第百八十七話 焦る敵陣営
「驚いたよ。数年前に見た時よりもやつれていて、幽霊かと思う程色も白かった。何よりも足の化膿が酷くてな。すぐに夜中に医者を呼ばせたんだが、あいつらときたら……」
そこまで言って、ルイスは持っていた紙をグシャリと握りしめた。今日届いたルカからの手紙だ。
「あいつら、レスターの為に医者は呼べないと言いやがった! 息子だぞ⁉ 信じられるか⁉ その理由がこれだ!」
ルイスは今しがた握りつぶした手紙を、ダン! と勢いよく机に叩きつけた。
ルイスがレスターを保護して学園に戻り、まず一番にしたのがルカに手紙を書く事だった。今のレスターの現状を報せ、この事は知っていたのか? と尋ねたのだ。
すると、今日、返事が返ってきた。答えはノーだった。
ルカはルイスからの手紙を読んで怒り狂い、すぐにセレアルに騎士団を向かわせたらしい。そしてその時にレスターの父親と使用人達を捕まえ事情を聞いたそうだ。
レスターの両親は、父親、ロンドがルカの従弟にあたる。そして母親は、レスターを産んですぐに産褥熱に浮かされて亡くなってしまった。母親の命と引き換えに生まれたのはおかしな瞳を持つ息子。ロンドはもしかしたらレスターを恨んでいたのかもしれない。
けれどこの時はまだレスターの乳母も居たし幽閉まではされていなかった。
ところが、ロンドが再婚した途端、家の中がおかしくなったという。
よくある話だ。継母が前妻の忘れ形見を嫌うという、単純な、しかし残酷な話である。
後妻は光る眼を持つレスターを心のどこかで気味が悪いと思っていた使用人達を丸め込んで、そのまま幽閉した。その時ロンドは何をしていたのかと言えば、何もしなかった。
レスターの母親は爵位は低いがとても気立ての良い人だったらしく、ロンドはそれはもう妻を溺愛していたらしい。それほど愛した人が亡くなり、子供は化け物だ。そこにまるで付け込むようにやってきた後妻の存在に、ロンドはとうとう何もかもを放棄した。
家の実権を彼女に渡し、ロンドはほとんど部屋から出なくなってしまったという。
「待って、ルイス、ロンドさんに挨拶してないの?」
驚いたようなカインにルイスは頷いた。怒りで我を忘れていたが、ロンドには会えなかったのだ。
「体調が優れないと言われてな。会えなかったんだ」
それを聞いたカインがチラリとノアに視線を送ってきた。ノアも何かに気付いたように頷く。
「それで? レスター王子の両親は今は?」
カインの言葉にルイスが眉を顰める。
「父親の方は騎士団に抵抗する事もなくあっさり捕まったらしいが、継母の方はどうやら逃げたようだ。宝石類と身の回りの世話をしていたメイドだけを連れてな」
一国の王子にそんな待遇を敷いていたのだ。流刑では済まない。良くて生涯幽閉か、最悪極刑だ。それが分かっているから継母は慌てて逃げたのだろう。
「フォスターかな」
「だろうね。ルイス、その継母、どうやってロンド様に近づいたの? あと、ロンド様から薬物反応は出なかったかな?」
「え? いや、そこまでは手紙には書いていないが……まさか!」
「おそらく、そのまさかだよ。多分継母とやらはフォスターの息がかかってるね。だってさ、おかしいじゃん。キャスパーだけであそこまでの事が出来る訳ないよね? となると怪しいのはフォルス大公じゃん。うちの兄貴の時と同じような感じなんじゃない? ただ一つだけ違うのは、兄貴のは失敗したけど、今回のは成功してるって事かな」
カインは青ざめるルイスを見て小さな息を落とした。ルイスはレスターを保護して、そこまで思い至らなかったのか。その時点で継母を捕まえていれば、もしかしたら重要な証拠が出たかもしれないというのに。
「まだ成功とは言えないんじゃないかな。レスター王子は生きている。結局、父親が捕まって母親が逃げたとなれば、あそこを継ぐのは必然的にレスター王子だよ。フォルス大公の狙いがセレアルだったんだとしたら、今回も失敗したと言えるよね? あと、レスター王子を狙った犯人とルイスを狙った犯人を送ったのは、やっぱり別人だよ」
