第三百十七話 ドロシーと桃の約束

 ぼろ馬車にまるで我が家のように上がり込んだオリバーは、いつも皆が集まるダイニングに向かった。そこにはドロシー以外のメンバーが項垂れて、まるでお葬式でもあったかのような顔をしている。


「ど、どうしたんっすか?」


 思わず声を掛けたオリバーに、皆はハッとして顔を上げてオリバーに飛びついてきていっぺんに話し出す。


「や、落ち着いて。何言ってんのか全然分かんないんすけど」

「ド、ド、ドロシーがとうとう寝込んだんだ! 昨日から熱あったんだけど、お前からのメッセージ見てとうとう倒れたんだよ!」

「えぇ⁉」


 オリバーは肩にいる桃と顔を見合わせた。すると、桃はオリバーの肩からピョンと飛び降りてさっさとドロシーの部屋に走って行ってしまう。


「で、原因は? 俺が来る事知ってんすよね?」

「知ってる。それ聞いた途端、笑顔で倒れたんだ……」


 ダニエルの言葉にダンとリンドも神妙な顔をして頷いた。


「あれは知恵熱ダ。考えすぎてた所に嬉しい話が来て興奮したんだロ」


 腕を組んでそんな事を言うケーファーに、コキシネルも頷いている。


「で、でも凄い熱なんだよ! それなのにドロシーってば外で待つって聞かなくって!」


 エマが泣きそうな顔で言うと、マリーもフランも心配そうに顔を歪めた。


「仕方ないからさっき一服盛ったんだよ。それでな、こんな感じになってたって訳だ。まさかドロシーに薬を盛る日が来ようとは……アレックスの薬、めちゃめちゃ効くぞ」


 飲んだ瞬間に寝落ちたドロシーを思い出してダニエルはブルリと震えた。本当に大丈夫なのかどうか心配していた所に、どうやらオリバー達がやってきたらしい。


「なるほど……それで……まぁ、知恵熱ならすぐ下がるっしょ。ちょっと桃に事情を説明しに――うわっ!」


 オリバーが桃に事情を説明しようとダイニングを出た所で、大きくなった桃がドロシーを抱きかかえて立っていた。それに驚いたオリバーが思わず後ずさると、桃がそのまま部屋に入ってくる。


「す、すげぇ……マジでデカくなれるようになったんだな……」

「……」

「こ、怖い……」

「あらあらぁ! 凄いのねぇ」

「思っていたよりもデカイナ」

「これなら大きい剣も持てル! 明日から特訓再開ダ!」


 部屋に入って来た桃を見て、皆それぞれに感想を述べて喜んでいるが、オリバーはそんな皆に注意事項を伝えた。


 大きくなれるのは、あくまでも五分程度だ。いざという時にしか大きくなれないと言う事を。これはイーサンにもアランにも口を酸っぱくして言われた事だ。あまり長い間大きくなっていると形を維持出来ないらしく、大体五分を過ぎた辺りから形は崩れ始める。その後、萎んでまた元の大きさに戻るのだ。


 オリバーは桃に抱かれたドロシーの顔を覗き込んだ。まだどこかぼんやりとしているが、オリバーを見た途端、赤い顔を綻ばせる。


「桃、ありがとうっす」


 コクリ。


 桃は頷いてドロシーをオリバーに渡すと、そのまま小さくなってドロシーのスカートをよじ登る。ドロシーはそんな桃を抱きしめてオリバーの腕の中で涙を零しながら頬ずりしていた。


 二人がこの時どんな会話をしていたのかは誰にも分からないが、ドロシーも桃も、再会を喜んでいる事だけは痛いほど皆に伝わった。


 結局オリバーはこのまま今日は一泊していく事になり、夕食は全員で揃って食卓を囲んだ。桃が机の上を走り回り、ドロシーのお皿に色んな物を放り込んでいく。ドロシーの好きな物も嫌いな物もお構いなしだ。残そうとすると、すかさず桃にドロシーが叱られている。


