番外編 それぞれのバセット領

 何だかんだであっという間だったバセット領も明日で終わりである。


「露天風呂は良いなぁ。そりゃノアもここから離れたがらないよね」

「森に囲まれてるから空気もとても澄んでて毎日気持ち良かったわ」

「何と言っても、領民達が皆優しいな!」

「ルイス様、それは違います。領民達は普段お嬢様を見ているので、普通の貴族というものがよく分かっていないのです。基準がお嬢様であれば、大抵の人には優しく出来ますよ」

「ひどい! 兄さま、キリがひどいよ!」

「まぁ、その線は僕にも否定出来ないなぁ」


 ははは、と笑ったノアにアリスは口を尖らせてそっぽを向いてしまう。そんなアリスに皆で笑い、それぞれ部屋へ戻った。


 部屋に戻ったキャロラインは、ミアと一緒に寝る前の露天風呂に入って最後まで温泉を堪能した。ほんの数日だったのに、キャロラインの肌は化粧水をつけなくてもピカピカと輝くように潤っている。もちろん、ミアも。


「美人の湯というのは本当だったのね。肌が冬とは思えないほどスベスベよ」

「はい! 私もここ2、3日は化粧水をつけなくても肌がうるうるでした!」

「温泉って素敵ねぇ。学園にもこういうのがあればいいのに……」

「本当ですね……アリス様に頼んだらどこかから見つけてきてくれませんかねぇ」

「いやだミアったら! あの子は温泉探知機じゃないのよ?」


 ミアの言葉にお腹を抱えて笑ったキャロラインとミアの夜は、こうして更けていった。


 一方、カインの部屋でもカインは一人、露天風呂で月身酒などしていた。そこへシリーを連れたオスカーがやってくる。


「いいね、カイン。美味しい?」

「美味いよ。お前も入るか?」

「いいの? じゃあちょっとだけ。ちょっと待ってて」


 オスカーはそう言って部屋に戻ると、アリスに貰ったシリーのベッド(ウルフが昔使っていた)を持ってきて、お湯のかからない所に籠を置き、シリーをその中に入れた。


「ちょっと待っててね。そこから出ちゃ駄目だよ」

「ァゥ~」


 オスカーの声に反応するようにシリーは籠の中から顔だけ出してたまに飛んでくる飛沫に頭をプルプル振っている。


「はぁ~……ここ最高じゃね?」

「楽しかったよね。俺こんなにはしゃいだの久しぶりかも」

「狼の赤ちゃんも手に入れたし?」


 笑いながらそんな事を言うカインにオスカーは苦笑いしながら頷いた。


「それは流石に予想外だったけどさ。でも学園に戻ったらすぐにルード様が引き取りに来ちゃうんでしょ?」

「そうだなぁ。何かあの後母さんから電話あったけど、皆すっごい楽しみにしてるらしいぞ。どうもチビ達が学園に泊まりに来てた時にアリスちゃんに狼について話をよく聞いてたみたいでさ。既にシリーの世話を誰がするかで揉めてるって言ってた」

「誰が参戦したのさ?」

「ん? 親父と兄貴とチビ二人だって。結局皆で仲良く面倒見る事になったみたいだけど、シリーが大きくなるまでルードは家に居る事になると思うの! って母さんはしゃいでたよ」


