番外編 バセット領でお手伝い
ルイスは、天地返しでたっぷり汗をかいたルイスは、体の中から何かモヤモヤした物が汗と一緒に流れ出るのを感じていた。その後に露天風呂に入り食事をしてベッドに転がると、いつものように嫌な夢を見る事もなくすぐに眠りにつき、気付けば朝だったという体験を、バセット家に来てからずっとしている。
体も頭もとてもすっきりしていて、いつまでも動けそうだ。こんな感覚、もうずっと味わっていなかったような気がする。
ルイスは寝る前のトーマスとのお茶をしてベッドに転がった。寮の部屋とも王宮の部屋とも違う、随分薄汚れた天井にルイスは思わず笑みを零す。
「誰もあそこまでは拭かないのか」
この屋敷にはハンナしかメイドが居ない。だから使っていない部屋は掃除すらしていないという。それでいいのか! とノアに抗議すると、ノアは真顔で頷いて言った。『それは労力の無駄だから』と。なるほど、天井のシミを消すのも労力の無駄か。
「確かに明かりを消せば見えないものな」
無駄な所をとことん省き、その分自由な時間を確保する。実にノアらしい考え方だ。
「ふふふ。確かに無駄だな」
そう考えると王宮は無駄が多い。誰も居ない牢屋まで毎日ピカピカに磨き上げ、掃除をしているのははっきり言って無駄だ。その分次の日の仕事を早目に始めてゆっくりする日があってもいいのではないか。
「後を継いだらノアに一度、王宮の無駄を見てもらう事にしよう」
小さな欠伸を噛み殺したルイスは、今日もまたあっという間に夢の中に吸い込まれていた。
翌朝、サルマン宅に着いたアリスとキリ、ルイスとトーマスは、すっかり馴染み始めたマイ鍬を持って今日も畑を耕していた。
「ルイス様、大分鍬を持つ姿が板についてきましたね!」
「そうか?」
「はい! 体力もついてきたんじゃないですか? スピードも上がったし!」
「そ、そうか」
アリスに褒められて嬉しそうにはにかんだルイスを見て、トーマスが微笑んだ。確かにルイスは大分様になってきたように思う。初日はそれはもうアリスとキリに畑仕事の何たるかを叩き込まれて右往左往していたというのに。
ルイスが『耕す』をマスターしたおかげで畑仕事は思ったよりも早く終わった。そこへサルマン夫妻がお茶とお菓子を持って出て来る。
「まぁまぁ、これはこれは! 来年はきっと美味しい野菜ができますねぇ、あなた」
「ほんとだな! 若いもんはやっぱり体力が違うねぇ。ほらお嬢、これ持って帰れ」
「わぁ! お野菜だぁ~! こっちの袋は……え⁉ に、肉⁉ こんなに? 貰っていいの⁉ ありがと~~~」
「ははは! 昨日野菜売りに隣町に行ったら、丁度潰したての牛の解体しててな! つい調子に乗って沢山買いこんじまったんだ」
「もう、私達だけでこんなに食べきれる訳ないのにねぇ~」
そんな事を言いながらニコニコして近寄ってくる夫妻にルイスもまた嬉しそうに笑みを返す。
「しかし王子がこんな事をしてくれるなんてなぁ」
「本当よ。お嬢はてっきり動物しかお友達が居ないと思ってたわぁ」
「酷い! ちゃんと人間の友達も居るもん!」
握りこぶしを握って抗議するアリスをキリが止めつつ、用意されたお茶とお菓子を受け取って地面に座り込んだ一同は、ようやく一息ついた。
「これを毎日、国民達はしているんだな」
ポツリと言ったルイスの言葉にサルマン夫妻が頷く。
「そのおかげで、俺達は毎日食事が出来るんだな……」
そんな事すら知らず、王子だという事だけで偉そうにしていた自分が恥ずかしい。
俯いたルイスにサルマン夫妻は、まるで何てことないように笑った。
「そりゃお互い様ですよ、王子。王家の人達がルーデリアをしっかり守ってくれているから、私達は何の心配もなく畑仕事に勤しむ事が出来るんですよ」
「どっちが凄いとか偉いとか無いんですよ! どっちも偉くてどっちも凄い! ね!」
満面の笑みでそんな事を言うアリスの隣でキリもトーマスも頷いている。
