第百八十六話 不穏な気配
大きく深呼吸したアリスは天幕を勢いよく捲ってベッドを確認すると、そこには一人の痩せこけた真っ白な男の子が寝ていた。その姿はとてもではないが王族には見えない。
「ひど……」
まだ怪我は見ていないが、何となくこの体つきを見ただけで、レスターがどんな境遇に居たのかが分かる。
「かけてもいいですか?」
「ああ、頼む。もう先生たちにも許可は取ってあるから、遠慮なくかけてくれ」
「はい」
そう言ってアリスは目を閉じた。思い浮かべるのは推しの顔だ。推しを見れば嫌な事は全て忘れられた。学校の悲惨なテストの結果も、ちょっとした怪我も全て。推しは偉大だ。まるで万病に効く特効薬のようだ!
「推し、ばんざーい!」
そう叫んで目を開くと、いつも以上に白い光が大量にレスターに降りかかった。
その途端、今の今まで苦しそうにしていたレスターの眉間の皺が和らぐ。
「アリスの魔法は根本的な傷が治る訳じゃないから、今の内に治療してやってね、ルイス」
いつの間にやってきたのか、アリスの魔法を見守っていたルイスの後ろからノアの声が聞こえて振り返ると、そこには仲間たち全員が怒りを露わにして立っている。
それを見た途端、何だかルイスは胸が熱くなるのを感じた。そして眠りにつこうとするレスターの頭を優しく撫でて言う。
「もう大丈夫だぞ、レスター。皆、お前の味方だ」
その声が聞こえたのかどうかは分からないが、眠りにつく寸前、レスターは一瞬だけ口角を上げて、そのまま眠ってしまった。
「今の内に頼む!」
ルイスの声に控えていた医者たちがレスターに駆け寄り処置し始めた。軟禁されていたとは言え王族だ。何かあったら、絶対にただでは済まない。
「ルイス、後は彼らに任せましょう」
「ああ、そうだな」
キャロラインに諭されて部屋を出るルイスの後に皆もゾロゾロと続く。そしてそのままキャロラインの部屋へ移動したのだが。
「そう言えば、ミアさんはどうしたんです?」
ふとキリが口を開いた。言われてみれば、ミアが居ない。一体どうしたのだろう? 首を傾げた皆にキャロラインは困ったように笑った。
「それがね、皆が出た後、私も家に戻ったのよ。その時にミアには休暇をあげたんだけど……まさかこんな事になるなんてね」
きっとミアは今頃急いでこちらに駆けつけている頃だろう。戻ってくるな、とは言ったが、血相を変えて戻ってくるミアの姿が容易に想像出来てしまう。
苦笑いを浮かべたキャロラインに、キリは頷いておもむろに電話をかけだす。
「キリ?」
誰に電話してるの? アリスがそう聞く前にキリは電話で話し出した。
「ミアさん、今どこらへんですか? ええ、ああ、まだ大分遠いですね。では、今日はもうそこの町の宿で休んでください。いいですか? いえ、あなたが今急いで戻ってきても、何もやることなどありません。お嬢様? キャロライン様ですか? 大丈夫です。キャロライン様はもう一人で麺も打てるので。着替えなど、麺打ちよりも簡単です。そんな事よりも、こんな夜にあなたがこちらに向かう事の方がキャロライン様は心配されますよ。朝、日が昇るまでは宿で大人しくしていてください。あと、宿は必ず鍵のかかる宿を探してくださいね。ええ、はい。ええ、では失礼します」
電話を切ったキリは小さなため息を落としてクルリとキャロラインの方を振り返った。
「そういう訳ですのでキャロライン様、今日は身支度はお一人でどうにかしてください」
有無を言わせないキリの態度に、キャロラインは何も言い返す事が出来ずに頷く。
「ありがとう、キリ。あの子、私が言っても言う事を聞かないのよ」
「言う事を聞かないのではありません。ミアさんはキャロライン様が心配なのです。ですが、ミアさんもまたキャロライン様に心配されているのだと自覚すべきです」
「……そうね。その通りよ。私もやっぱり言わなければ良かったわ……」
ミアは休暇中だろうが何だろうが絶対に戻ってくると言い出す事をキャロラインも分かっていた。だから最初は言おうかどうしようか迷ったのだ。
けれど、後から聞かされたら自分ならどうだろう? と考えてみた。そして思ったのだ。それは嫌だ、と。だから伝えたのだが、やっぱりミアは夜だというのにこちらに駆けつけて来ようとしたのだ。それが分かってキャロラインは今、猛省している。
