第九十八話 ホラーアリスと捕まったモブ
『リーフプランツ』に到着した三人は息を整え、オリバーの居た部屋を見上げた。
「あそこです」
「アリス、いい? オリバーを無傷で捕まえる。そういう魔法をかけるんだよ?」
「分かった」
頷いたアリスは集中した。自分を丸ごと包み込むイメージをする。そして思い描いた。あのグッズ戦争を。シャルル抱き枕欲しさに夜中にこっそりと家を抜け出し、店の開店時間まで凍えながら駐車場に並んだあの日を。
「抱き枕ゲットォォォ!」
小声ではあったが、気合いは十分である。アリスの言葉に反応したように、キラキラした光が降り注ぎ、アリスを包み込む。
「ねえ、その変な掛け声なんとかならないの?」
「無理ですよ、ノア様。お嬢様がイメージするものは俺達には計り知れないので」
何となく分かるだけに深く考えないようにしているキリである。真顔のキリにノアが頷くと、まだ立ち尽くしたままのアリスをノアは覗き込んだ。
「どう? 捕まえたくなってきた?」
「へ……へへへ……」
意識は確かにある。でも何だろう、この高揚感は。胸がドキドキして、何としてでもオリバーを捕まえなくてはならないという使命感に燃える。
突然笑い出したアリスを見てノアとキリが顔を見合わせた。
「これ、ヤバイんじゃない?」
「何となく嫌な予感がしますね。とりあえずお嬢様、これどうぞ」
キリは持っていたオリバー捕獲用の縄をアリスに渡すと、アリスは無言で頷いた。
「言葉は通じるみたいだね……でも目がさ……ギラギラしてて怖いんだけど」
「目を合わせてはいけません、ノア様。襲われます――っ!」
そっと視線を逸らしたキリの顔をアリスは覗き込んで笑った。表現するなら、ニタァっと。
「行ってくるねぇ~」
アリスは縄を肩にかけると、『リーフプランツ』の裏手にある壁をよじ登り始めた。青ざめた二人はガシガシと壁を登るアリスを見上げる。
「……大丈夫?」
「……殺されるかと思いました」
二人はスルスルと壁を難なく登っていくアリスを下から感心したようにしばらく見ていたが、ふと自分達の仕事を思い出す。
「僕達も行こうか」
「はい」
一方、オリバーがいるであろう部屋に辿り着いたアリスは声を殺して部屋の中を確認しようと覗き込んだ。
しかし、当然だがそんな所から中が見えるはずもない。
アリスは躊躇う事なく窓を開けると中に侵入し、何だか甘い匂いのする部屋の中を息を殺してオリバーを探し回った。
「へ……へへ……へへへ」
両手を前に突き出して歩き回るアリスは、完全に変質者である。
やがて部屋の隅にベッドがある事に気付いたアリスがそちらに近寄ろうとしたその時、足に何かが引っかかった。その途端、部屋のあちこちから鈴が一斉に鳴り出したではないか。どうやら誰かが来た時用にオリバーは罠を仕掛けていたらしい。実に用心深い性格である。
しかしいくら鈴が鳴っても他に誰も起きてくる気配はない。やはりこういう所だから防音はしっかりしてるのだろうか。
その時、ベッドの上で何かが素早く動いた。姿勢を低くしてこちらを伺うようにしているのが、魔法のかかったアリスには手に取るように分かった。
「みぃつけた」
「誰だ⁉」
ニタァっと笑ったアリスを見て、オリバーはナイフを構えて考えていた。女の声だった。
しかし、オリバーを追いかけてくる刺客に女は居ないはずだ。すぐにでも魔法をかけてこの部屋から立ち去ってもらいたいが、相手が誰かを確かめるまではかけられない。
「アリスだよぉ~」
「……アリ……ス?」
誰だ、それ。自慢ではないがオリバーは記憶力がいい。一度会った人の特徴や名前は全部覚えている。
けれど、アリスは分からない。多分、面識など一度もないはずだ。
