第八十七話 久しぶりの三人+おまけ
「こ……れは……無理だね」
「はい、無理です。最早後ろから数えた方が早いレベルのバカです」
「バカって言った! キリがバカって言ったーー!」
ポカポカとキリを叩いてみるが、キリはそれにもビクともしない。チラリとアリスに視線を投げただけだ。その顔には、マジでバカ、とはっきりと書いてある。
「困ったねぇ、アリス。どうやったらこんな事になっちゃうのかなぁ?」
口元は笑っているが目が笑っていないノアを見てアリスはそっとキャロラインの後ろに隠れた。
「アリス、これはあなたが悪いわ。しっかり叱られて勉強なさいな」
「うぅ……じゃあキャロライン様に勉強教えてもらう」
アリスは頭の中で考えた。キャロラインは怒ると怖いが、根は優しい。それに美味しいお菓子も出るかもしれない。
けれどノアは怒鳴ったりはしないが、あのにっこり笑顔の裏で何を考えているのかアリスにすら分からない。得体が知れなさすぎて怖い。それに出るおやつはオートミールクッキーである。これはもう考える間もなくキャロライン一択だ。
そんなアリスの思考を読んだようにノアが声を出して笑った。
「あはは、アリス、おかしな事言うね? こう見えて僕も毎回テストは学年五位以内なんだよ。大丈夫、ちゃんと教えてあげるから」
「い、嫌……嫌だ……」
「アリス、ワガママ言わないで、ね? 僕でいいよね?」
「……」
ね? の圧が凄い。ブルブル震えるアリスにリアンが笑顔でポンと肩を叩いてくる。
「観念しなって。あいつが言い出したら聞かないの、あんたが一番よく知ってるでしょ?」
そうなのだ。ノアは言い出したら聞かない。それはよく知っている。よく知っているからこそ嫌なのだ。涙目でキリを見上げると、
「ご愁傷様です」
全く助ける気のない返事が返ってきた。
「アリス、お願いだから言う事聞いて?」
「……はひ……」
渋々頷いたアリスに、ノアはようやくちゃんと笑った。それを見てた一同は青ざめる。
「こわ」
「それじゃあ、話もまとまった所でリー君はダニエルにメッセージよろしくね。アランはスマホのさらなる改良でしょ、カインにはドンの飛行訓練してもらって、ルイスとキャロラインはもうじき送られてくるブルーベリージャムを学園で首尾よく流行らせてね。僕はしばらくアリスの方をどうにかするから」
そう言って抜け殻のようになったアリスの手を取り、ノアとキリは部屋を出て行ってしまう。残された一同はそそくさと出て行ったアリスの健闘を心の中で祈った。
数週間後、色々あったが、アリスは無事に長期休暇の届け出を受理してもらえた。
「いや~何だか長い夢でも見てたみたい!」
「実際、夢の中にいたようなものなんじゃないかな。ねえキリ?」
「はい。あれは長い夢でした。そしてライラさんには本当に申し訳ない事をしました。あの方が温厚な方で本当に良かったです」
「キリ、何度かアリスを本気で殴ろうとしてたもんね」
笑いながらそんな事を言うノアに、アリスは首を傾げる。
アリス達は今、チェレアーリに向かう馬車の中に居た。
いつでも出発出来るようにしておいたので、三人はダニエルからの連絡が入ったその日の夕方にアリスは試験を受けていた。そして翌朝の早朝に学園を出発したのである。
オリバーが万が一動かないとは限らない。そう言ったのはノアだ。
「何だかこの三人で移動するのは随分久しぶりな気がします」
「ほんとだね。最近は誰かしら一緒に居たもんね」
ノアは持っていた鞄の中からオートミールクッキーを取り出してアリスに数枚渡した。その途端にアリスのお腹が鳴る。
「ありがとう、兄さま」
「うん。もうちょっとで途中の街につくからもう少し我慢しててね」
「わかった!」
元気に返事をしてモシャモシャとクッキーを頬張るアリスに、ノアが尋ねてきた。
「アリス、オリバーって具体的にはどんな感じの子なの?」
「ゲームでは本当に一見温厚なお兄さんだよ」
「でも殺し屋見習いなんでしょ? そんな人に殺しなんて出来るの?」
「ちょっとね、チートっぽいんだぁ」
「ちーと?」
「うん。規格外の強さって言うのかな? 戦いとかすごく強かったよ。だから余計に人気あったのかも。モブで強いってエモーイみたいな」
