第九十三話 キリの三文芝居+おまけ『三人の少女』

 世間知らずのボンボンは確証もない情報へのお礼にと金貨を二枚置いて去って行った。

 女性はその金貨を握りしめて荷物をまとめ出す。荷物と言っても鞄一つで事足りる程度の荷物である。鞄を持って部屋を出ると、外は既に夕焼けで赤く染まっていた。通りを歩いていると、仲間が次々に声を掛けて来る。

「どこ行くのー? 今から仕事でしょ~?」

「ちょっとね。私、地元に帰るわ」

 そう言って驚く同僚に手を振って辻馬車を拾い、チェレアーリを後にした。

 女性は手の平の中で金貨を転がしながら、辻馬車の中で病に倒れた愛する人と幼い息子の待つ、セレアルに思いを馳せていた。


 キリは案内された部屋と言ってもいいのかどうか分からない場所できちんと正座していた。 

 かろうじて屋根がある状態の板の間の上には食べ物のカスや果物の芯が落ちている。何よりも驚いたのは、その部屋には少女の他に二人の少女が居た。少女よりも少し年上であろう少女と、まだ十歳ぐらいの少女だ。

「はいよ。どうぞ」

「……どうも」

 キリは一応頭は下げたが、何となく、出された欠けたカップをじっと見つめて一気に中身を飲み干した。

 こんな時、思い出すのはいつもアリスである。アリスは例えどんな人が出してくれたどんなものでも絶対に残さない。何とか全てを飲み切ったキリは、そっと口元をハンカチで拭った。

「喉乾いてたの? おかわりいる?」

「いえ、大丈夫です。ところで兄なんですが――」

「そうそう! で、あんたが寝取ったの?」

「ええ、まあ。外聞が悪いのであまり大きな声で言うのはちょっと……」

「ここに居る奴らに聞かれたってどうにもなんないって。ちょっと詳しく話してみなよ」

 目を輝かせる少女達にキリは一瞬目を閉じた。

 さて、どうしたものか。多分この少女はフットワークがかなり軽い。三十分足らずで仕事を終わらせてきた所を見ると、仕事も出来る。そして何よりも本当に友人が多そうだ。

「実は、私と彼女は幼馴染だったんです。よく家にも遊びに来ていましたが、彼女の家が没落して、資金繰りが上手くいかなくなってしまった」

「分かった! それであんたの兄貴と婚約って事になったんだ⁉ でも、あんた達は想い合ってた。そうでしょ⁉」

 自信満々に話し出した少女の話にキリはここぞとばかりに乗っかった。

 頷くキリを見て少女は頬を染めて嬉しそうに笑う。その笑顔はアリスと何ら変わらない。

「付き合っていたんです。ずっと隠れて。ですが、バレてしまいました。それから兄の消息が分からなくなってしまったんです。私は後から兄もまた、彼女の事を愛していたのだと知りました。だからこそ、ちゃんと自分の口で謝りたい。これがエゴだと言う事も分かってはいるんですが……やはり、ずっと仲違いしたままなのは……嫌なのです」

 最後の一言をポツリと呟いたキリに耳に、鼻をすする音が聞こえてきて顔を上げると、少女はグスグスと鼻をすすりだした。

「あんたさぁ、兄さんの事はそっとしといてやろうとか思わないの? 可哀相じゃん」

「はい。最初の一年はそう思いました。ですが、生きているかどうかも分からないのです。それだけが心配で仕方なくて……でも、あなたの言う通りかもしれません。そうですよね。兄はもう死んだと思っていた方が、お互い幸せかもしれませんよね」

 そう言って無理に笑って立ち上がろうとしたキリの腕を少女が掴んだ。

「そうだよな。そっとしといてやった方がいいとは思うけど、生きてるかどうかは知りたいよな……分かった! 探してやるよ! 兄さんの名前は?」

「オリバーです。兄は私とは全く似ていません。とても……そう、地味で泣きボクロが唯一の特徴です」

「分かった! ちょっと待ってな」

 あるかないか分からない特徴を聞いて、少女は頷いて部屋を飛び出した。

 少女が飛び出して小一時間程だろうか。暇すぎて部屋に残された少女達にあやとりを教えていたキリ達の元に、少女が駆け足で戻ってきた。少女は頬を真っ赤にしてキリの腕を取ると、キリを急かす。

 急かされるままにキリが少女について行くと、少女はある店の側でピタリと止まって壁と壁の間に体を滑り込ませた。

そして無言で指を指した先には、若い男が居た。窓辺で何かを見ているのか、じっと外を睨みつけている。それを確認したキリは少女の手を引いて隙間から抜けだした。

「よく見つけられましたね、この短時間で」

「じゃあやっぱりあれがあんたの兄ちゃん?」

「ええ、遠目だったのではっきりとは分かりませんでしたが、面影があるような気がします」

 小さく微笑んだキリを見て、少女は嬉しそうに笑った。

「そっか! 良かった! ちゃんと生きてて良かったな!」

「ありがとうございます。ところで、あなたはどうしてここに?」

「私? 私はあれだよ、いわゆる親に捨てられたって奴だよ。でも、客とか取り方分かんなくて、ずっとフリーの下働きのままなの。まあ、死ぬまでこのままなのかなーとか思うと、つまんない人生だよ、ほんと」