「そうだよぉ~分かんないかぁ~そうだよねぇぇぇ」
ニタニタ笑いながら鈴が鳴るのも気にせずアリスはベッドに近寄る。
「っ!」
怖い怖い怖い! 何だか言い知れぬ不安感にオリバーは咄嗟に印を結んだ。ところが。
「無駄だよ、オリバー・キャスパー君。アリスは今、自分自身の魔法にかかっちゃってるから」
「……あれはホラーですね……夢に見そうです」
「お前ら……誰だよ⁉」
逆光で見えないが、男が二人、窓の所に立っていた。背の高い方の男が腕を組んでこちらを見ている。
「う~ん、自己紹介したいけど、今は危ないと思うんだよね、君が」
「……え?」
その時だった。突然アリスがオリバーに真正面から飛びついてきた。咄嗟に振りかぶったナイフは、アリスによって簡単に弾かれ、部屋の隅に転がっていく。
「駄目だよぉ~、オリバーくぅ~ん。いい子だからぁ寮に帰ろうねぇぇぇぇぇ」
「な、何なんだよ! だから、あんた達誰、てか、何で魔法が効かないんだよ!」
「言ったでしょ? アリスの頭の中には今、君を捕まえる事しか無いから。観念してさっさと捕まった方がいいと思うけどなぁ」
「そうです。オリバー様、お嬢様が暴走する前にお縄についてください」
「そうは……行かねぇんだよ!」
ジリジリと近寄ってくるアリスに足払いをかけたオリバーは、転がったアリスを飛び越えて窓際の男達を押しのけ、窓から飛び出した。
一応、暗殺者としての訓練は受けているので、そこらへんの人達よりは身が軽い方だと自負している。
無事に着地したオリバーは、そのまま全速力で駆け出した。花町は道が入り組んでいて迷路のようになっている。ここに半年近く滞在していたオリバーだから迷わずに走り回れるが、新参者ではそうはいかない。しばらくあちこち走り回ったオリバーは、振り返りスピードを緩めた。寝起きで走った為か、いつもよりも息が上がる。壁にもたれて大きく息を吸った所で。
「みぃつけたぁ」
「⁉」
声がした方を見ると、壁の向かいの店の屋根の上にアリスは居た。一体どうやって上ったのか。いや、そんな事はいい。どうやって追ってきたのだ!
「あまぁいあまぁい匂いがするよぉ。どこまで行ってもすぐに分かるんだよぉぉ」
「に、匂い?」
意味が分からなくて一瞬ポカンとしたオリバーの耳にあの男の声が聞こえてきた。
「だから言ったでしょ? 早く捕まっちゃた方がいいって」
「な、何で……キャスパーに頼まれたのか⁉」
「いいや? 君はキャスパーに頼まれてここで監視してたみたいだけどね。オピリア、だっけ」
「な、なんで、それ……」
「知ってるよぉ、オリバーくぅん、あなたの事、ずっとずぅっと前から知ってるんだよぉ」
アリスはそう言って屋根から飛び降りた。オリバーの真上に、である。
オリバーは突然飛び降りて来たアリスを避けるのがやっとだった。普通に考えて屋根から飛び降りて来ようとするバカは居ない。そんな先入観が、一瞬オリバーの行動を遅らせてしまう。
頭を抱えて身を守ろうと体を縮こまらせた所で――。
「オリバー様、確保しました。撤収!」
「は? え?」
何が何だか分からないうちに、自分の両手に縄がかけられていた。これではもう印を結べない。それでも逃げようと身を捩った所に、ニヤニヤアリスがぐっと顔を寄せて来る。
「帰ろうねぇ~オリバーくぅ~ん」
ニタァっと笑うその笑顔が月夜に照らされてどれだけ怖かったか、誰にも分かるまい。
と、オリバーは思ったのだが、アリスとそこそこ付き合いのある人間はそれを聞いてオリバーに同情したように頷いたので、どうやら普段からこの女はおかしいようだと学園に戻ってから悟ったのだが、それはもう少しだけ先の話だ。