「そうか。では、俺に出来る事は、この平和が末永く続くようにする事だな」
「そうですそうです! キャロライン様と一緒に!」
「そうですよぉ。王さまになったら早く子供の顔を見せてくださいね」
「な! 気が早いわ!」
顔を真っ赤にして抗議したルイスに皆はおかしそうに笑った。
バセット領では、今回の事でルイス王子の評判は爆上がりした。素直で優しくて、恥ずかしがり屋のルイス王子。畑仕事も率先して手伝うような、市民の視線に立てる王になるだろう。
春になると、この噂がバセット領からジワジワと伝播していき、夏には国民の大半が次の王政にはルイスを推すようになるのだが、それはまだもう少しだけ先の未来だ。
「ドンブリ! そっち行ったぞー!」
「キュウ!」
「ウォンウォン!」
その頃、カインとオスカー、ノアとキャロライン、ミアは鶏を追い回していた。
鶏の小屋が老朽化してきて困っている。そんな報告が嘆願書の中にあったのだという。それは個人の家で行う事なのでは。カインはそう思ったのだが、バセット領ではどうやら当たり前の事らしい。
そして今、鶏小屋を修理するにあたりこうやって皆で小屋の中に居た鶏を外へ出し、リボンをつけて小屋の修理が終わるまでの間、違う家の放牧地へと連れて行く作業をしていた。
これが中々骨が折れるのだ。さっきからこうやって追い回して一羽一羽にリボンをつける作業にまずは苦労している。
「キャロライン!」
「ひやぁ!」
キャロラインは寄って来た鶏から逃げるようにミアの後ろに回り込んだ。すると、ミアがテキパキと首に赤いリボンを巻いていく。
「キャロライン、鶏に好かれてるな~」
「さっきから殆どキャロライン様の所に行きますもんね」
逃げ惑うキャロラインが面白いのか、鶏たちは何故かこぞってキャロラインめがけて突進していく。
「な、何故なの⁉ こんなに怖がっているのが伝わらないのかしら⁉」
本気で怒鳴るキャロラインに、メルン夫妻はニコニコして柵の外からそんな光景を見ている。
「いや~鶏も美人さんが好きなんだねぇ」
「女の子の所にばかり行くものねぇ~」
広い広大な土地で育てられた鶏たちはストレスフリーでいつでも元気一杯である。
「僕の所には全然寄って来ないんだよねぇ」
困ったように言うノアを見てメルン夫妻は声を出して笑う。
「そりゃ坊ちゃんはもう鶏たちも慣れっこですから!」
「そう? やっぱりアリス連れてくれば良かったかな。そしたらすぐに捕まるのになぁ」
「いやぁお嬢はねぇ……鶏たちからしたらボスみたいなもんですわ」
ははは! と笑うメルン夫妻にノアも楽し気に頷いた。言葉が分かる動物に分類されているアリスは、この領内の動物たちのボスとして君臨している。だからアリスがやってくると、動物たちはいつも少しだけ緊張感を走らせるのだ。
「ドンブリー! 右手から回り込んでこっちに追い立てて~!」
「キュキュー!」
「ウォウン!」
見た事のない生き物と足のやたら短い犬に追い立てられた鶏たちが、カインとトーマスによって捕らえられていく。
「しかし次期宰相様がこんなにも動物好きだったとはなぁ! 扱いも二人とも上手い上手い!」
柵の外から楽し気にその光景を見ていたメルン夫妻が言うと、ノアが頷いた。
「この間ルンルンの連れて来た成長の遅い子供も、カインが引き取ってくれるんです」
「へぇ! そりゃいい。大事にしてもらえるのが一番だ」
領民達は別に今の王政に反対もしていないが、特に賛成もしていない。
何故なら、やはり得をするのは貴族たちだけで、自分達庶民の所にまで恩恵はなかなか降りてこないからだ。バセット領はこれと言った特産品もないし大きな会社もないので裕福ではないが、大体の事は領内だけで回るので、そこまで不自由でもない。
しかし、トップに立つ人達のこういう一面を見れた事は、とてもいい判断材料になる。
