第三百八十二話 ノアはこれからも変わらない

「思い出したよ、レヴィウスの事」

「!」

「……」

「二人とも、そんな顔しないでよ」


 驚いたようなアリスと、そっと視線を伏せたキリ。ノアはそんな二人の頭を撫でた。


「別に今までの記憶が無くなった訳じゃないから。ただ、思い出してみると感慨深いなって思って。僕は、本当に長い間地下牢で君達の絵を描いてたからさ」

「俺もですか?」

「もちろん。皆を描いてたよ。片っ端から取り上げられて捨てられたけどね。でもアリスだけは、一番よく出来たのだけは隠してたんだ、ずっと。だから持って来れた」

「そう、だったんですか。ノア様はどうして記憶を失ったんです?」


 キリの言葉に困ったように笑うノアの顔は、記憶を思い出す前のノアよりも幼くも大人びても見えてキリまで戸惑ってしまう。


「そういう契約をしたんだよ。代償が大きければ大きいほど、妖精王の魔法は強くなる。僕が妖精王とした契約内容は、僕はレヴィウスではなく、ルーデリアで生まれたって事にしてもらう事だったんだ。その時にこの島に起こっている事を聞いたんだ。あとは妖精王がおまけしてくれたんだと思うよ。ループを止めるって僕が約束したから」


 カインやルカ達がノアの事を本当のバセット家の長男だと思い込んでいたのは、恐らく妖精王がバセット家で起こった事を見て手を貸してくれたのだろう。


「そんな契約をどうして……」

「僕はずっとレヴィウスに居るべきじゃないって思ってたからね。僕には転生前の記憶とレヴィウスの記憶がある。だからかな、余計にレヴィウスの人間だとはずっと思えなかったんだ。どこの人間だと聞かれたら僕は日本の人間だろうけど、気持ちはルーデリアに一番行きたかった。だから妖精王を呼び出して契約したんだ。僕は、その方法を知ってたから」


 ノアは妖精王との契約方法を知っていた。それは転生前からだ。だからノアは沢山の魔法陣を描き、あの日、それを実行した。


「ここから先は皆が集まってから説明した方がいいかな?」


 ノアの言葉にキリもアリスも頷いた。キリは大丈夫だろうが、恐らくアリスには理解できまい。


「ところで今何時? お腹減ったんだけど」

「深夜の二時です。夕方にノア様は倒れて、それからずっと眠ってらしたので」

「あー……そんなにかぁ。お腹減った……」


 完全に夕ご飯を食べ損ねたノアの前に、アリスがそっとハンバーガーを差し出してきた。


「大丈夫! ちゃんと兄さまのご飯作っといたよ! 起きなかったら食べちゃおうと思ってたけど……起きちゃったね……」

「え、ごめん……」


 悲しそうに視線を伏せたアリスを見てノアが言うと、そんなアリスの頭にキリがゲンコツを落とす。


「元々それはノア様のです! お嬢様はさっき持ってきたラーメンも食べていたでしょう?」

「くっ! 何で言うのよぅ!」

「全く、どれだけ食べれば気が済むんですか、あなたは。もしかして全身胃袋なんですか? アリス・イブクロ・バセットなんですか?」

「酷くない⁉ それもうミドルネームじゃないじゃん! 臓器じゃん⁉」

「ふ……ふふふ」


 目の前でいつもの調子でじゃれるアリスとキリを見て、ノアは肩を揺らした。


 やっぱり、ここが一番落ち着く。思い出したら何か変わるかと思ったけれど、そんなのは一瞬だった。


 ノアは腕を伸ばして二人を抱き寄せると、小さい頃によくしたようにおでこにキスする。


「やっぱり僕はここが一番いいな。アリス、キリ、安心して。全て思い出しても、僕はどこにも行かないよ」

「! うん! ずっと一緒だよ、兄さま!」

「……はい」


 満面の笑みのアリスと、珍しく柔らかく笑ったキリ。


 その後、アリスが作ってくれたハンバーガーを仲良く三等分して皆で食べた。そして、子供の頃のように三人でベッドに入り、子供の頃の話をする。まるで小さい頃に戻ったようで、久しぶりにぐっすり眠れた。


