第九十二話 色町で匿ってもらう対価と言えば

 その頃キリは、客引きの女性にいくら声を掛けられても、一切返答しなかった。その代わり、店で働く下働きの者達を中心に声を掛けて回っていた。

「なに? 今忙しいの!」

「すみません。どうしても探し出したい人が居て」

「探したい人ぉ? あんたのその顔使えばベッドの上でいくらでも喋ってくれるでしょ?」

「いえ、その手は使いたくないのです。私は来月、結婚するんです」

「へえ、おめでと。で、誰探してんの?」

「はい。一年前に家を飛び出した兄を探しています」

 キリはそう言って視線を伏せた。それを見て下働きの少女はつまらなさそうな顔をする。

 毎日毎日同じことの繰り返しで、仲間はどんどん客を取り出して、ここを抜け出そうと必死になっているのに、自分はいつまでも客の一人さえ未だに取れないのだ。

「それで? ただの人探しなら興信所にでも行けば?」

「いえ、私が結婚するのは、兄の婚約者だった方なんです。私はどうしても兄に謝りたい。許してほしいのです」

「……」

 おや? 少女は首を傾げた。何だか面白くなってきたぞ? 略奪愛?

「えっと……寝取ったの?」

 少女の顔にははっきりと面白がるような色が浮かんでいる。それを確信したキリは、コクリと頷いた。その途端、少女は両手を顔で覆って声にならない叫びをあげている。

「待って! ちょ、く、詳しく聞きたい! いいよ、探すの手伝ったげる! こう見えて下働きの横の繋がりは、ある意味商売女よりも広いからね! ちょっと待ってて! 仕事すぐ終わらせてくる!」

 少女はそう言って駆け足で店の中に飛び込み、それから三十分もしないうちにまた戻ってきた。

「お待たせ! 狭いけどうちに案内するよ。大したもんも無いけど、お茶ぐらいなら出すよ」

「すみません、お手数おかけします」

 頭を下げたキリを見て少女は意気揚々と歩き出した。今まで生きてきた中で、もしかしたら一番面白い出来事が起ころうとしているかもしれない。


 一方先に宿に返されたアリスは、キャロラインに電話で愚痴っていた。今日は学園は休みなので、アリスの長電話にキャロラインも付き合ってくれているのだ。キャロラインの後ろにはミア、そして隣にはライラが居る。そう、アリスはここでスマホを使って女子会をしていたのだ。宿に戻ってくる時に露店で買ったお菓子を広げて、さっきからずっと男子たちの愚痴を言っているのである。

『そんな所に行ってるの⁉ あの二人!』

「そうなんですよ~。二人だけでさ~」

 アリスをあんな場所に連れてはいけないというノアの配慮は分かるが、それでも除け者みたいで少し寂しいアリスである。あと、何かの間違いでノアが知らない人とそういう関係とかになったらとてつもなく嫌だ。

 むぅ、と頬を膨らませたアリスに、ライラが言った。

『まぁまぁ、アリス。確かに情報は集まりやすい所だもの。それに、ダニエルが遊んでるって表現したんでしょ? だとしたら、やっぱりそういう事なんだと思うわ』

『そうなんですか?』

 ライラの言葉にミアが首を傾げた。それにライラは頷く。

『だってね、身を隠すには一番最適の場所だと思わない? 何かの理由をつけて逃げ出してきたとか言えば、きっと匿ってくれると思うの。その対価は……払ってるかもしれないけど』