「ごめん……何言ってんのかちょっとよく分かんないけど、とりあえず強いの?」
「うん、強かった。3の主人公のドロシーが攫われる事件が起こるんだけど、そこで二十人を相手に一人で戦うの」
頷いたアリスにキリが何かを考えるような仕草をしてポツリと言う。
「それ、お嬢様も出来るのでは」
「うん、多分」
「ですよね。強いんですか? オリバーは」
「……」
キリの中で強さの指標がアリスになっている。アリスは黙り込んでノアを見たが、ノアもそんな顔をしているので、アリスはもうそれ以上何も言うのは止めておいた。
「でもこれはあくまでもゲームの話だから! 実際にはどんな人か全く分かんないよ。もしかしたらめっちゃくちゃ強いかも」
「でも、逆もあり得るよね? うーん……どうアプローチしようかな」
アリスの話を聞く限り、オリバーに関しては他の人達よりも設定は薄かった。何せ、設定集に使う魔法すら載っていなかったらしいのだ。本当に取って付けたようなキャラだったのだろう。もしもこれが現実のオリバーに生かされていたとしたら、可哀相以外に言葉が無い。
しかし設定はあくまでも表面上の事しか書かれていないのだという事が仲間たちを見ているとよく分かったので、まずはやはりオリバーの人となりを知るのが大事だろう。
「とりあえず、チェレアーリに着いたら美味しいもの食べよっか」
「うん!」
バセット家の信条は腹が減っては戦は出来ぬ、である。嬉しそうに頷いたアリスに、ノアも笑って小さな欠伸を零す。
「兄さま眠いの? 寝てていいよ」
そう言ってアリスは自分の膝を叩いた。昔からどちらかがお昼寝する時は決まって膝枕である。まるでどこかのバカップルである。しかしこれはバセット家の通常運転なのだ。
「ありがと~~」
躊躇う事なくアリスの膝に頭を乗せるノアを見て、キリはそっとその体に毛布を掛けた。
「お嬢様は眠くないのですか?」
「うん、一杯寝たもん。それよりお腹減った」
「そうですか。相変わらずですね。もう少し我慢してください」
キリはそう言ってアリスにビスケットを渡す。それをまたモシャモシャ食べながら、アリスは窓の外を流れる景色を眺めていた。
おまけ『勉強嫌いのアリス』
翌日、ライラは隣の席に座るアリスを心配そうな目で見つめていた。
「ア、アリス、大丈夫?」
「え? 大丈夫ですよ? どうかしましたか?」
クイっと眼鏡のふちを押し上げるアリス。その目は真剣そのものだ。
「ど、どうしちゃったの? アリス、目悪かったっけ?」
「どう、とは? 私は生まれた時からこうですよ? はは、おかしなライラさん!」
「……」
ヒクリと頬を引きつらせたライラは、すぐにリアンにメッセージを送った。
『アリスがおかしいの! リー君、何か知ってる?』
『は? あいつがおかしいのは今に始まった事じゃないよね?』
『そうなんだけど! そうじゃないの! 変な方におかしくなってるの!』
『えー? まあ、昼休みにでも様子見てみるよ』
こんなやりとりが隣の席でされているとは知らないアリスは、授業でもないのに教科書を開いて至る所に線を引いている。
「そ、それは何をしているの?」
「線を引いているんですよ。重要な所に線を引いて丸暗記するのです。こうすれば漏れません、はは!」
「へ、へえ」
ライラが隣からアリスの教科書を覗き込むと、アリスは教科書の大事な部分どころか、全ての文章に線を引いている。アリスらしいと言えばアリスらしい。
昼休み、遠目からアリスを見たリアンはそのまま踵を返してノアの元へと向かった。
「あんた、あれどうなってんの? 怖いんだけど」
するとノアは珍しく困ったような笑みを浮かべて頬をかいた。
「いや、僕もまさかあそこまでになるとは思ってもみなかったって言うか、素直な人って凄いなっていうか……」
「意味が分かんないんだけど?」
「キリがね、そのまま勉強をやらせても最早無理だって言うから、ちょっと催眠術とかかけちゃう? って話になったんだよね」
「……それで?」
「冗談半分でさ、目の前で振り子翳してやってみたら見事にかかっちゃって」
「かかっちゃってじゃなくない⁉ あんた自分の妹に何してんの⁉」
