第八十九話 穀物天国チェレアーリ

 部屋に戻ってお湯をもらってきた三人は手早く体を拭き終えて寝る準備をした。

「私どっちで寝よっかな~」

「どっちでも好きな方に行きな」

「うん! じゃあ兄さまと寝る~。キリ、そっち使っていいよ」

「ええ。助かります。このベッドで二人はかなりキツそうですから」

 いや、そもそもキリは従者なのでここは遠慮すべきなのだが、それはしない。何故ならバセット家はそんな事をいちいち気にしない。未だに食事は主人も使用人も関係なく席につくので、最早大きな家族である。

「アリスとかー……落とさないでね?」

「うん!」

 自信満々に頷いたアリスだが、そんなアリスをノアもキリも白い目で見つめる。

 案の定、深夜にベッドから落とされたノアは仕方なくアリスの毛布を剥ぎ取って長椅子で寝る事になった。アリスは薄い布一枚で眠る事になるが、これぐらいの意趣返しは許される筈だ。

「べっくし!」 

 翌朝、アリスは自分のくしゃみで目を覚ました。流石冬だ。朝は寒い。そう思ってベッドから降りようとしてふと隣にノアが居ない事に気付いた。ついでに毛布もない。

 ベッドから降りたアリスは暖かそうな毛布にくるまって気持ちよさそうに眠るキリにイラっとしながら、長椅子に横たわるノアを見つけた。しっかりと毛布を体に巻き付けて、長い足を長椅子の上で器用に折りたたんで小さくなっている。

「体、痛そ……」

 さほど大きな声ではなかったはずだが、ノアはその声にパチリと目を開いた。そしてにっこりと笑う。

「おはよう、アリス。誰のせいだろうね?」

「ご、ごめんなさい……でも兄さまも毛布取った! 寒かった!」

「夜中にベッドから蹴落とされた挙句に毛布も無しに椅子で寝ろっていうの?」

「う……で、でも寒かったもん!」

 くしゃみで起きた! そういうアリスにノアはフンと鼻で笑った。

「それぐらいじゃ僕の頑丈アリスはどうって事ないでしょ?」

「きーー!」

 握りこぶしを作って抗議しようとしたアリスの頭に、後ろからゲンコツが落とされた。

「うるさいです、二人とも。それから、お嬢様が悪いです。毛布ぐらいでビービー言わないでください。どうせ朝にはほとんど何も被ってないんですから、あっても無くても同じです」

「そうだそうだー」

「ぐぬぅぅぅ」

 こういう時にタッグを組んだ二人にはアリスとて敵わない。というか、口喧嘩では誰にも勝てない。アリスは握った拳をさらに握りしめて、ズンズンとドアに向かった。

「どこ行くの?」

「お湯! もらってくる!」

 振り返りもせずに言うアリスに、ノアとキリは笑顔で手を振る。

「いってらっしゃい、ありがとう」

「ありがとうございます、お嬢様」

「ふんっ!」

 先にお礼を言われてしまっては嫌だとは言えない。仕方なくアリスが三人分のお湯をもらって部屋に戻ると、既に二人はばっちり着替え終えている。

 盥にもらってきたお湯を張って顔を洗って着替え終えると、身支度をすっかり済ませたノアがブラシを持ってソファを指さす。

「ほら、座って」

「うん。今日はどんなのにするの?」

「寒いから下ろしとこうか。アリス、マフラーは持ってきてる? それなら上げるけど」

「持ってきてるよ。三人お揃いのやつ」

「じゃ、髪は上げちゃおう」

 手早くアリスの髪をまとめたノアは、髪飾りでアリスの髪を止めた。

「はい、出来上がり」

「ありがと、兄さま」

 ノアの頬に軽いキスをしてアリスは小さなポシェットに貴重品を入れた。ここでしばらく滞在する事になるだろうという事で、今回は少し多めに資金を持ってきているのだ。

 チェレアーリの治安は比較的良い方だとは聞いているが、それでも用心するに越した事はない。

「準備出来た? それじゃ、行こうか」

「うん!」

「はい」

 そう言って三人はオリバー・キャスパーを探すために宿を後にしたのだった。

 朝食を途中で買って食べて、さほど広くない町をあちこち見て回る三人は、一見ただの観光客であったが、その眼光はあまりにも鋭かった。特にアリスの。

 何故なら、見た事のない穀物が市場にわんさか並んでいたからである。

「天国……ここは穀物天国か!」

 キャロラインに頼まれた穀物調査もしなければならない為、オリバーを探しつつこうやって市場に来てみたのだが、そこは穀物の宝庫だった。その為か、この町はパン屋や焼き菓子屋さんが多い。

 ウロウロと歩き回った一軒の店でアリスは足を止めた。

「どうしたの? アリス」

「うん……おじさん、これ、小麦粉だよね?」

 アリスの問いかけに店先で暇そうに本を読んでいたおじさんが頷いた。

「おーよ。それがどうしたんでぃ?」

「種類、一杯あるね?」

「まぁな。こんだけ揃えてんのはウチぐらいだぜ。何だ、あんた若いのによく気付いたな」

「まぁね。ね、おじさん、この左から二番目の奴をフォスタースクールに十キロ程送ってくれない?」

「じゅ、十キロ⁉ フォスタースクールにか? そりゃ構わんが……一体何するんだ? 店でもやってんのか?」

「ううん、ちょっとした実験だよ。それじゃあ、お願いします!」

「お、おう。ありがとな」

 キリが会計をしている間に、アリスはまたウロウロと歩き回る。そしてまたピタリと足を止めた。次に眺めているのは小麦粉よりも黄色い粉だ。

「こ、これは……おばさん! この粉十キロフォスタースクールに送って欲しいんですけど!」

「アリス⁉ まだ粉買うの⁉」

 アリスの奇行に何が何やら分からないノアが思わず声をかけると、アリスは真顔で頷いた。それを見て察する。どうやら何か思いついたようだ。こうなったアリスはもう止まらない。というよりも、止められない。

 結局、アリスが言うままに粉ばかり大量に買うだけでその日は終わってしまった。

「お嬢様、ここには買い物をしに来た訳ではないんですよ?」

「ぅ、はい……ごめんなさい」

 部屋に戻ってくるなりキリのお説教が始まり、ノアはそれをお茶を飲みながら笑って聞いている。ここは寮か! 思わず心の中でそんなつっこみを入れてしまいそうになるほど日常の光景だ。こんな時、最近はドンも一緒になってお説教されていたので、それが少し寂しい。

「ドン、元気かな」

「お嬢様! その耳は飾りですか⁉ ちゃんと最後まで人の話は聞く!」

「ふぁい!」

 アリスがキリにこっぴどく叱られている時、ドンは今日も飛行訓練に励んでいた。

 しかし先生は鷹のリーンだ。失敗すると羽でペチリと優しく叩かれる。カインもオスカーもイエローも、ドンブリが悪さをしても叱りはするが、キリのように正座まではさせないし、おやつも抜かない。挙句の果てには最後には「よく最後まで聞いていました」とおやつまでくれてハグしてくれる。

 ドンブリもやはり思っていた。「ここは天国か!」と。

「へくちっ!」

「アリス風邪でも引いた?」

「んーん。これは多分噂だと思う。私は! 風邪は! 引かない!」

「そう? ならいいけど、今日は早く寝なね」

「ん。そうする」

 むずむずする鼻を擦りながらアリスが言うと、三人で夕食を食べに下りた。昨日は味わう間もなく食べ尽くしてしまったが、今日のアリスは一味違う。

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