 離れて暮らしていた時間があまりにも長かった兄と両親である。母親からしたら、息子と嫁と孫がいっぺんに帰って来たのはとてつもなく嬉しいのだろう。


「そっかぁ。寂しくなるけど、それじゃあ仕方ないね。シリー、僕達の事、忘れないでね」


 手を伸ばしてシリーの頭を撫でたオスカーの指をシリーは目を細めて舐めた。多分温泉を舐めているのだろうが、それでも何だか切なくなってくる。


「まぁ、また休みに帰ればいいじゃん。それに、卒業したら嫌でもずっと一緒だよ」

「それもそっか」


 二人と一匹は月を見上げ、濃厚だったバセット領での出来事を思い返していた。


 ルイスは寝る前のお茶を淹れてくれたトーマスと、やはりベランダから月を見上げていた。 


 ベランダには小さなテーブルと折りたたみ椅子が置いてあったので、そこに座って温かいお茶を飲みながらハンナが焼いてくれたハーブと紅茶のクッキーを食べる。


「はぁ……明日帰るのか」

「寂しくなりますねぇ」

「それもだが……まだ全部の家の天地返しが終わっていなかったんだ」

「気に入ってますねぇ」

「いやこれがな、なかなかどうして、スッキリするんだよ」


 ここ数日の状態をルイスが話すと、トーマスはおかしそうに笑った。


「確かに天地返ししている間は何も考えられませんもんね。ただひたすら土を掘り起こすだけの作業だというのに」

「そうなんだ。でも案外それが良かったんだろうな。久しぶりに何も考えない一週間だったな」


 ほんのり甘いクッキーを齧りながらそんな事を言うと、トーマスも頷いた。


「また来たいですね」


 ポツリと言ったトーマスの言葉にルイスは驚く。


「お前がそんな事を言うのは珍しいな!」

「叔母の家の雰囲気と少しだけ似ているんですよ、ここは。豊かな自然と気の良い領民。自然と共に生きているような人達。何だかね、とても懐かしくなってしまいました」


 視線を伏せたトーマスにルイスも頷いた。サマンサの家がどこにあったのかはルイスは知らないが、確かにサマンサの醸し出す雰囲気とここの領民達の雰囲気は似ている。


「……サミーが生きていたら、きっとここの事を話したら喜んだんだろうな」


 月を見上げて呟いたルイスに、トーマスは泣きそうな顔で笑った。


「聞いてますよ。叔母はあなたの事を、ずっとずっと側で見守っているはずですから」

「そうか。トーマスが言うんならきっとそうなんだろうな。サミーもあの月を見ているかな」

「ええ、きっと」


 トーマスの言葉にルイスは嬉しそうに微笑んだ。


 きっと今も側に居るサマンサに思いを馳せながら、二人はしばらくそこで月を見上げていた。


 翌朝、アリス特製のうどんを食べた一同は、昼過ぎにバセット領を出た。


 馬車に乗って街道を走っていると、あちこちから領民達に野菜や肉やチーズなどのお土産を手渡される。中には一緒に天地返しをした子も居て、泣きながら手を振ってくれていた。何だかそんな光景を見ると、じんわりとルイスの目頭にも涙が溜まる。


 街道を抜けて森に入ると、それまで窓の外に向かって手を振っていたノアが座席に座って呆れたような顔をルイスに向けた。


「大袈裟だなぁ、ルイスは」

「そ、そんな事言っても仕方ないだろう⁉ お前らと違って俺は次いつ来れるか分からないんだぞ!」

「いや、そりゃそうだけどさ。それにしても、ねぇ?」


 泣くほど? ノアの言葉にルイスは言葉を詰まらせてそっぽを向いた。


「ルンルン! ウルフ! シリーちゃんと育てるからな! お前らも元気で居ろよ!」


 走る馬車と並走するのは、ルンルンとウルフ一家だ。カインとオスカーはノアを押しのけて馬車から身を乗り出して叫ぶと、ルンルンとウルフ一家は森の出口まで見送ってくれた。最後に挨拶のような、どこか物悲しい遠吠えが聞こえてきてカインとオスカーまでも涙ぐむ。


「ほらみろ! こいつらもだぞ!」

「何なの、皆して。ここにリー君が居たら間違いなく馬鹿にされてたと思うよ」


 呆れたノアにカインが照れたように涙を拭って笑った。籠の中のシリーは遠吠えに反応したかのように自分も一生懸命遠吠えもどきをしている。


「先に言っときます。多分、俺シリー渡す時も泣くかもしれません」

「マジですか。じゃあまたルンルンが子供を連れてきたら、一番にオスカーさんに連絡します。是非とも引き取ってください」


 冗談半分でそんな事を言ったキリに、オスカーは身を乗り出して頷いた。


「ええ! 是非!」

「……」


 コイツマジか、の目をオスカーに向けたキリは小さく頷いて窓の外に目をやると、森がどんどん遠くなっていく。


「それにしても、今回の里帰りも大変でしたね」

「本当にね。でも、色々収穫もあったよ。何より久しぶりのスキヤキが震える程美味しかった!」

「確かにあれは美味かったな! 最初はチーズフォンデュにしてもだが、一つの鍋から皆で食べるとか生卵をつけるとか何言ってるのかと思ったが、あれは美味かった」


 何かを思い出すようにルイスがゴクリと息を飲むと、隣でカインも深く頷いている。


「学園に戻ったらアリスちゃんにレシピを聞いておこっと。チビ達にも食べさせてやりたい」

「いいんじゃない。鍋料理は野菜もとにかく沢山食べられるからね」

「色々大変な目にも遭ったけど、楽しかったわ!」

「お嬢様、珍しくずっとはしゃいでましたもんね」

「まぁ! ミアもでしょ? あの温泉の話をしていた時のあなたは本当にアリスが乗り移っているようだったわよ?」

「え! そんなにですか?」

「そうよ! ふふ、楽しかったわね!」

「はい!」


 顔を綻ばせて笑うキャロラインとミアにキリが口を開く。


「またいつでもいらしてください、ミアさん。お友達が沢山待っているので」

「豚ですよね⁉ そのお友達って、絶対豚ですよね⁉」

「もちろんです。森には猿も居ます。きっと楽しいですよ」

「も、もう知りません!」


 今度はミアがフイとそっぽを向いた所に、


「たそが~~れの~~~にわ~~~ふふ~~~ん」


 大音量のアリスの歌が始まった。その声に皆はげんなりした様子でお互い顔を見合わせる。


「地獄が始まったぞ」

「大丈夫。学園までは半日だよ」

「あの子、ほとんど歌詞覚えてないのに、何故歌おうとするのかしら」


 少しも黙っていられないアリスは、たとえ歌詞が分からなくても歌うのだ。その歌の破壊力も知らずに。


「ちなみに、あれは、迷宮の中で、だよ」

「嘘だろ⁉」

「嘘だよね⁉」

「少しも合ってないわよ!」


 全員の突っ込みが辺りに響き渡ったのだった。

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