そこまで言ってノアはお茶を一口飲んだ。
「どうしてだ?」
「やり口が全然違うから。ルイスを襲った犯人は作戦もへったくれもない、あらかじめ捕まる事を想定されてた襲い方だけど、レスター王子を狙ったのは、それこそ何年もコツコツ積み上げられた作戦だよ。さっきカインが言ったように、ルードさんの所やオリバーの所と同じやり方なんだ。そう考えるとキャスパーもメグさんや継母みたいに捨て駒だったんだろうね」
「聞いてもいいかしら? 全ての黒幕はフォルス大公だとして、今までずっと大人しくしてたのに、どうして突然色んな事を動かしだしたのかしら?」
今まではうまくやっていたのに、突然全てを動かして、最後の詰めが甘いとしか言いようがない。首を傾げたキャロラインにカインとノア以外が頷いた。
「多分、グランがチャップマン商会と手を組んだ事と、銀鉱山が引き金だと思うよ。そうだよね? オリバー」
ノアの問いにオリバーは飲んでいたお茶を置いて、実際にグランで見てきた話をしだした。
「おそらく。グランの所にフォルス大公から契約の申請書が来てたんすよね。それにはありえない金額の提示がされてたっす。おまけにフォルス特製の製粉工場をいくつか融通する、とも。もちろんエドワードさんはそんなのに引っかからなかったんすけど、もしもチャップマン商会が後少し動くのが遅れてたら、危なかったかもしれないっす。そんぐらいグランは切迫した状況だったんすよ」
「そうなの⁉ うわ、それは知らなかった……」
思わず声を上げたリアンの隣でライラも青ざめて頷いている。ここには居ないが、オリバーとドロシー、そして何よりもダニエルには感謝しかない。
「そうなんすよ。だからほんと、間一髪って感じだったんす。他にも何十件もグランとの提携を望む商会があったんすけど、エドワードさんはチャップマン商会を選んでくれたって訳っす。でもどこも酷いもんでしたよ。切迫したグランの足元を見た契約内容ばっかで、ダニエルじゃなくてもイライラしたっす」
グランでの一件以来、オリバーの第二の故郷のような存在になったグランだ。そのグランを馬鹿にしたような輩はオリバーにとっては許せないのである。
珍しく感情を表に出したオリバーを見てアリスは目を輝かせた。
モブが! あのモブが憤っている! ゲームの中でのオリバーはいつも穏やかで感情など無いのではないかと思う程当たり障りの無い性格だった。唯一ドロシーが攫われた時だけキレたのだが、それ以降はやはり穏やかな好青年だったのだ。だから、こんなオリバーは大変新鮮である。
そんな不純な目でオリバーを見ていたアリスに気付いたキリが、容赦なくアリスの頭にゲンコツを落として来た。
「お嬢様、元はと言えばあなたが皆を巻き込んだんですよ。最後までしっかり聞いてください」
「はひ……」
シュンと項垂れたアリスをライラが隣からヨシヨシと慰めてくれた。
「アリスにはちょっと難しい話だものね。私が今度まとめてあげるわ。『ライラのお猿さんにも解けるループの謎』どう?」
「神よ!」
「……ねぇ、ライラが実はすっごい失礼な事言ってるけど、あんたそれに気づいてる?」
呆れたようなリアンの言葉にアリスは首を傾げている。分からないのならそっとしとこう。
「つまり、グランと銀鉱山の所在がフォルス大公を追い詰めたと、そういう事かしら?」
「おそらくね。なりふり構わなくなってきたって言うか、ちょっと急ぎすぎな感じはあるけど」
「あとやっぱあれじゃない? オピリアが露見したのも引き金の要因になってる気がする」
何に追い詰められているのか、フォルス大公は物凄く急いでいる。カインはオピリアの毒牙にかかった人達の事を思い出して拳を握りしめた。
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