「……フリーなんですか?」

「そだよ。どこも雇ってくんないんだよね。私みたいなのは」

 男勝りで口も悪くて大して可愛い訳でもないとくれば、誰も相手になどしない。

「では、あなたにはお礼にこれを。どう使うかはあなた次第です。一日で使い切ってもいいし、どこかで何かをする足しにしてもいい。オススメはそうですね。これで新しい服を買って身なりを整えてチャップマン商会に飛び込みで面接に行ってみてはどうでしょう?」

 そう言ってキリは少女に金貨を二枚渡した。これだけ素早くオリバーを探し当てた少女だ。将来はかなり有望である。

 金貨を受け取った少女はその金貨を食い入るように見つめていたかと思うと、ゴクリと息を飲んで力強く頷いた。

「チャップマン商会って、どこにあんの?」

「今はセレアルに社長が居るはずです。ダニエルという黒髪の若い子爵家の男が社長なのですが、あそこは今、新しい事業に取り掛かった所で猫の手も借りたいほどの人材不足で悩んでいるはずです」

「分かった。ありがとう!」

「こちらこそ、本当にありがとうございました」

 頭を深々と下げて次に顔をあげると、少女はもうそこには居なかった。

 キリはポケットからスマホを取り出すと、まずノアに報告のメッセージを送り、それからダニエルにもメッセージを送る。

『近いうち、賑やかな赤髪の少女が飛び込みで面接にやってくると思うので、雇ってやってください。少しだけ縁の出来た少女ですが、将来はかなり有望だと思いますよ』




おまけ『三人の少女』



 一方、キリと別れた少女は金貨を握りしめて部屋に戻った。自分の物などここにはほとんど無い。下着と替えの服が一着だけだ。それを乱暴に丸めて鞄に詰めていると、一番年長の少女が声を掛けて来た。

「どこか行くの? 私、そろそろお店なんだけど」

「ああ、うん。ちょっとね」

 そう言ってふと下を見ると、最年少の少女が、何かを察知したのか少女のスカートの裾をギュっと握った。

「あのさ、私とこの子が居なくなったら、マリーもっと働きやすくなる?」

「なぁに? 急に」

「ちょっと思っただけ。もしもここから出たら、マリーは何したい?」

 視線を伏せてそんな事を言う少女に、年長の少女、マリーはクスクスと笑った。

「そうね、お菓子を作る人になりたいわ。自分で作った物で誰かに笑ってもらえたら、きっと嬉しいもの」

「そっか……そうだよね。これはやっぱり、私一人で使っちゃダメな奴だな」

 そう言って少女は年長の少女の手に、キリからもらった金貨を一枚渡した。それを見たマリーは、目を丸くして金貨を裏返したり叩いたりしている。

「ど、どうしたの⁉ こ、これ……きん!」

「しー! 誰かに聞かれたらどうすんの⁉ さっきの兄さんがね、お礼にって二枚くれたの。一日で使い切ってもいいし、これからする事の足しにしてもいいって。私はこれからセレアルに行くよ。新しい服と靴買って、面接受けに行ってくる。コイツ連れて。だからマリー、これ持ってマリーの親の借金返したら、セレアルに一緒に行こうよ。借金払って残りのお金でマリーも一流のお菓子職人になってよ」

 少女はそう言ってマリーの手を取り年少少女を抱き上げて歩き出した。荷物は全部そのままだ。三人とも着替えの下着と服だけを持って部屋を出た。ようやく、少女の人生が始まるのだ。だから全て置いてきてやった。

 それから、マリーの借金を全てきっちり返し、引き留められたがそれも振り切って三人は色町から逃げ出した。マリーが辻馬車を止め、行き先を告げる。

 初めての馬車に大喜びした年少少女はすぐにはしゃぎ疲れて眠ってしまった。

「寝てもいいのよ?」

「ううん、起きてる。嫌な事も一杯あったけど、案外この町、嫌いじゃなかったんだ」

 夕焼けに照らされて少しずつ遠ざかっていく街並みを見つめながら少女が言うと、マリーが本当の姉のように少女の頭を撫でてくれた。

「私もよ。悪い事ばかりじゃ無かったわ。何よりも、あなた達に会えたもの」

 そう言って微笑んだマリーの笑顔は、今まで見た誰の笑顔よりも綺麗で輝いていた。


 少女と別れたあと、しばらくオリバーの行動を監視していたキリが宿に戻ろうと踵を返した時、物凄いスピードで走り抜けて行く三人の少女の姿があった。さっきの少女だ。少女の背中には一番幼かった少女が背負われている。そして手はしっかりと年上の少女と繋がれているのを見たキリは、何かに納得したように頷いた。

 どうやらあの少女は、あの金貨を一人で使わないようだ。

「お前たちー! 調べたら借金の額がちがう! 持ってる金貨を全部寄越しな!」

 そう叫びながら後ろから追いかけてくるのは、どこかの店の店主だろう。店主はあの少女たちがまだ金貨を持っている事に気付いて追いかけてきたのだ。

 キリはクルリと振り返ると、店主の足を引っかけてその場に転がすと、素早く手刀をいれた。

「大丈夫ですか? 大変だ! 意識を失っているようです! 誰か医者を!」

 キリの呼び声にみんながゾロゾロと集まりだした。その合間を縫ってキリは歩き出す。

『何度もすみません。多分、三人の少女がそちらに向かうと思います。彼女達をよろしくお願いします』

 追加でそんなメッセージをダニエルに送ってから。

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