微笑んだ。


「楽しそうだなぁ」

「な。月夜のダンスか。それをクマと見てるアリスちゃんってのがもう」


 カインは笑いを噛み殺しながら言うと、オスカーもおかしそうに肩を揺らした。


「妖精達もアリス様たちに見られてるのに気付いてるのかな」

「そりゃ気付いてるんじゃないか? 妖精達は何せアリスちゃんが小さい頃からこっそりお世話してたらしいし」

「ああ、フィル様が言ってましたね。そう言えばフィル様もマーガレットさんも戻って来ないね」


 そう言ってチラリと自分の肩を見たオスカーは寂し気に呟いた。居たら居たで賑やかだが、居なかったら居なかったで寂しい。


「あっちでは大変みたいだ。下手な事して捕まらなきゃいいけど……」


 もしも女王が直接妖精界に妖精を捕らえに行きだしたらと思うとゾッとする。もうフィルにはこちらに戻って来いと言っておいた方がいいかもしれない。


「フェアリーサークルは今も頻繁に作られてるって言ってたもんね。何だか何かの実験でもしてるみたいだよ」

「多分オスカーの言う通り、実験してるんだろ。どれぐらいの規模の物がどれぐらいの羽根で作れるかをさ」


 その為に何百何千もの妖精たちが犠牲になったのだと思うと、腸が煮えくり返りそうだ。遠くない将来、きっと妖精たちはカインにとって親戚になる。そうなりたいと思っている。だからこそ余計に女王がしようとしている事は許されない。


「しょうもない事するよね、ほんと」

「全くだ。アリスちゃんじゃないけど、食べないなら傷つけるな、だよほんとに」

「動物ですら守れるのにね。ほんっと、どうしようもない」


 無益な殺生をして一体何が楽しいのか。オスカーはそう言って、とうとう妖精のダンスに加わりだしたアリスとクマを見て笑みを浮かべた。


「皆があれぐらい平和ならいいね」

「いや、皆があれだと世界はすぐに崩壊するだろ」


 世界の人間が全員お花畑では困るが、足して割ればちょうどいいぐらいではないかとは思う。これから確実にやってくるであろう戦いを前に、カインとオスカーはいつまでも楽しそうに踊っているアリス達を見ていた。

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