「ふふ、この光景が何だか懐かしいわね」

「ほんとにな。はぁぁ……マジで心配した。良かった……」


 フランとマリーはそう言ってそんな光景を目を細めて見ている。もうすっかり両親の顔だ。 


 オリバーは気づけば自分も微笑んでいる事には気付かなかったが、帰り際、エマがこっそりとオリバーに耳打ちしてきた。


「オリバー、あたしはあんた達の事、応援してるからね。他の誰が反対しても、あたしはずっと味方だよ! だから頑張って!」

「ど、どもっす」


 もしかしてゲームのヒロインは皆こんな感じなのか? 一瞬そんな事が頭を過ったオリバーだが、引きつった笑みを返して頷いておいた。 


「それじゃあ桃、ドロシーを頼んだっすよ」


 コクリ。


「ドロシーも、桃の事よろしくっす。あと、二人とも仲良くするんすよ」


 コクリ。


 二人分のコクリを見たオリバーは、また泣き出したドロシーの頭を撫でてハンカチを渡した。 


 ハンカチを受け取ったドロシーと桃は、少しだけ微笑んで馬に乗って走り出したオリバーにいつまでも見えなくなるまで手を振っていた。


『泣くな、ドロシー。桃が居る。もう離れない』

『うん。約束だよ?』 

『約束だ。そのうち、オリバーと三人で暮らせるといいな。その後も家族は増えていくんだ』


 ドロシーはそれを聞いてパッと表情を綻ばせて何度も頷いた。それが何を意味するのかはまだ分からなかったけれど――。

  


 時が過ぎ、いよいよ乾麺の販売が始まり全ては順調だった中、それと同時にチェレアーリからキャロラインの元にこんな連絡があった。


「虫が? そう……そんなにですか……まだそこまでの被害は出ていませんか? ええ。そうですか! では、こちらもすぐに妖精職業安定所にお願いして人員を増やしてもらいます。また何かあったら些細な事でもいいのでお知らせください。ええ、ええ、こちらこそ、本当にありがとうございます。あなた達のおかげで乾麺も順調なスタートを切ったのです。感謝してもしきれません。私達ももうじき卒業ですから、そうしたらすぐに参ります。それまでは、どうかよろしくお願いします。はい、それでは失礼します」


 キャロラインはスマホを仕舞って頬杖をついて手帳を開いた。いよいよ始まったのだ。飢饉の前触れが。


 アリスがもうじき十七歳になる。そして来年、自分達はとうとう卒業だ。卒業したらやってくると言う飢饉と洪水。そして最終決戦。色々と不安な事はあるものの、どこの土地も概ね今の所は上手く回っている。


 一つ気になるのがチェレアーリで増えだしたという小さな虫たちだ。今の所は妖精たちの魔法でどうにか凌げているらしいが、これが全土に広がれば大変な事になる。ある程度の乾麺のストックもできているし、何も心配はないと思いたいが、念には念を入れておきたい。


 そんな乾麺の売れ行きはと言えば、まだイマイチだ。如何せん食べ方が分からないのだ。


 ただ、チャップマン商会が来た時にしか買えない不思議な食べ物は、一度その場で食べてみて病みつきになる者も多いと聞く。これがジワジワ浸透していけば、アリスが十七歳になった時にはそこそこ流行っているのではないだろうか。


 乾麺の特許はとっているが、ラーメンの作り方自体の特許は取っていない。アリスにその理由を聞いた所、麺を作るのは家でも簡単に出来るべきだと考えたからだそうだ。そこを規制してしまったらきっとラーメンの進化はそこで止まってしまう。アリスはそう言い切った。


「大丈夫ですか? お嬢様」

「ミア。ええ大丈夫よ。でも、そろそろ始まりそうだわ。チェレアーリに小さな虫が出始めたそうなの」

「虫……ですか?」

「ええ。小麦を少しずつだけれど食べているみたい。今は妖精たちの魔法でどうにか凌いでいるけれど、増えたら難しいそうよ」

「……何か、虫の天敵になるようなものが居ればいいんですが……」

「そうね。ちょっとアリスに相談してみましょうか」


 そう言ってキャロラインはアリスを部屋に呼んだ。アリスは勉強していたのか、頭に必勝ハチマキをつけたままだ。

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