第三百七十五話 キャロラインの癖

 ふぅ、と息を吐いてスマホを切ったノアを、斜め向かいのキャロラインが目を丸くして見つめてくる。


「なに?」

「いえ、あなたはお芝居が上手だな、と思って……何の動揺もしないのが空恐ろしいわ」


 全てを知っているから慌てなかったのだろうが、逆に全てを知っているからこそ戸惑いそうなものなのに、心配している振りが大層上手くて驚いたキャロラインに、ノアがいつものように笑顔を浮かべる。


「慣れてるからね。何かあったらいつもアリスはこんな風に僕に泣きついて来るんだよ。だから内心動揺してても、上辺では動揺してないように振舞うのは得意だよ」

「まぁ、野生の獣も堂々としてる奴にはあんま襲い掛かったりしないもんな……怯えてる奴の方にばっか行くよな。キャロラインとか」


 何かを思い出したカインがポツリと言うと、キャロラインはそんな事を言うカインを睨みつけて立ち上がった。そして大声で叫ぶ。


「何ですって⁉ ドロシーが何者かに攫われた⁉ 皆、すぐにマリカ教会に向かうわよ!」


 その声にギョッとしたのは離れた場所からこちらの様子を窺っていた使用人達だ。そんな使用人達の動きを見てシャルルが小声で草むらに声をかける。


「では皆さん、全ての使用人達の監視をお願いしますね」


 シャルルが言った途端、何も居なかったはずの草むらの中が不審に揺れた。これを機に城内の女王の手先を炙り出すつもりだ。


「すぐに向かうぞ! お前達、準備を! シャルル、頼む!」


 キャロラインに続いてルイスも立ち上がると、全員でシャルルに捕まった。


「ええ。それぞれの部屋まで運びます。馬車を用意するので、すぐに表門に集合してください」


 そう言ってシャルルは妖精達の力を借りて皆を自室に運んだ。まだあの便利な切符は使わない。ここがミソである。あくまでもシャルルがいなければ転移は出来ない。


 そう印象付けた一同は、部屋に戻って既にまとめてあった荷物を持って待っていた馬車に次から次へと乗り込んだ。


「レッド君、もう戻ってもいいよ。ありがとう」


 ノアが声を掛けると、アリスのドレスを着ていたレッドが敬礼をしてみるみる間に縮んでいく。


 廊下を駆けている間も、レッドは自分の仕事を忘れなかった。ちゃんと宝珠を操作して、さもアリスが叫んでいるかのように見せかける事に成功したのだ。おまけに誰かとすれ違いそうになると、わざと振り向いてノアを振り返るような仕草をしていたので、その仕事ぶりは完璧だったと言える。


 アリスはいつもこういう時はとにかく目立つ。だから絶対にアリス役は必要だった。こんな時、キリならば隠密のようにひっそりと動くので居ても居なくても誰も気付かないのだが。


 しかしそこは流石レッドである。アリスの習性を痛いほどよく理解していた。


 次々に馬車に乗り込んできた一同を見渡して、ノアは頷いた。それを見てシャルルが御者に声をかけると、馬車はゆっくりと動き出した。


 

「始まったみたいだよ、オリバー」

「っすね。俺んとこにも連絡来たっす」


 アリスとオリバーはそれぞれ顔を見合わせて頷き合った。本来ならこの作戦はオリバーが単独でドロシーを助ける筈だった。


 けれど、それを却下したのがキャロラインだ。


『待ってちょうだい。もしもね、もしもよ? 本物の敵に想定以上の数で襲われたら大変だわ。アリス、あなたオリバーと一緒に行きなさいな』


 そう言ってキャロラインはアリスの手を握った。アリスはそれに頷いて、今ここに居る次第である。


 キャロラインはいつも最悪の事態を予測するのが癖なのか、こういう時は本当に頼りになる。そして、このキャロラインの決定がこの後の事件のエンディングを大きく変える事になった――。


 

 キリとユーゴはドロシーを攫った後、アレックスにあらかじめ貰っていた眠り薬をドロシーに飲ませて眠らせていた。攫われたドロシーは震えはしていたが、二人が自分に危害を全く加える気配がないからか、暴れたりはしなかったのだ。


