第三百八十一話 たとえ記憶が戻っても

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。それで、やっぱり外から来てたの?」


 ノアの声に仲間たちの間に緊張が走った。まさか今、仕上げをするつもりか? そんな視線があちこちから飛んでくるが、何も知らないアリスはコクリと頷いた。


「うん、わざわざ小屋に目くらましまでかけて何かやってたみたい。今騎士さん達が調査してるけど、妖精の羽根がいっぱい出て来たよ」


 そう言ってアリスは妖精達の羽根が詰まった袋をノアに手渡す。それを受け取ったノアは袋から何枚かの羽根を出して顔を顰めた。


 それを見て領民達が息を飲む。


「……酷い……何てことするの……」

「最悪だな……こんな事してる奴らがここに居たのか……」

「やっぱり噂は本当だったんだ……」


 ノアが取り出した妖精の羽根を見た領民達が、口々に話し出す。


「それだけではありません。騎士に渡したのでここにはありませんが、恐らく被害者のリストのような物もありました。所々バツがついていたので、恐らく亡くなったのかと」

「……そう」


 流石のノアもキリの言葉に黙り込んだ。あの洞窟の中でも見たような事よりも、もっと酷い事が小屋の中で行われていた可能性がある。


「あとぉ、覆面はやっぱりあの教会の服着てたよぉ」


 そう言ってユーゴが教会を指さすと、それまで恐る恐る虎の頭を撫でていたドロシーがコクリと頷いた。


「ドロシー! そうなのか? やっぱりあそこの制服を着てたのか?」


 ダニエルの言葉にドロシーは頷いた。右手は桃を握り、左手は虎の上に置いてはっきりと頷く。


「うん。私を攫った二人もあの服着てた。でも、何か仲間割れしてるみたいだった」


 言いながらドロシーは攫われてからの事を思い出していた。今も怖い。


 でも、キリの話を聞いてドロシーは思った。ドロシーは生きて帰ってこれたけど、もしかしたらリストに載った子達はまだ戻れていないかもしれない。そう思うと、胸が苦しくなるのと同時に、もう被害者を出してはいけないと強く思ったのだ。


 ここにはルイスが居る。シャルルも居る。聖女も。ここでドロシーが全部話せば、きっとこの人達は助けてくれる。


「私を攫った二人はね、私に何もしようとしなかったの。眠らされたけど、髪をちょびっと切られただけ。でも、後から来た人達は私をいたぶって遊ぶって。そしたら私を攫った二人が私を小屋に放り込んで外から鍵かけちゃったから、私、屋根に上って隠れて話聞いてたの」


 そこまで言ったドロシーはそっと喉を押さえてアランがさっきくれた飴を一つ口に放り込んだ。独特の味がするが、確かに喉には良さそうだ。


 誰もドロシーが話すのを止めようとしなかった。きっと、ドロシーの意志を汲み取ってくれたのだ。いつまでも守られてばかりではダメだ。それでは今回みたいにまた皆に迷惑と心配をかけてしまう。


 拳を握りしめたドロシーは大きく息を吸い込んで言った。


「私を攫った二人は、キャスパーって人に頼まれたから私は渡せないって。それを聞いた他の人達が女王をキャスパーが裏切ったって騒いでた。やっぱりなって。その後オリバーが来て、ドンちゃんに私を乗せて逃がしてくれたの。あと……多分だけど、女王の名前、言ってた。アメリア様って――」


 半分寝ぼけている状態で聞いた事だから定かではないが、確か覆面は女王の事をそう呼んでいた。


「アメ……リア……? っ!」


 ドロシーの言葉を聞いてノアは頭が割れそうに痛むのを抑えながら呟く。


「兄さま⁉」

「ノア様!」


 ノアの側に居たアリスとキリが慌ててノアを支えてくれようとしたが、その甲斐も空しくノアの意識は遠のいていく。どこか遠くからアリスとキリの叫ぶような声を聞きながら、とうとうノアは意識を手放した。

 


