第百二十八話 女店主ミランダ

 マリーとフランが楽しくデートをしている頃、オリバーとドロシーは任務の真っ最中だった。お世話になった宿を出ようとお会計をすると、出て行く時に宿の主に声を掛けられた。


「あんた達、兄妹かい?」

「そっす。ルーデリアの貴族の所から逃げて来たんすよ」


 サラリと生い立ちを話したオリバーに、店主が怪訝そうな顔つきに変わった。


「……どういう事だい?」

「えっと……話せば長くなんるんすけど……」


 オリバーがそう言うと、店主はカウンターの奥に引っ込んだかと思うと、徐に椅子を三脚引っ張り出してきた。


「座んな。気になってたんだよ。ズボンとシャツは破れてるし、荷物も何にもないみたいだし。で、どういう事だい?」


 二人に椅子に座るよう促した店主は、ついでだとばかりに暖かいミルクまで用意してくれた。お金が無いからと言って断ったオリバーに、店主は真顔で、金はいらない、という。


 頷いたオリバーがお礼を言うと、隣でドロシーも頭をペコリと下げた。その様子が気になったのか、店主はさっきからずっとドロシーを見ている。


「実は、妹は口が利けないんすよ。だから勤めてた所でその――酷い目にあってたみたいで」


 そう言って視線を伏せたオリバーを見て、店主はさらに視線をキツくした。


「酷い目? それは……いや、止めとこう。思い出させるのは可哀相だね、こんな小さな子に」


 何をされたのかは分からないが、ドロシーがビクリと肩を震わせたのを見て店主は口を噤んだ。オリバーの服の裾を掴んだドロシーの手は、さっきからずっと震えている。


 店主はそれを、辛い目を思い出させてしまったのだろうと思って反省していたのだが、本当の所は、嘘という嘘を吐いた事がないドロシーは、ただ単にバレやしないかと震えていただけなのである。


 しかし、それが功を奏した。店主の中でこの二人はルーデリアからの刺客という訳ではなく、ただ単に横暴な領主から逃げ出してきただけの、哀れな兄妹なのだと刷り込まれたのだから。


「あんた達、これからどうするんだい?」

「何も考えないで、とりあえず飛び出してきたんす。だからどこに行くかもまだ決まってなくて……出来れば少しだけグランに隠れてたいんすけど、どこか良い所はないっすか?」


 暗にすぐ戻ると探されている可能性があるという事を店主に伝えたオリバーは、困ったような顔をしてドロシーを撫でた。あまりにも震えているからだ。そんな仕草がまた、店主の同情を引くには良かったらしい。鹿爪らしい顔で頷いた店主は、腕を組んで考え込んだあと、オリバーに言った。


「しばらくここに居たらいい。金はいらないよ。その代わり、一階の食堂の手伝いをしてくれるかい?」 

「い、いいんですか⁉」

「!」

「構わないよ。部屋も二つに別けてやろうか?」


 昨夜は一部屋しか空いてない! などと言っておきながら調子のいい事だと思いながら、オリバーがドロシーを見ると、意外な事にドロシーはオリバーの服をさらにキツく掴んで首を横に振った。それを見た店主は、ようやく表情を緩める。


「兄ちゃんと一緒がいいか! じゃあ、せめてもうちょっと広い部屋に移してやるよ。二人であの部屋は狭かったろ?」

「あ、ありがとうございます!」


 まさかこんなとんとん拍子に行くとは思っていなかったオリバーは、思わず率直に言ってしまった。


「すぐに追い出されると思ってたっす……すみません、こんな事言って」

「いや、構わないよ。このグランではよそ者をあんまり歓迎しないからね。でも、事情がある人間は別だよ。その為のグランだって、私達は思ってるんだ」

「その為のグラン?」

「そうさ。ここに居る者達はほとんどがルーデリアかフォルスから逃げてきた奴らばっかりなんだよ。元々のグランの領民なんて、今やもうほとんど居ない。領主一家ぐらいじゃないかね。その領主自身が、元々はフォルスに居た貴族なんだよ。先代のフォルス大公に罪をなすりつけられてルーデリアに亡命したが断られ、この荒れて浮いてた土地を開墾した、そりゃあ私達にとっちゃ英雄みたいな人でね」

「そう、なんすね……」

「そうさ。この土地は元々はとんでもない荒れ地で、フォルスもルーデリアも欲しがらなかった。それが良かったんだろうね。すぐさまここで独立宣言して、開墾してったんだよ。そうして出来上がったのがグランだ。とは言え、決して豊かな領地では無いよ。何せ小麦しか無いんだから。それでもフォルスやルーデリアよりはマシだって思う者がここに住み着いてるって訳さ」

「ちなみに、あなたはどちらの国から?」

「私はルーデリアだよ。私の祖母がルーデリアから出て来たんだ。あんた達と同じように、ルーデリアの貴族の家で嫌な目にあってね。独り身でここに逃げてきて子供を産んだ。それが私の父なんだよ」

「……そうでしたか」


 よくある話だ。メイドをやっていてそこの貴族のお手付きになり、そのまま放り出される。愛人になれでもしたらまだマシなのかもしれないが、独身で身ごもってしまうのは外聞も悪いので家にも帰れない。つまり、そういう事だったのだろう。


 それを隣で聞いていたドロシーの目から涙がポロリと零れた。


「ああ、ごめんね! 変な話をしちまったね! ほら、何もあんたが泣く事はないよ。これでも飲んで、落ち着きな」


 無言で涙を流すドロシーを見て、店主は慌てたようにドロシーの頭を撫でてミルクを持たせた。ドロシーはコクリと頷いてミルクを一口飲むと、袖で涙を拭う。


「こんな可愛い顔をしてるのにそんなボロじゃ可哀相だね。ちょっと待ってな。確か娘のドレスがまだ何着かあったはずなんだ」


 そう言って席を立った店主は、また店の奥に引っ込んでいく。


 グス、と鼻をすするドロシーを落ち着かせるようにオリバーが背中を撫でてやると、ようやくドロシーの強張った体から力が抜けた。ドロシーのポケット中から桃がドロシーを撫でるジェスチャーをしている。


「大丈夫っすか?」


 コクリ。


「無理はしちゃ駄目っすよ?」


 コクリ。


 そこへ、店主がバタバタとドレスを抱えて戻ってきた。


「あったあった! 良かったよ、何かの時の為に置いてあって。ほら、何色が良い?」

「え、でも……いいんすか?」

「構わないよ。私じゃ着れないし、娘はとっくの昔に成人しちまって、フォルスの鍛冶屋に嫁いだからね」

「え⁉ 娘んさんがフォルスに⁉ そ、それは……いいんすか?」


 てっきり、グランはグランの中だけで婚姻を結ぶのだろうと思っていたオリバーだったのだが、どうやらそうでもないらしい。本気で驚いたオリバーを見て、店主は声を出して笑った。


「ははは! 娘の人生は娘のものだよ。周りが何と言おうとも、それは私達には曲げられないよ。それに、別に私達はフォルスやルーデリアが嫌いな訳じゃないからね。ただ中立でいる。それだけだよ。でないと私達は小麦しか食べられなくなっちまうじゃないか!」

「あ、そっか……そっすよね」


 どちらとも仲良く出来る、そういう立場をグランは選んだのだ。ここで初めてノアの言っていた意味がちゃんと分かった。グランの立場を守る為に、チャップマン商会との契約を結ぶ。それはこういう意味だったのだろう。ルイスやカインやキャロラインがいくら頭を下げたとしても、きっとグランは頷かない。

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