 こういう状況の中で暴れたりすると返って犯人の神経を逆なでしてしまうかもしれないと言う事を、ドロシーはよく理解していた。それに、どのみち自分は声が出せない。騒ぎようもないのだ。


 キリはドロシーが完全に眠っているのを確認すると、小声でユーゴに言った。


「さて、向こうはどう出ると思いますか?」

「さてねぇ。自分達の仲間がやったかもしれないって今頃疑心暗鬼になってるんじゃない?」


 ユーゴは狭い部屋の中を見渡しながら言った。ここはルードが掴んだマリカ教会の連中が夜な夜な集まって儀式をしているという、秘密の小屋だ。ここで普段何をしているのか、壁には所々に血がついている。


 キリはユーゴの言葉に頷いて、眠っているドロシーの髪の目立たない部分を一房ナイフで切り落とした。それを部屋にばらまくと、心の中でドロシーに謝る。いくら作戦とは言え、本当に嫌な作戦だ。


 その時、部屋を物色していたユーゴが、何かを見つけたのか小さなうめき声を上げた。


「どうしました?」

「いや、ヤッバイもん見つけちゃったかもぉ」

「? 何です?」


 ユーゴが持っている手帳に視線を落としたキリは、思わず顔を顰めた。


 そこには恐らく今までに誘拐されたであろう人たちの名前がズラリと書かれていたのだ。所々名前にバツがついているので、きっとこれは既に亡くなった人たちだろうと思われる。そして、その他にもドラゴンの鱗や牙や妖精の羽根が多数出て来たではないか。


「……やはり、教会の人間は外の者達ということでしょうか」

「ぽいよねぇ。なるほどぉ、こうやってちょっとずつ侵略するつもりって事かぁ。面白い事してくれるねぇ」

「……」


 珍しいユーゴの怒気にキリは思わず後ずさると、とりあえず何かの証拠になりそうな物をいくつかポケットに仕舞いドロシーを担いで外に出た所で、ばったりと本物の覆面達と出くわしてしまった。ここまでは作戦通りだ。


 ユーゴにもらった情報によれば、女王の休息日にはマリカ教会の者が昼からここに集まると言っていた。


 ドロシーを担いで小屋を出て来たキリとユーゴに、同じ覆面を被った男が聞いて来た。


「……おい、ここで何やってんだ? お前ら。それ、新しい獲物か?」

「ああ。主に頼まれたんだ。今度は金髪が欲しいってな」


 低い声でキリが言うと、隣でユーゴが頷く。


「今度は金髪か。全く、アメリア様も物好きだよな。じゃ、いつも通り先に俺達で遊ぼうぜ。見た所、すっげー可愛いし」


 一人が言うと、その場に居た数人が嬉しそうにはしゃぐ。


「いや、それは無理だ。もうじき主がここに来る」


 キリが言うと、男たちはすぐに静かになった。そしてお互い顔を見合わせて首を傾げている。


「今日は休息日だぞ。女王は来ない。お前ら、どこの誰だ?」

「そういうお前らこそどこの誰だ? 俺達はキャスパー様から金髪を用意しろって言われてんだ」

「な、に? キャスパー様? やっぱりあいつ裏切りやがった! マズイぞ! 誰か女王に知らせろ! あいつ、手引きしてるつもりでピンハネしてるってな! ついでにこいつらも捕まえろ!」


 そう言って男達はマントの下から長剣を取り出した。それを見てキリがポツリとユーゴに言う。


「あれは恐らくドラゴンの剣です。相当硬いので気をつけてください」

「分かったぁ~。予定外の人数だねぇ」

「大丈夫です。ノア様はこうなる事も予測してお嬢様との待ち合わせ場所をここに指定しています。すぐに来ますよ、ゴリラが」


 キリはそう言って一旦小屋の中に戻ると、少々乱暴にドロシーを小屋に投げ入れ、外からしっかりとつっかえ棒をして中から扉が開かないようにした。


 目を覚ましたドロシーがフラフラと外にでてしまう事は防がなくてはならない。

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