第三百六十二話 忖度の無いアリス

 それを聞いてノアは何かに納得したように頷いた。


「そう……亡くなったの……」


 ノアはポツリと言って視線を伏せた。まさかジョーの本当の父親が亡くなっているとは思ってもいなかったのだ。余計に後悔が胸を締め付ける。


「ああ、彼は体があまり丈夫では無かったんだ。それはここに居る時からだったよ。でも、それはもうリズも彼もずっと覚悟してたみたいだからね。最後は笑って見送れたと言っていたよ。それに、リズにはジョーが居る」

「そうだね……でも、そっか。ジョーがノアか」


 ずっと不思議だった。以前、アランは過去アリスの兄の話をした時に、過去のアリスの兄の名前を『ノア』と言った。それなのに今回は『ジョー』だ。


 けれど、もしかしたらこのゲームを作ったと思われる支倉は、アリスの兄は『ノア』と設定していたのかもしれない。つまりアリスの兄には、もしかしたら公表されなかっただけで、ちゃんと設定があったのではないだろうか。強制力のせいで今回は無理やり『ジョー』が『ノア』を名乗る事になっているのがいい証拠だ。


 寂しそうな笑顔を浮かべたノアを見て、アーサーも困ったように笑う。


「ノア、そんな顔をしなくても、リズ達は今もちゃんと幸せにやっているよ。何せアリスの母親だ。ちょっとやそっとの事ではあの子もへこたれないよ。今はグランに新しく出来た工場で楽しく働いてるみたいだし、リズもアリスと同じでじっとしているのが苦手な子だったから、仕事をするのが楽しいみたいだ」


 一番最近届いた手紙に、少し前にアリスがグランにやってきた事が書かれていた。遠目から見ただけだったが、嬉しくて涙が出そうだった、と。仲間達に囲まれてのびのびとしているアリスを見たら、やはりあの時引き取らなくて良かったのだと素直に思えたそうだ。


 それをノアに伝えると、ノアは笑みを浮かべて頷いた。


「アリスは父さんの子だよ。それに、母さんの事だって、ちゃんと母親だと思ってると思うよ。そりゃ育ての母はハンナかもしれないけど、きっとアリスはちゃんと分かってる。それに、多分アリスの魔法も解けてるよ」

「え?」

「アリスにかけた母さんの、酷い女だっていうのはね、解け始めてると思うよ。口にはしないけど、そもそもアリスが母さんの事を恨んだりした事なんて一度も無かったから、もしかしたら母さんの魔法は最初からアリスにはかかってなかったのかもね。父さんに母さんの魔法がかからなかったのと同じ理由で。でも、自分は父さんの子だって思ってる。それは魔法とか関係なく、もうアリスの中で父さんは父さんしか居ないんだよ。それは僕もキリも」