 そう言ってライラは視線を伏せた。その言葉に皆シンと静まり返る。

 アリスは琴子時代に友人から借りた男子同士の薄い本の内容を想像して絶句した。

『大丈夫なのかしら? オリバー』

『どうでしょうか……少し心配ですね』

 不安そうなキャロラインとミアにアリスは出来るだけ明るく言う。

「や、で、でもほら! オリバーは仕事でその場所を選んだんだろうし、それなりの覚悟はきっとあったと思うっていうか!」

『覚悟はあっても、長期間居るには少しキツくない? どれぐらいの対価を支払っているかは分からないけれど』

「でも案外、その、人によっては気持ちいいとも言いますし……ねえ?」

『……気持ちいい? アリス、一体何の話をしているの?』

 不審気に首を傾げたキャロラインにアリスはキョトンとした。

「なにって……え? 対価の話ですよね?」

『そうよ? 長期間居たらそれこそ金銭が底をつくでしょう?』

「あ! そっち⁉」

 キャロラインの言葉にアリスはポンと手を打った。そんなアリスに電話の向こうの人達は皆一斉に首を傾げた。

『あなた……何だと思ってたの?』

「い、いや、ちょっと真昼間からは言えないような事を……すみません」

 アリスは猛省した。そりゃそうだ。ここに居る人達は生粋のお嬢様たちなのだ。どんなに間違えてもそちらの思考にはいかないだろう。

 呆れたようなキャロラインの冷たい瞳にアリスは小さくなりながら、電話越しのお説教をその後小一時間も聞かされたのだった。


 ノアは綺麗に整頓された部屋の中を見回してた。簡素な造りの部屋に机とベッドが置いてあるだけだ。机の上には一枚の絵姿が置いてある。恐らく家族の絵姿だろう。幼い子供と人の良さそうな男性が一緒に描かれている。絵姿を頼める程度には裕福な家だったが、何らかの事情があって妻がここに出稼ぎにくる羽目になった、という事だろうか。

 怪しまれない程度にノアは部屋を見ながら出されたお茶の匂いをそっと嗅いだ。こういう所で出されたものに迂闊に手を付けて、どうこうなった後で何か言われたら堪らない。

 しかしお茶からは特に何の匂いもしなかったので、ノアはとりあえず一口だけ飲んで居住まいを正す。

「ところで、あなたはどこのお坊ちゃまなの? 随分綺麗な顔に身なりだし、貴族でしょう? お兄さんの名前は?」

 女性の言葉に頷いたノアは、膝の上で握り拳を握った。

「伯爵家です。兄はオリバーと言います。ただ、色々名前を変えているようで……」

「まあ! 随分慎重なお兄さんなのね。他には何か特徴はないの?」

「兄は父に似てこれと言った特徴はないんですが、泣きボクロがあるぐらいでしょうか? 年齢は僕より一つ上なんです」

 アリスから貰った情報を思い出しながらノアは言った。それを聞いて女性は少し考える仕草をする。

「それだけでは何とも言えないけれど、そう言えば『リーフプランツ』という店で半年ほど前に若い男の子を雇ったって聞いたわ。何でもちょっと事情のある子で、あんまり表には出せないんですって」

「あ、兄でしょうか⁉」

 ガタンと立ち上がったノアを見て、女性はおかしそうに笑った。

「流石にそこまでは分からないわ!」

 その言葉にノアは力なく椅子に座りこんだ。

「ですよね。すみません。『リーフプランツ』ですね。どこかから中が見えたりしないでしょうか? 僕が突然行くと、また逃げられてしまうかも……」

「難しいわねぇ。あ、でもちょうど真裏に宿があるわよ。そこからなら、もしかしたら中がのぞけるかもしれないわね」

「あ、ありがとうございます! 部屋、空いてるかな? すぐに荷物取ってこなきゃ!」

 慌てて席を立とうとしたノアの手に、女性の手が重ねられた。ノアは内心、来たか、と思っている訳だが、表面では驚いたように目を丸くする。

「え、えっと……」

「ねえ、そう言えば名前を聞いてなかったわ。あなたの名前は?」

「キ、キース、です」

「そうなの。ねえキース、あなたは娼婦の私に付いてきてお茶も飲んだ。これがどういう事か分からない歳じゃないわよね?」

 女性はそう言ってノアの腕にしなだれかかった。すると、ノアは泣きそうに目を潤ませて、頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! ぼ、僕にはずっと好きな人が居て、だから、その……ごめんなさい!

で、でもお姉さんには感謝してます! 本当にありがとうございました! あ、あとこれ……こういうのでしかお礼出来なくてごめんなさい……」

 そう言ってノアは予め用意していた金貨を二枚、女性の手に握らせて部屋を飛び出した。

 この金貨が、彼女がここから出られるきっかけになればいい。母親に置いて行かれた立場から言わせてもらうと、やはり寂しいものだから。

 残された女性はそっと手を開いてゴクリと息を飲む。そこに乗せられていたのは、キラキラ輝く金貨が二枚。

「バカね……お礼にしちゃ多すぎるわよ」

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