第九十一話 泣き落しは女の子だけの武器じゃない!

「これ……は……」

「お分かりですか? 十八年前の大飢饉では、その三年前から作物の収穫量がおかしくなっています。それがちょうど、ここですね。今年に当たります」

 分かりやすいようにノアが指先で今年の収穫量と前回の飢饉の前触れの部分を指さした。

「という事は、再来年は虫害と雪が多いという事ですか?」

「確定ではありませんが、その可能性は高い、という事です。そして恐ろしいのは、それが数年は続くかもしれない、という事です。作物の貯蓄はしていますか?」

「い、いえ……多少はありますが、全ての領民に行き渡る程ではありません……」

 領主は実際に数時を目の当たりにしてようやく危機感を持った。冷や汗がタラりと背中を流れる。そんな領主を安心させるように、ノアは伊達眼鏡をクイっと上げると、資料をパタンと閉じた。

「そうですか。でも、それは仕方ないかと。今年はとにかくどこの領地も豊作でした。なので、これから少しずつ貯蓄を始めるのをオススメします。それに、今回の調査の発端になったキャロライン様が、今後の対策を色んな地域と協力して取られています。直にこちらにも話が来ると思いますよ」

 その言葉を聞いて領主も家令もホッと胸を撫で下した。

「そうですか! キャロライン様が……そうですか……少しずつ貯蓄を始めます。まずは税を少し下げて、それから……領民達にもお伝えしても?」

「いえ、それはまだ早計かと。確定ではないので余計な混乱を招いてしまいます。ですが、税を下げるのには賛成です。理由は……そうですね。今年は豊作だったので、でいいのではないですか?」

「そ、そうですね! そうします!」

「ええ。それでは、こちらはお返しします。急な訪問と貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました」

 立ち上がって礼をしたノアに続き、キリとアリスも頭を下げると、領主と家令も陶酔したような顔で礼をする。どうやらここの領主にキャロラインの印象を植え付けるのに成功したようだ。もしもこれで再来年本当に虫害が起こり、その翌年に大飢饉が起これば、それはもう揺るがなくなる。立派な聖女の誕生だ。それまでにメインストーリーの通りキャロラインを聖女に仕立て上げて、保存食などの提案をしていく事が出来れば、理想の流れである。


 屋敷を後にした三人は、一旦宿に戻って服を着替えた。小麦の収穫量を調べるにあたって、怪しくない言い訳を考えたノアとカインは、ルイスの側近と護衛の服を一式借りてきたのだ。

 ルイスの側に居る者たちの制服は皆肩の所にルイスの紋章が刺繍されているので、一目で分かるようになっている。その話をしたらすぐに衣装を調達してくれたユーゴには感謝しなければならない。

 着替え終えた三人はとりあえず食堂で昼食をとり、また宿を出た。いよいよオリバーの消息探しだ。

「とはいえ、どこから手をつければいいものやら」

 ノアが言うと、アリスもキリも頷いた。この中でオリバーの顔を知っているのはアリスしかいないのだ。逆に、ダニエルは顔も知らないオリバーをよく探し当てたものだと感心する。

 途方もないまま三人で町を歩いていると、一筋入った通りに色街がある事に気付いた。

「ねえキリ、ダニエルはオリバーの事を相当遊んでるって言ってたよね?」

「言ってましたね」

「それってさ、どうして気づいたんだと思う?」

「え? それは……化粧品の匂い、とかですか?」

「それって、どこでついたんだろうね?」

 ノアの質問の意図にキリはハッとして色町に視線を移した。

「まさか! 学生ですよ?」

「でも、情報は集まりやすいよ」

「それはそう、ですが……しかし……」

 一学生が色町なんかで情報を集めるだろうか?