 ノアの言葉にアーサーは嬉しそうな恥ずかしそうな顔をして笑った。


「そうか……そうか」


 噛みしめるように呟いた言葉にノアも、ずっと見ていたシャルルも微笑む。


「いいご家族ですね、ノア」

「でしょ? これはバセット家の自慢だよ」


 たとえ血が繋がっていなくても、ノアの家族はもうバセット家のひとたちだけだ。多分、これはレヴィウスの事を思い出しても変わらないに違いない。


 ほっこりして微笑みあった三人の元に、スマホの呼び出し音が鳴り響いた。


「……アリスだ……」


 とうとう業を煮やして電話までしてきたか。ノアはそんな事を考えながらアーサーをちらりと見ると、ノアの電話が切れて、今度はアーサーのスマホがけたたましく鳴り響く。


「ノアが早く出ないから! こっちにまでかけてきちゃったじゃないか!」

「父さんが出てよ。絶対怒られるよ!」

「どちらでもいいので早く出た方がいいんじゃないですか? ほら、今度は私にまでかけてきましたよ?」


 そう言ってスマホを見せたシャルルの言葉にノアとアーサーがゴクリと息を飲んだ。手あたり次第である。


「もしもし、アリス?」

『父さま! そこに兄さま居る⁉ 居るよね⁉』


 シャルルのスマホを受け取ったアーサーが困ったようにノアに視線を向けると、ノアは首を横に振っている。


「い、居ないよ?」

『嘘! だってこれシャルルのスマホだもん! 兄さまに代わって!』

「……ノア、無理だよ!」


 スマホから耳を離して小声で言うアーサーにノアは小さなため息をついてスマホを受け取った。


「アリス? どうしたの?」

『いつ帰ってくるの⁉ もうじき晩御飯だよ!』

「あー……晩御飯、こっちで食べようかなって」

『ズルい! じゃあ私も行く! ドンちゃんに乗って今から行くから!』

「え⁉ 今から⁉ いや、帰る! 帰るから大人しくしてて! ね?」


 物凄い剣幕のアリスにノアが早口で言うと、それを聞いてアリスは満足したように鼻息を荒くして、じゃあいいよ、と言って電話は切られてしまった。


「ありがと、シャルル。そんな訳だから父さん、僕達そろそろ戻るよ」

「あ、ああ……アリスはノアの出自を知らないの?」

「知ってるよ。それでもあの子は何も変わらない。そこがアリスの良い所だよ」


 たとえノアが兄でなくても、レヴィウスの王子でも、アリスのノアに対する態度は何も変わらない。たまに変わらなさすぎて泣きそうになるが、ありがたくもある。


「ノアは間違いなくアリスの尻に敷かれるんだろうね」

「僕もそう思う。でも、その方が幸せだよ。アリスが機嫌よく森を走り回ってるのを見てるのが、僕は一番嬉しいから」

「そこだけ聞くと凄く理解のある旦那さんですねぇ」


 苦笑いを浮かべたシャルルにアーサーも頷いた。


 けれどアーサーも内心はノアのアリスへの異常な程の愛情は気付いているので、そのシャルルの言葉が額面通りだとは思っていない。


「またゆっくり帰っておいで。ところでノア、卒業したらここに戻るかい?」

「戻るよ。本当はアリスが卒業するまでは学園の側に家でも借りようと思ってたけど、ここに会社立ち上げちゃったから、その方がいいでしょ?」


「ああ、頼むよ。会社の事務所をストーンさんが譲ってくれたんだ。今片づけしてる所なんだけど、次から次へとそこに書類が届いていて、てんてこまいなんだよ」


 アリス工房をバセット領に作ると言い出したノアの為に、探偵兼何でも屋をやっていたストーンが、引退するのと同時にそのまま事務所を譲ってくれる事になったのだ。その片づけをしている合間も、そこらかしこからアリス工房に問い合わせの書類が届く。


 今は実はそこそこ優秀なアーサーがずっと書類を捌いているが、流石に限界である。


「ごめんごめん、卒業したらすぐ戻るよ。ストーンさんにもまた改めてお礼言いに戻って来るね」

「すまないね。本当は僕が全部やれればいいんだけど」


 そうしたいのは山々だが、家の管理もしなければならないアーサーである。そろそろ本気で執事なり何なり雇わなければならないな、と思っていた所だ。


 それをノアに言うと、ノアはにっこり笑って言った。


「新しい執事はもう少しだけ待って。あてがあるんだ」

「そうなの? じゃあもう少し頑張るか! ノアが戻って来たらその二年後にはアリスもキリも戻って来るし!」

「また賑やかになるね」

「本当だよ」


 いつまで経っても変わらないアリスを筆頭に、また毎日騒がしい日々が始まるのだろう。今から既にハンナ達とそんな話をして覚悟を決めているバセット家である。


「それじゃあ父さん、話してくれてありがとう。色々スッキリしたよ」

「ああ、僕もスッキリした。気をつけるんだよ」

「うん、父さんもね。それじゃあまた、次の休みに。シャルル、行こうか」

「ええ。では、突然お邪魔してしまい失礼しました。また改めてゆっくりと挨拶に伺わせていただきますね」


 そう言ってにっこり微笑んだシャルルに、アーサーは青ざめてぶんぶん首を振った。


「いや! それには及びませんので、お気になさらず!」


 内心はずっとドキドキしていたアーサーである。また来られても困る! そんなアーサーの心など知ってか知らずか、シャルルは綺麗に一礼して来た時と同じように二人はアーサーの目の前から消えた。




おまけ『アーサーの恋人』


「はぁぁ……驚いた。もう出て来て構わないよ、グレース」


 アーサーが言うと、一人のすらりとした赤毛の女性が執務机の下から姿を現した。


「多分、二人は気付いてたわよ? 本当に雑いんだから」

「はは、だろうね。でも、まだバレたくないって言ったのは君だよ?」

「そうだけど……でも、あの子達どんな顔するのかしら。あなたの相手がまさかパン屋のグレースだとは思ってもないんでしょうね」

「どうかな。ノアは気付いたかもしれないよ?」

「どうして?」

「だって、君からはいつも焼きたてのパンのいい香りがするからね」


 そう言ってアーサーはグレースを抱き寄せておでこに軽くキスをする。それを受けて、グレースはおかしそうに目を細めた。

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