第九十九話 あだなに実家は止めて欲しい

 そうして夕方に学園に到着した頃には、オリバーの目は完全に据わっていた。


 ノアに連れられて辿り着いた場所はルイスの部屋の前で、オリバーはいよいよ腹を括った。


「王子様直々に断罪でもしてくれるんすか?」


 唸り声のように声を絞り出したオリバーを見て、ノアは一瞬首を傾げた。


「ん? 断罪? 君断罪されるような事、何かしたの?」

「知っててここに連れて来たんすよね?」

「いや? 君がオピリアを見張ってるって事しか知らないよ。ああ、暗殺者見習いって言うのは知ってるけど、まだ誰も殺してないでしょ?」


 アリスの言う設定によれば、オリバーはこの時点ではまだ見習いで誰も暗殺などしていないはずだ。


「確かにまだ殺してはないっすけど。でも、これから先はどうなるか――」


 キャスパーに人質として母親を盾に取られている以上、オリバーは命令されれば何でもしなければならない。


 顔を歪ませたオリバーを見て、ノアはまだキョトンとしている。


「ああ、大丈夫だよ。君はもう、そんな事しようだなんて二度と思わないだろうから」

「?」

「ようこそ、世界を救おう秘密結社、略してSWSへ」

「S……W……S?」


 事情が全く呑み込めないオリバーを無視してノアはルイスの部屋の扉を開いた。すると、中から銀髪の美少女が眉を吊り上げてこちらに向かって叫んでくる。


「ねえ、そのダサイ名前なに⁉ 初めて聞いたんだけど!」

「あ、リー君。ただいま」

「おかえり。で、その人がオリバー? うわ、ほんとに地味だね」


 適当な挨拶をしたリアンはオリバーの顔を覗き込んで暴言を吐く。どれだけ美少女でもいきなりこんな事を言われると思ってもいなかったオリバーは、流石にムッとした。


「ははは! リー君は初対面の人間に対しても全く容赦がないな!」

「おかえり~無事捕まったみたいで良かったよ」

「ただいまで~す! 皆のお土産もちゃんと買ってきましたよ~!」


 いつまでも入り口の所に居るノアとオリバーを押しのけて部屋に入室したアリスは、両手に持っていた袋を机の上に置いた。


「おかえりなさい、アリス。アランに聞いたわ。大変だったんですって?」

「そうよ! あれほど気を付けてって言ったのに、アリスったら、アリスったら……」


 心配そうに駆け寄ってきたキャロラインと、泣きそうな顔で抱き着いてくるライラを受け止めると、アリスは頷いた。


「そうなんですよ! あれのせいでお昼一食分無駄にしちゃって、絶対に許さないんだから!」

「……まあ、予測はしていたけれど、あなたの沸点はいつだって食に関する事よね」


 呆れたようなキャロラインだったが、アランからアリスが薬物で中毒症状を起こしているかもしれないと聞いた時は、本当にすぐにでも駆け付けようかと思ったほど心配した。


「良かった……もう、あんまり心配させないでよ、アリス」

「うん、ごめんね、ライラ。この通りピンピンしてるからね」


 よしよしとライラの頭を撫でたアリスは、机の上に置いたお土産を皆に配ると、お茶を持ってきてくれたトーマスにお礼を言って、ようやく一息ついた。


「何をしている? オリバーも早く入るといい」


 ルイスの声にオリバーはビクリと体を強張らせた。そんなオリバーの背中をノアが押す。


「大丈夫だってば。皆君の事情は知ってるから。ていうか、それも含めて話をしたいんだよ、君と。でもまずはあれを見てもらおうか」


 ノアがアランに目配せすると、アランは頷いて立ち上がった。


「うわぁ~あれいきなり見せるんだ。悲惨~。せめてちょっと休憩してからにしたら?」


 自分も突然捕まえられて強制的にループ映像を見せられたので分かる。あれはある程度の心の準備をしていないと精神的に結構キツイ。


「見せるの忘れると困るからね。覚えてるうちに見せとかないと。あと、もう絶対逃げられないようにしとかないとね?」

「うわぁ鬼畜ぅ……オリバー、ご愁傷様」

「ご愁傷様って……何なんすか?」


 そんな美少女の反応を聞いて、オリバーはそっと視線を走らせたが、誰も助けてくれようとはしない。それどころか、皆オリバーから視線をそっと逸らすではないか。