「アリス、オリバーの特徴って、他に何か無いの?」

「え? ダニエルにも言ったけど、ほんとに何も無いんだよ」

 何の特徴もないオリバーはいい意味で言えば平均的なイケメンで、しいて言えば泣きボクロがあった。本当にそれぐらいしか特徴がないのだ。

 アリスの言葉に頷いたノアは、キリに金貨を数枚渡すと振り返ってアリスの肩を掴んだ。

「アリス、ここから先は君は連れていけない。だから先に宿に帰って麺類の詳しい食べ方をノートに書き出しておいて欲しいんだ。それから、キャロラインと連絡と取って、さっきの小麦の事を知らせてほしい。出来る?」

「兄さまとキリはどこに行くの?」

 不審に思ったアリスが尋ねると、ノアは視線だけを色町にやると、察したようにアリスは頷いた。バセット領に色町はないが、琴子時代の記憶でそういう所がある事は知っている。もちろん、そこで何をするのかも。

「兄さま……」

「大丈夫。別に遊んでくる訳じゃないから。ちょっと情報を買ってくるだけだよ。すぐに戻るから、そんな顔しないで」

 不安そうな顔をするアリスの頭を撫でたノアは、アリスだけを先に宿に返すと、キリと顔を見合わせて頷く。

 一歩色町に入ると、そこはもう、何と言うかオーラがピンクだった。

「へぇ~何か入り組んでるんだね。迷路みたい」

「やはり、分かりにくいようになってるんじゃないですか? 色々と」

 身元を隠しておくには最適の場所である。ここにオリバーが居てもおかしくない。

 ノアとキリは領主の所に行った時のように設定を決め、頷いて手分けしてオリバーを探す事にした。

 着替えてきてしまったノアもキリも、本来こんな所に居るような年齢には見えないだろう。

 しかし、それは多分オリバーもだ。という事は、何かの事情があってこの町に来ているという事になっているのだろう。では、それを利用してオリバーを兄だという設定にした。どんな設定でオリバーがこの町にいるのかは分からないが、単身家を飛び出した兄を追いかけてきたという事にしておく。

 ノアが誰に声をかけようか歩いていると、街灯の下で客引きをしている女の人達が次々に声をかけてきた。

「僕、こんな所に子供が来ちゃ駄目よ?」

 優しく声を掛けて来たのはその中でも少し年配の女性だ。

 背は高いがまだ顔はどこかあどけなく、青年というには線の細いノアを見て、女性は心配になったのだ。こんな所にこんな子供がやって来る理由は、そう多くない。

「すみません、兄がこの辺に居ると聞いて……」

「あら……」

 女性は悲しそうに顔を歪めてポツリと呟いたノアを見て、女性は内心、やはり、と納得する。

 どこかではぐれたか、それとも、もっと複雑な事情があるのか。中性的な綺麗な顔を歪ませたノアに庇護欲が湧いてくると同時に、野次馬根性が顔を出す。

「お兄さんとはぐれたの?」

「はぐれた……訳ではないです。兄は僕達を養う為に家を出たのだと、僕は最近知ったんです」

 最大限まで視線を伏せたノアに、女性は悲し気にノアの肩に手を置いてため息を落とした。

「どうして最近分かったの? 家を飛び出したのなら一緒にいたんでしょ?」

「兄はずっと、僕達にフォスタースクールに通っていると言っていたんです。ところが、今年僕が入学しても学園に兄は居なかった。休学届が提出されていたんです。それで……」

「……」

 ポロリと涙を流したノア。女性はこれに完全に落ちた。大人と子供の境目の少年が流す涙は尊い。普段はそれはもう、おじさんばかりを相手にしているから余計にそう思ったのかもしれない。

「そうなの。可哀想に……ここじゃなんだから、いらっしゃい。一緒に探してあげるわ」

「え? でも、お仕事……」

「いいのよ、たまには。ほら、こっちよ」

「あ、ありがとう……ございます」

 ノアは涙を拭って女性の後ろに付き従った。内心ではホッと胸を撫でおろしている。ところで、キリの方はどうなっているのだろう? キリにはこんな芝居など出来ないだろうし、上手くやっているだろうか――。

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