 朝方、いつの間にかノアを乗り越えてベッドの真ん中に君臨したアリスに叩き出されるまでは。

 


 翌日、ダニエル達は話せるようになったドロシーの喉を心配して、夜明け前にカインが引き取った虎たちも連れてマリカを出発していた。


 王都に置いてきたダンとリンドに喉を見てもらうそうだ。そのついでにライト家に虎たちを運んでくれるらしい。いよいよチャップマン商会は何でも屋になりそうな勢いだ。


 その後、しばらくは心配だからドロシーを連れ歩くのは止めると言っていた。その間はクラーク家のチビアリスと共に面倒を見てもらうらしい。


 クラーク家にはオリバーの母親がメイドとして勤めている事を聞いて、ドロシーは顔を引きつらせて頷いていた。


 後からそっとエマがアリスに教えてくれたのだが、ドロシーはオリバーの母親に会うのに凄く緊張していたらしい。


『小さくても、そういうの分かってんだよね、ちゃんと!』


 そう言って笑ったエマもダニエルの両親に初めて会った時はカチンコチンになったものだと語ってくれた。アリス以外のヒロイン達は着実に自分の人生を歩み始めている。アリスもがんばらなくては!


 そんな訳で、ダニエル率いるチャップマン商会は、アリス達が起きてきた時にはすでに居なかったのだが、宿屋のフロントに寄せ書きみたいなノアを心配するメモが残されていて、アリスは笑ってしまった。

 


 朝食の席に姿を現したノアを見て、仲間たちが口々に声をかけてくれた。もういいのか、今日は休んでいたらどうだ? きっと疲れが溜まってるんだ。


 それこそ皆がひっきりなしにノアの心配をしてくる。そんな皆にノアは珍しく邪気の無い笑顔を浮かべて言った。


「もう大丈夫。心配かけてごめんね。それから……ありがとう」


 殊勝な態度のノアに付き合いの長い同級生組がギョッとした顔をして次々にノアのおでこに手を当てて来る。


「熱はない。だが、少し心配だな。やはり倒れた時に頭を打ったのでは」

「見る限り打ってなかったと思うけど、頭は怖いからね。一度病院に行った方がいいかもしれない」

「私のかかりつけのお医者様のお知り合いに頭の専門のお医者様がいるから、一度聞いてみましょうか」

「その前にまずは色々と混乱しているかもしれないので、僕が調合した薬で様子を見ますか?」


 そう言って薬を取り出そうとしたアランの手をノアは止めた。


「いや、ほんとに大丈夫だから。よく分かったよ、皆が僕の事をどんな風に思ってたかが」


 呆れた視線を浮かべたノアに、朝食のパンを千切りながらリアンが言った。


「思ってたっていうか、あんたの印象なんて最初から良くはないよね。いっつも何か企んでるしさぁ、今のお礼も何かの罠? って思っちゃうよ」

「リー君、正直すぎやしない?」


 いつだって誰にだって正直なリアンにノアが苦笑いを浮かべると、リアンはちらりとノアを見て言った。


「だから、柄にもない事すんなって言ってんの。あんたは今まで通りでいなって。でないと気味悪いんだよ」

「そか。じゃ、そうしよう。シャルル、悪いけど食事が終わったらもう一度フォルスに行ってもいいかな? 女王の正体が分かったかもしれないんだ」


 あまりにも突拍子もないノアの言葉にシャルルを始め、全員がポロリと持っていたパンやフォークを落とした。


「う、嘘でしょ?」


 カインの言葉にノアは笑顔で首を振る。


「嘘じゃないよ。思い出したから、レヴィウスの時の事。女王に関しては本当に本人かは分からないけど、多分、間違いないと思う」

「あんたね! そういうとこだよ! やっぱ何も変わってないじゃん!」

「リアン君、ノアは今更変わらないと思うんですよ……」


 相変わらず飄々としているノアを見てアランが言うと、オリバーも頷く。


 付き合いは短くとも、オリバーは嫌というほどノアに振り回されているので分かる。例え転生していても、記憶を一度失くしても、ノアはこれからもずっとこうだろう、と。

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