「それじゃあオリバー。いってらっしゃーい」

「頑張れ、モブ!」


 笑顔で手を振るノアとガッツポーズをとるアリスを恨めしく思いながらも、オリバーは引きずられるまま隣の部屋に移されて――。


 約一時間後、オリバーは憔悴しきった顔でアランに申し出た。


「も、もういいっす。何か……訳分からん事になってるって事だけはよく分かったんで……」

「そうですか? まだまだ続きありますよ? あと十三回分も」

「いや! マジで大丈夫なんで! ほんと、もう十分だから!」


 両手を縛られているので手を振る事は出来ないが、代わりにこれでもかと言う程頭を振ったオリバーは、その場に膝から崩れ落ちた。そしてまたアランに引きずられるようにリビングに戻ると、そこでは皆がお菓子を抓みながら談笑しているではないか。


「や、待って。この温度差酷くないっすか?」


 ポツリと呟いたオリバーに一番に気付いたのはアリスだった。


「おっかえり~! どうだった? モブ!」

「いや、俺一応あんたの先輩なんだけど。てか、そのモブってなんすか?」

「モブはモブだよ~。で、話はこっからだよ。ループについてはアレ見たら納得したでしょ?」

「ええ、まぁ。え? まだあるんすか?」


 これ以上? オリバーはキャロラインに進められるがままアリスの向かいの席に腰を下ろすと、フンと鼻で笑った。今見た映像の破壊力は凄かった。確かにノアの言う通り、キャスパーの言いなりになって暗殺などしている場合ではない。あれ以上の衝撃はもうない。そう思っていたのに。


「……」


 アリスの話を聞き終えたオリバーは、ポカンと口を開けたまま天井を仰ぎ見ていた。多分、こんなにも情けない姿を誰かに見せた事はないのではないだろうか。そしてモブの意味も正しく理解した。オリバーがしばらくそのままで動けないでいると、突然顔に黒い何かが覆いかぶさってきた。それと同時に誰かが部屋に飛び込んできて、オリバーの顔から何かを剥がす。


「すみません、ドンちゃんが逃げちゃって! 皆が帰ってきたのが分かったんですかね~。ああ、こんな所に! ドンちゃん、駄目だよ~。でも一杯飛べたの偉いね~」

「?」


 一体何がオリバーの顔にしがみついてきたのか確認しようと首を上げた所で、オリバーは固まった。見た事もない生き物が、じっとこちらを見ているのだ。


「こ、これ……」

「ああ、うん。ドラゴンの赤ちゃんだよ。かっわいいでしょ~? 女の子でドンちゃんって言います。よろしくね」

「キュ!」


 オスカーに抱っこされたまま、ドンは尻尾を振った。ブリッジが教えてくれた技である。


 ループにゲーム、挙句の果てにドラゴン? オリバーの頭は最早パンク寸前だった。知らず知らずのうちにじんわりと涙が浮かんでくる。そんなオリバーを見て、美少女がそっとハンカチを貸してくれる。


「まあ、災難だったよね、あんたも」

「あ、ありがとう、えっと……?」

「リアンだよ。リアン・チャップマン。子爵家なんだ。よろしく」

「よ、よろしく。これ、洗って返す。リアンさん」


 オリバーの一言にリアンの眉がピクリと動いた。次の瞬間、オリバーのお腹に抉るようなパンチが飛んでくる。


「⁉」

「僕は男だよ! ちゃんとライラって言う婚約者も居るんだから、二度と間違えないでよね!」

「お、男⁉ さ、詐欺だ!」

「うっさい! もう一発殴るよ⁉」

「ははは! リー君は喧嘩っ早いからな! 気を付けた方がいいぞ、モブ」

「そうそう。リー君すぐに手が出ちゃうからな~。気をつけなきゃだよ、モブ」

「いや、そのモブっての止めてくれません? 何か凄いバカにされてる気がするんすけど」


 モブの意味を正しく理解した今となっては、非常に嫌なあだ名である。すると、正面でアリスが口元に手を当てて考える仕草をした。


「しょうがないな~。じゃあ、実家?」

「いや、それもうあだ名とかじゃないっしょ。モブで良いっすよ、もう」


 何もかも諦めたようなオリバーを見て、ノアが苦笑いを浮かべた。

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