そんなキャロラインにキリがいつものように淡々と言った。
「キャロライン様は何も間違えていません。あなたは後から聞かされた時のミアさんの気持ちを想ったからこそ伝えたのでしょう? そしてそれを受けてミアさんもまた、あなたを想って駆け付けようとした。主と従者の鑑だと思います。うちのお嬢様とは違って」
「そこいらなくない⁉ ねぇ、何でいっつも私を引き合いに出すの⁉」
途中まで凄く良い話だと感動していたアリスの頭を遠慮なく言葉で殴りつけてくるキリ。
「お嬢様、うちはうち。よそはよそです。引き合いには出しましたが、私は、主はノア様とお嬢様がいいです」
「え? デレ? デレなの?」
思わず照れたアリスに、キリが小さく微笑んだ。はっきり言って怖い。
「優秀なノア様は何も心配ありませんし、猿同然のお嬢様の相手が、私には丁度いいです」
言いたい事も言えるしな、とキリの顔にはしっかりと書いてある。とんだ従者である。
「ぐぬぬ……褒められていない」
「まあまあ、二人とも。それよりも、セレアルで何があったの?」
いつも通りの二人に少しだけ場が和んだ所にノアが話を戻した。
「ああ。セレアルに着いてすぐに俺はレスターにお土産があるから渡したいと言ったんだ――」
ルイスは出されたお茶を飲みながら深呼吸をして話し出した。そうでもしなければ、また怒りで我を忘れそうになる。
ルイスはセレアルに着いて挨拶もそこそこに、すぐにレスターの元に向かおうとした。ところが、皆してルイスをどうにか止めようとしたのだ。
レスターの母親だけでなく、執事やメイド達までもがどうにかしてルイスを引き留めようとしたので、流石のルイスもこれはおかしいとすぐに気付いた。
「そこでユーゴに頼んだんだ。夜中にこっそり様子を見て来てくれないか? と」
その命を受けてユーゴはすぐさま行動に移した。
深夜、鍵のかかったレスターが居る北の塔の壁をよじ登り、塔の先端の小窓から中を覗いて驚いたという。
そこには何も無かった。トイレと薄い毛布以外には何も。ベッドや机すらない、かなり劣悪な環境だった。床には手つかずのパンが一切れ残っていたが、外からでも分かるほどカピカピに乾いていた。
ユーゴは思わず塔の中に向かって声を掛けた。人間の気配どころか、生き物の気配すらしなくて心配になったのだ。
すると、暗がりの中から二つの光る何かが見えた。噂には聞いていたが、どうやらレスターは本当に夜に目が光るらしい。驚いたユーゴは一瞬壁から手を離しそうになったのだが、ふとアリスの羨ましい! という言葉を思い出して笑みを浮かべてしまった。
『何かおかしい? 僕の事、笑いに来たの? そもそも僕の事怖くないの?』
誰だ、とも聞かずにそんな事を言うレスターにユーゴは慌てて首を振った。
『すみませぇん、ちょっと知り合いの話を思い出しちゃってぇ。あと、怖いかどうかって聞かれたら俺、本物の化け物知ってるんで全然怖くないっすねぇ』
思い浮かべたのはもちろんアリスである。あれに比べれば目が夜に光るぐらいどうという事はない。
そんなユーゴにレスターは興味を抱いたのか、這いずるようにして近寄ってきた。
『化け物が僕の他にも居る? ほんとに?』
『いるねぇ。あっちは人の皮を被ってるから王子よりも質が悪いかもぉ。見た目は可愛い女の子なんだもん~』
間延びしたユーゴの話し方にレスターは小さく笑った。そして呻く。
『怪我してるのぉ?』
『うん。あんたみたいにちょっと前にそこからナイフ投げつけられたんだ。寝てたから避けれなくて、刺さっちゃった』
そう言ってユーゴに見えるように服を捲ったレスターの足にはくっきりとナイフが刺さった跡がある。血がこびりついたままで、化膿までしている。これは昨日今日の傷ではない。それを見てユーゴは息を飲んだ。
『どうして誰も呼ばないのぉ!』
『呼んでも来ないよ。誰もここには来ない……から……』
そう言って視線を伏せたレスターは、そのまま前に倒れ込んだ。その後はもういくらユーゴが声を掛けても起きる事はなくて、ユーゴは急いで塔を降りて鍵を壊して階段を駆け上がり、レスターを連れ出してルイスの部屋に戻ったのだ。
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