『助ける! 絶対に、絶対に助ける! どんな手を使っても、何を犠牲にしても僕は――を、絶対に助けてみせる! 絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対――』


 呪文のように繰り返す言葉と、何かを激しく叩く音。完全に気が狂っている。


 ノアは夢の中でそんな風に思っていた。これは誰の記憶だったか、そうだ。支倉乃亜だ。


 でも、今必要なのは支倉の記憶じゃない。


 では、誰の記憶だ? もう一人、ノアは居たはずだ。そう、レヴィウスのノアだ。


 夢の中でノアは随分と冷静だった。目の前には気が狂ったように真っ暗な部屋で何かを叩く男の後ろ姿と、狭く暗い牢の中で一心不乱にアリスの絵を描く少年の姿がある。


 今必要なのはこの少年の記憶だ。まるで誰かに導かれるようにノアは少年に近寄って、その肩を叩いた。その途端、忘れていたレヴィウスの時代の記憶が、まるで溢れかえるように蘇る。


「……」


 ノアは自分の両掌をじっと見つめながら考えていた。


 全てを思い出したらバセット家のノアの記憶は無くなってしまうのではないかと心配していたがどうやらそうでもないようで、思い出してもやっぱり自分の居るべき場所はバセット家なのだと自然に思えたのに気付いて、ノアは夢の中でホッと胸を撫でおろした。

 


「……おも……」


 異様な体の重さに目を覚ましたノアは、お腹の辺りでうつ伏せで寝ているアリスを見て小さく笑った。


「アリスだ……」


 記憶が戻ってから見る念願のアリスと、忘れていた頃とでは同じアリスを見ても何だか気持ちが全然違う。


 まるで初めてアリスを見たかのような感覚にノアは零れそうになる笑みを噛み殺して視線を走らせ、アリスとは反対側でレース編みをしながら眠ってしまったであろうキリを見て、とうとう笑顔を浮かべてしまった。


「キリもいる……」


 起こさないように呟いたつもりだったが、ノアの一言にキリがパチリと目を開けて、目を覚ましたノアを見て珍しく顔を輝かせた。


「ノア様!」

「んがっ⁉」


 ガタンとキリが立ち上がった拍子に、お腹の上で寝ていたアリスが目を覚ました。


「兄さま! 兄さま!」


 寝起きの顔をゴシゴシ擦ってノアに抱き着こうとすると、それはノアに拒否されてしまう。見ると、ノアは珍しく顔を赤くしていて、何だかそんな反応にアリスまで照れてしまった。


「ご、ごめん。ちょっと何か、よく僕今まであんなアリスとベタベタしてたなって……ごめん、すぐ戻るから」

「……ノア様が反省してる……これは一大事です」


 ありえないノアの反応にキリがゴクリと息を飲んだ。ノアはたとえ自分が悪くても反省をしない。キリのチョコレートを黙って食べても、名前なかったから、などとシレッと言うのがノアだ。それなのに、何よりも大好きなアリスに抱き着かれてこんな反応するなんて……。


「非常事態ですね、お嬢様」

「……うん」


 ノアがアリスからのハグを嫌がるなんて! これはもう非常事態どころか、緊急事態である。


 そんな二人の反応にお互い顔を見合わせて頷いた。


「お嬢様、俺が押さえてます。ノア様が戻るまで抱き着いていてください」

「よし! 兄さま、覚悟!」

「うわぁぁ! ちょ、待って! ほんとに!」


 体を捩ってどうにか逃げようとするノアをキリはがっしりと掴んだ。そこにアリスはダイブしてノアを抱きしめ、いつもの様にノアの顔をすぐそばで見上げてくる。


 それを何か遊んでいると解釈したのか、部屋に居た虎とブリッジも一緒になってノアを襲おうとしてくる。窓の外ではドンが羨ましそうに(妬ましそうに)こちらを睨んでいた。


 一しきりもみくちゃにされたノアはグチャグチャになった髪をかき上げて苦笑いを浮かべた。


 せっかく記憶が戻ったというのにこの扱いである。一体どうなっているのか。それでも、ここが自分の居場所だ。

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