鶏を別の土地に移し終えた一行は、続いて鶏小屋の改築に取り掛かった。ここではカインとキャロラインが軸となり、ノアとオスカーとミアがその指示に従って小屋を改善していく事になった。その手際の良さはやはり次期宰相と次期王妃様だとメルン夫妻は褒め称えた。
実際、指示が的確で無駄が無いから動く方も動きやすい。
「後は屋根だな! よし、ノア、オスカー、行ってこい!」
カインは二人に何枚かの瓦と修繕に使う漆喰を持たせて言った。その言葉にノアは渋々、オスカーは楽しそうに屋根に上がっていく。
「屋根までしてくれるなんて、助かるわぁ」
「最近雨漏りしてたんだ。助かるよ」
「いえいえ。依頼を受けたからには、納得いくまでやりますよ」
「カインはそういう所の責任感は強いわよね」
下でそんな談笑しているうちに、あっという間に屋根の修繕は終わった。
試しに水を屋根の上に流して小屋の中に入って確認してみたが、もうどこからも雨漏りはしない。最後に鶏をまた元の場所に戻して、作業は完了だ。
「本当にありがとう! 助かりましたよ。これ、少ないですが、皆で食べてくださいね」
「まぁ! 立派な玉子!」
そう言って渡されたのは今朝産んだばかりの大量の玉子である。大きなザルに玉子を入れてもらって意気揚々と家に帰ると、厨房から何やらとてつもなくいい匂いがしてきた。その匂いにノアはパァっと顔を輝かせて、今しがた貰った玉子を持って厨房に駆け込んだ。
はっきり言ってこんなノアの態度はとても珍しい。
「アリス! 今日の夕食はもしかしてスキヤキ⁉」
「兄さま、お帰りなさい。そうだよ! もう匂いしてた?」
「してた! すっごくいい匂いしてたよ。はい、これお土産」
ノアは貰って来た玉子をアリスに渡すと、アリスはその玉子を受け取って顔を輝かせる。
「生でいける?」
「いける。今朝取れたとこだって」
「やったぁ! キリ、生卵ゲットしたよ!」
「本当ですか。良かったです、今から買いに走る所だったんです」
どことなく嬉しそうなキリを見てノアも頷く。
「スキヤキには玉子がないとね」
いつになく嬉しそうなバセット家の面々に一同が首を傾げていると、ノアがスキヤキについて教えてくれた。それを聞いた途端、カインとドンのお腹が同時に鳴る。
「カイン様……恥ずかしいなぁ、もう」
「いや、仕方なくない⁉ そんなん美味しいに決まってるって! なぁドン?」
「キュ!」
「大丈夫だぞ、カイン。俺もさっき全く同じことをしたからな!」
「本当です。私も顔から火が出るかと思いましたよ」
そう言ってトーマスはちらりとルイスを見て笑った。その三十分後――。
「それ! 俺が入れてたやつだろ!」
「知らん。俺の目の前に入れたお前が悪い」
「はい、アリス。半生のお肉だよ~」
「ありがとう、兄さま!」
「美味しいわねぇ、ミア」
「はい~!」
「あ、ちょ、キリ君、それ俺のじゃないです?」
「いいえ、俺のです」
「二人とも、私のですよ」
最初は生卵に食材をつけて食べるという食べ方に抵抗があった一同だが、アリスやノア、キリが美味しそうに食べているのを見て試してみたところ、見事にハマってしまった。
「美味いなぁ~。こんな食べ方は初めてだが……これは確かに厨房まで走るな」
「言えてる。アリスちゃんのレシピはほんと、飽きないね」
「いや~どーもどーも。キリ! それ私の!」
「申し訳ありませんお嬢様、どこにもお名前が書かれていなかったもので」
そう言ってキリは肉を口に放り込んだ。
「ぐぬぅぅぅぅ」
ブルブルとフォークを震わせたアリスを見てキリは鼻で笑う。そんな二人の取り皿に、ノアの手によって肉が追加された。
「喧嘩しないの、二人とも」
あちこちで起こる小さな諍いに苦笑いを浮かべたノアは、自身も肉を頬張って目を細めたのだった――。
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