こうしてまんまとアリス達に捕まったオリバーは、両手両足を拘束されたまま馬車の中に居た。
「はい、あーんして、オリバー君」
「い、いらない」
紐を絶対に緩めてくれない三人は、さっきから代わる代わるオリバーの世話を焼いてくる。
「そ? じゃあアリス、オリバー君の分も食べちゃっていいよ」
「ほんとに⁉ やった~! いっただきま~す」
朝ごはんも食べずに動き回ったアリスは、自分の分も既に食べ終えた後だというのに、オリバーの分もあっという間に平らげてしまった。
そんなアリスをニコニコして見ている男と、白い目を向けている男。この三人の関係は一体なんなのだろう。
「そうだ、自己紹介しとかないとね。僕は君と同級生だよ。ノア・バセットです。よろしく」
「ノア……バセ……ット?」
その名前を聞いた途端、オリバーは色々理解した。
オリバーとノアが同じクラスになった事は、学園に入ってから一度もない。
けれど、その名前はよく聞いていた。『優秀だけど残念なノア』は王家のルイスや公爵家のキャロライン、カイン、そして魔法に特化したアランに次いで有名だったからだ。
顔を合わせた事がなかったのは、単にクラスが一番離れていたのもあるが、ノアの周りにはいつもルイス達が居たので近寄りづらかったのだ。こんな仕事を請け負っている為、あまり顔を知られたくない。だから名前だけは知っていたが、まさかこんな所でお近づきになってしまうとは思っても居なかったオリバーである。かなり抵抗があるが態度を改めた方が良さそうだ。
「名前は知っててくれてたんだ?」
「そ、そりゃ、有名ですから」
それまでは暗くてよく顔を確認出来なかったが、なるほど。女子たちがノアを見て騒いでいたのも分かる。ルイス達の側にいるだけあって、この男も大変綺麗な顔をしているからだ。
「ふぅん。でも顔は知らなかった?」
まるでオリバーの心の中を見透かしたようなノアに、オリバーは黙り込む。
「そりゃそうだよね。僕の周りにはいつもルイス達が居た。変に顔を覚えられたらマズイもんね?」
「……そっすね」
一体どこまで知っているのか。伺うようなオリバーを見て、ノアは声を出して笑った。
「そんな警戒しなくてもいいってば。ちなみに、こっちが妹のアリスで、こっちが従者のキリ」
「え、従者? 嘘でしょ?」
アリスに対する態度がさっきから従者のそれではないのだが? 声には出さなかったがどうやら顔に出ていたようで、キリは無表情のまま言った。
「嘘ではありません。大抵の方が最初は私が従者だと言っても信用しません。何故でしょう?」
「いや、そりゃそうっすよ。だって、あんたこのお嬢ちゃんの扱い雑すぎ」
オリバーの言葉にアリスはまだパンを頬張りながら頷く。
しかしそれを聞いたキリは心外だとばかりに話し出した。
「オリバー様、今はまだ分からないかもしれませんが、お嬢様を一週間も見ていれば、おそらくその意見が間違いだったと気付くと思いますよ」
「そうだねぇ、アリスの世話はキリぐらいでないと、きっとやっていけないだろうからねぇ」
しみじみと呟いたノアにキリも頷く。
こうして、三人は学園に戻るまで決してオリバーの紐を緩める事は無かった。どれほど手が痛いと言っても、食事は自分で食べたいと言ってもだ。
普通はそこまで言うと多少緩めてくれるものなのだが、三人は絶対に紐を緩めなかった。何ならトイレにまでついてこようとした時には青ざめて拒否した。流石にそこまでされると、隙を見て逃げ出してやろうと思っていた闘争心はみるみる萎んでいく。
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