「いや~解こうと思ったんだけど解けないんだよね~これが。困ったねぇ」
アリスは食事をしながら今も器用に教科書とにらめっこをしている。そこに従者食堂から戻ったキリがアリスの元に行き、アリスに何か言っている。しばらく二人はやりとりしていたが、やがてキリがこちらへやって来た。
「ノア様、お嬢様はどうやら脳の中身は何も変わってはいないようです」
「そっか~、完全に見掛け倒しか~。どうしよっかね?」
「とりあえず教科書は開いているので、聞く耳は持ってくださるかと。ただ、教科書全部に線を引いて覚えればいい、などと言っていたので不安しかありませんが」
「ねえ! そんな事より早く解いてやんなよ! まずそっからでしょ⁉ 勉強なら僕も手伝ってあげるから!」
思わずそんな事を口走ってしまったリアンにキリはゆっくりと首を振った。
「いえ、リアン様、それはオススメしません。温厚な私でもお嬢様に勉強を教えていると頭をかち割ってやりたくなるので」
「いや、あんたは言っとくけど相当短気な部類だからね⁉ じゃあライラに頼も! ライラは勉強はそこそこだから!」
だから早く催眠術を解いてやってほしい。でないと不気味で仕方ないし、何だかあのキャラクターが無性にイラつく。なんだ、あの眼鏡をクイってするのは。
「う~ん。そうは言ってもね、解き方が分からないんだよね。一応、催眠術には期限をつけるといいって書いてあったから、外出許可試験に受かるまでってつけたんだけど、それが終わらないと解けないんじゃないかなぁ」
「それ、いつ⁉ まだダニエルから何の連絡もないのに、何でそんな勝手な事するの!」
「そうなんだよねぇ。困ったねぇ」
ははは、と呑気に笑うノアを見てリアンは「もういい!」と言ってアリス達の居る席に向かった。アリスはまだ教科書に線を引く作業をしている。それを横目にライラは涙目だ。
「ライラ、この子どうやら催眠術がかかっちゃってるみたい」
「さ、催眠術? 魔法じゃなくて?」
「うん。それもすっごい原始的な奴。期限は外出許可試験に合格するまでだってさ」
「え……それ、いつなの?」
「……ダニエルからの連絡次第……」
「……」
ライラは無言で線を引くアリスの手をそっと握った。
「ライラさん? 押さえられては線が引けませんよ、ははは」
「アリス、そんな風に全部に線を引かなくてもいいの。重要な所だけでいいのよ。私が手伝ってあげる。だから一緒に勉強しましょ? ね?」
「ライラさん……お気持ちはとても嬉しいですが、勉強とは自分の力で成し遂げるもの! 誰かの手を借りる訳にはいかんのです!」
力一杯叫んだアリスにリアンはがっくりと項垂れる。
「もうキャラブレちゃってんじゃん」
「アリス! それは違うわ! 勉強は楽しくするものよ! 今のあなたは間違ってる!」
ライラの強い言葉にアリスはあからさまに動揺した。そして大袈裟にその場に崩れ落ちる。
カツンと落ちる眼鏡。
「……そんな……バカな……勉強は……険しく厳しい山なのだと……兄上が……」
膝をついたアリスの肩をライラがそっと抱きしめると、優しくアリスに落ちた眼鏡をかけてやる。
「アリス、いいの。勘違いは誰にでもあるわ。だから、私と一緒に勉強しましょう。私は……あなたを救いたい!」
「ライラどの……すまぬ……拙者の力が及ばぬばかりに……」
「いや、だから誰だよ! もうどんなキャラだよ!」
突っ込んだリアンの足元で二人は抱き合い、ようやく寸劇は終わった。そして何故か泣き出す二人。訳が分からない。とりあえず分かったのは、アリスはキャラブレするほど勉強が嫌いだという事だけだった――。
数週間後、チェレアーリでオリバーが発見され、アリスは試験を受けた。結果はギリギリではあったが無事に合格し、それと同時に元のアリスに戻る事が出来たのだが、本人はその間の事を一切覚えていなかったという。
この事を後から聞いたメンバーたちはノアの催眠術の恐ろしさを思い知った。そしてノアの二つ名に『催眠術の』が付け足されたのだった――。
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