第八十八話 犬のようなお嬢様

 途中で昼の休憩を挟んでようやくチェレアーリに到着したのは、もう日はすっかり落ちた頃だった。

「商会の人がここに滞在してくれてるみたいなんだけど、どこに居るんだろう」

 ダニエルに前もって指定された宿に到着した三人は辺りを見渡したが、どこにもそれらしい人はいない。

 そこに一人の気の良さそうな恰幅の良い女の人がやってきた。

「ちょっと、もしかして、あんた達がバセット家の子達?」

 明るい声とは裏腹に、どこか訝し気な顔をして女の人は聞いてきた。その言葉にアリスが反射的に頷く。それを見てノアとキリがアリスの腕を掴んだ。相手が誰かも分からないのに、アリスには危機感が無さすぎる。思わず警戒したノアとキリだったが、それとは裏腹に女の人はアリスのノアとキリの頭をグリグリ撫でると大笑いしだした。

「あはは! ごめんごめん! ダニエルから女の子一人と男の子二人だけで来るはずだって聞かされてたんだけど、あんた達本当に子供達だけで来たんだねぇ! えらいえらい!」

「?」

 女の人はノアとキリの髪をぐちゃぐちゃになりそうな程撫でまわした後、そう言って手を差し出してきた。

「よろしくね。あたしはネルだよ。チャップマン商会の売り子さ」

「アリス・バセットです! よろしく、ネルさん」

「とりあえず食事でもしながら話そっか。奢ったげるからついといで」

「ほんと⁉ やったぁ! 兄さま、キリ、行こ!」

 スキップしそうな勢いでネルについていくアリスを見て顔を見合わせたノアとキリは、アリスとネルを追って歩き出した。嫌な感じがする人には寄り付かないアリスだから、ネルはきっと大丈夫なのだろう。

 宿の一階に併設している食堂に移動したアリス達は、ネルにオススメを聞きながら料理を注文し、待っている間に話を進めた。

「ダニエル坊から言伝預かってるよ。ほんとは自分が残りたかったみたいだけど、そうもいかなくなってねぇ」

「何かあったんですか?」

 ノアの質問にネルは笑って手を振る。

「ああ、いや、あんた達が持ち込んだジャムがあっただろ? あれが既に品薄になっちまってね。何でも王都から大量注文が来て、生産が追い付かないとかで、昔の馴染みに分ける筈だった奴まで王都に送らなきゃならなくなったんだよ」

「そ、それは……何だかすみません」

 バツが悪そうに頭を下げたノアを見てネルは大声で笑い飛ばす。

「何言ってんだい! これはチャップマン商会始まっての嬉しい悲鳴って奴だよ! それで、坊が持って帰ってきてたジャムをそっちに回す事になったってだけの話さ。昔馴染みだから坊が直接持って行ったんだよ」

 酒を片手にネルは豪快に笑った。何となく、この人の営業成績は良さそうだ。ノアはそんな事を考えながらネルを観察していたのだが、ふと酒を煽っていたネルと目が合った。

「あんたはこの子と違って、じっと人を観察する癖があるんだねぇ。いいかい、アリス、兄ちゃんの言う事よく聞くんだよ。多分、この兄ちゃんならとんでもない失敗もしないだろうからね。ウチの坊と違って! あははははは!」

「うん! ちゃんと言う事聞いてるよ!」

「……どの口が言うんですか。お嬢様は間違いなくダニエル寄りの人間なのですから、本当に気を付けてくださいよ?」

「あははははは! 確かに坊から聞いたアリスの話は色々ぶっ飛んでたねぇ。でも、坊はあんた達に感謝してたよ。親父さんが倒れて商会を継いだはいいが、まだ経験の浅いあの子じゃどこ行っても舐められてたんだ。私達も付いてってやりたかったけど、意地だろうね。それも断られて、もう後がないってとこまで行っちまった。でも、あんた達のおかげでリアンの坊と仲直り出来て、おまけに共同経営だろ? そりゃもう浮かれてたよ。ほんとはね、ずっと不安だったに違いないんだ。あんた達の話する坊はそりゃもう、楽しそうだよ」

 そう言ってネルは酒の入ったグラスにさらに自分で酒をついだ。その目には笑ってはいるがうっすらと涙が浮かんでいる。

「ありがとね。こんなもん奢るぐらいしか出来なくて申し訳ないけど、じゃんじゃん食べて」

 次々に運ばれてくる料理を、涎を垂らしそうなほど凝視しているアリスにネルが言うと、アリスはお礼を言ってがっつき始めた。お淑やかなくせにスピードが凄い。とにかく一口が大きい。そんなアリスの様子を見ながらネルはしみじみと言う。

「あんたは、絶対に兄ちゃんから離れちゃ駄目だよ……」

 ダニエルから色々聞いてはいたが、本当に心配になる少女アリスに、ネルの出かかった涙も引っ込んだ。物凄いスピードで空になっていく皿を見つめながらネルが声のトーンを落として口を開く。

「ところで、坊からの伝言だよ。『オリバー・キャスパーを見つけた。あいつ、多分変な魔法使うから気をつけろ。一見人が良さそうだが、俺の勘ではあいつ、かなり遊んでる』だそうだよ。私も気になってちょっとこのオリバーってのを調べてたんだけどね、どこに行ってもまず偽名を使うみたいなんだよ。そして、誰もオリバーの事を覚えてない。もしかしたらそれ系の魔法を使うのかもしれないね。あんた達も、十分に気をつけな。さて! 私からは以上だよ。私は明日まだ暗いうちに出発だから、そろそろ部屋に戻るけど、会計は先に済ませとくから、あんた達はゆっくりしておいで。それじゃ、会えて良かったよ! また坊と遊んでやってね」

 それじゃ! と言ってネルは颯爽と食堂の奥の階段を上がって行ってしまった。

 ネルが完全に見えなくなるまで手を振っていたノアだったが、ネルが見えなくなった途端真顔に戻り、腕を組んで考え込んだ。

「オリバー・キャスパーはもうこちらの動きに気づいてると思いますか?」

「いや、誰かが自分の事を調べている事には気づいてるかもしれないけど、こちらの意図には気付いてないと思うよ」

「では、名前をコロコロ変えるのは?」

「仕事上、じゃないかな。僕たちが気を付けるべきは、オリバーの使う魔法じゃないかと思う。忘却系のものを使われたら、僕達には太刀打ち出来なくなる。ああ、カインを連れてくれば良かったよ」

「ああ、カイン様の『反射』ですか。あれは便利ですよね」

「うん、こういう系の魔法には凄く便利だと思う。あと『解除』ね。あのセットは無敵だよ」

「でも攻撃系の魔法には効かないんですよね?」

「らしいね。うーん……どうしよっかな。とりあえずキリに見てもらって、それから決める?」

「それがいいかと思います。いざとなったらお嬢様をゴーしましょう」

 まだ犬のように食事を貪っているアリスを横目にキリが言うと、ノアは躊躇う事なく頷いた。

「だね。さ、僕達も明日に備えて今日は早く寝ようか」

「はい。お嬢様、残さないのは素晴らしいですが、その意地汚さはどうにかなりませんか」

 添え付けの葉っぱまで綺麗に食べるアリスにキリが言うと、アリスは無言で首を振った。これだけはどうしても譲れないらしい。

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