第七十二話 潰れたカエルでも愛でる兄

 朝食は、嫌がるリアンを丸め込んで王と王妃と共にとることになった。そこであのブルーベリージャムをすかさず出すアリスに流石のノアでさえも驚いたが、案外ステラもルカも嫌な顔一つせずに一口食べるなり目を輝かせた。

「これは何だ! 初めて食べるぞ!」

「ほんとう! 凄い色をしてるけど、とても美味しいわ。これはもう持ってきてはいないの?」

 ステラの問いかけにどう答えようか迷っているリアンよりも先にアリスが頷いた。

「そうなんです。今回は試作を作っただけなので、お土産程度であまり持って来られなかったんです……。でも、来週にはまた入荷予定ですよ!」

 それを聞いたルカは相当気に入ったのか、すぐにホープキンスにブルーベリージャムを発注するよう手配しだして、一番驚いていたのは誰よりもリアンとライラだった。

「そ、そんな簡単に……いいんですか?」

「構わん! 美味いものは美味い。なあ、ステラ?」

「ええ! しかも美容にもいいんでしょう? 素晴らしいわ! キャロルにも渡した?」

「はい! 昨日のうちにいくつかお渡ししておきました。それに王妃様、実はお砂糖をもっと控えたローカロリーな物も作れますよ。ちょっと保存期限が短くなりますが、そちらの方が美容には効果があるかと――」

「まあまあ! 後で詳しいお話を聞かせてもらえる? アリスさん」

「もちろんです!」

 ドンと胸を叩いたアリスを見て、皆はドン引きである。商魂たくましいのもいいが、ここまでガツガツ行かれるとちょっと怖い。

「そう言えば、学食のイカリングもそなたが考案したのだったか? このジャムにしてもそうだが、一体どういう経緯で出来たんだ? お前たちは何をしようとしているんだ?」

 スコーンにブルーベリージャムを塗りながら言うルカに、ルイスが話し出した。

「アリスの舌はどうやら我々には理解できないような味の足し算と引き算が出来るそうです」

 もしもアリスのレシピに疑問を持たれたら。ノアがくれた質疑応答集に書かれていた事をそのまんま丸暗記しているルイスは、スラスラと答える。

「ほう! どういう事だ?」

「アリスは探求心の塊のような令嬢で、とりあえず何でも食べてみるそうなのです。そして食べた食材を組み合わせ、どんな味になるかを想像する事が出来るのだそうで、そこに目をつけたキャロラインが、それぞれの産地で採れた食材で特産物を作ってみてはどうか、と言い出したのが事の発端なのです」

 ルイスの答えを聞いてルカは納得したようで、まだ追いジャムをしながら頷いた。

「なるほど。キャロラインの発案か。しかし面白い人材だな! そして便利な舌だ。もしかして他にも美味い物を知っているか?」

 王のそんな質問にアリスはちょっと考えてアイスクリームのレシピを教えたのだが、それに興味を持った王が、その日のお茶の時間のおやつはアリスに作るよう命じた。

 結局アイスクリームは大成功して、早速その日の夕食のデザートにアイスが出たのだから、王城のコックは流石である。

 さて深夜0時を少し回った頃、王城の外はいつもよりもずっと賑わっていた。

「あなた、まだ寝ないの?」

「ん? ああ、すまない。今日も出るのかと思ってな」

 ワクワクした様子で窓の外を眺めるルカに、ステラはおかしそうに笑った。

「アリスさん? 結局昨夜は全部持って行ってしまわれたんですってね」

「そうなんだ。しかも馬小屋で馬に餌をやっていたらしい」

 後から聞いた話だが、アリスは妊娠初期の馬に栄養価の高い野菜を与えていたそうで、ロビンと一緒に、何だその寝ぼけ方は! と笑ったが、馬の妊娠については馬番ですら気付いていなかったという。ルイスに言わせると野生の勘だろう、などと言っていたが、そんな事が本当に分かるのだろうか? それに学園で見たあの尋常ではない動きも気になる。

 その時、ちらりと窓の外で何かが動いた気がしてルカは慌ててガウンを羽織ると、バルコニーに出て外を凝視する。

 すると、門の近くにある植木に誰かがいるではないか!

「ステラ! アリスが動いたみたいだぞ!」

 ルカの声にステラも跳ね起きてガウンを羽織ってバルコニーに出た。ルカが指さす方に視線を向けると、確かにそこには植木に隠れてじっと息を潜めるアリスが居る。その視線の先には籠が置いてあり、籠の前には一人の騎士。

「さあ、どうするんだ?」

「アリスさん、頑張って!」

「こらステラ、どちらを応援しているんだ?」

 おかしそうに笑ったルカに、ステラもつられて笑ってしまう。ヒソヒソとまるで悪い事をしているみたいで楽しくなってきたルカは、一度部屋に戻って酒瓶とグラスを二つ持って戻ってきた。

「まあ! 悪い人ね」

「たまにはいいだろう?」

 そしてこの状況を見守っているのは、何もルカとステラだけではなかった。

「さ、寒くない⁉」

「だからもっと防寒着持っておいでって言ったのに」

 ノアはブルブル震えるリアンにアリスが十歳の誕生日にくれた手編みのマフラーを貸してやった。目が飛びまくりでそれはもう酷い出来だったが、ノアは今もちゃんと愛用している。

 一方不細工なマフラーを巻かれたリアンは口をへの字に曲げて、ようやく椅子に腰を下ろす。

 ノア達は今、城のバルティザン(張り出し櫓)部分に居た。ここから下中庭で行われるアリス捕獲作戦を鑑賞するのだ。

「で、言い出しっぺは?」

「何か用意するって言ってたからもう来るんじゃない?」

 そう言って厳重に閉じられた重たそうな扉に目をやると、ギギギと音を立てて扉が開いた。

「すまない、遅くなったな。厨房から暖かい飲み物を貰ってきた」

「ありがとう、助かるよ、ルイス」

「ありがと」

「ほら、お前たちも持っていけ」

 ルイスは持ってきた人数分のカップを配ると、簡易テーブルの上にヤカン(ノアに借りた)を置いた。後はご自由にどうぞスタイルだ。

「ありがとうございます、いただきます」

 そしてこういう時に真っ先に動くのはいつだってキリだ。アリスに言わせると、キリは本当に遠慮がない! というが、キリからしてみればアリスにだけは言われたくない、である。ちなみにノアから言わせればどっちもどっちだと思っている。

「あれ? そう言えばカイン様は?」

「リー君、カインはな、昔から夜十一時を回るともう動けないんだ。鐘が鳴ったと同時にあいつの寝息が聞こえてくるんだ。あれもなかなか驚異的だぞ。なあ? オスカー」

「はい。もうぐっすりです」

 ペット達の世話をしなければならないカインは、朝がとても早い。その為、就寝もまた早いのだ。ただ、非常事態の場合にはちゃんと起きてくるので何も問題はない。

「さて、今夜のアリスはどうなってるんだ?」

「あそこだね。あの籠狙ってるみたいだよ」

 そう言ってノアが指さした先にはアリスが地面に這いつくばって籠ににじり寄る姿がある。

「あーあー、前ドロドロだよ、あれ」

 呆れたようなリアンの声にノアは笑って頷いた。こうやって夢遊病になった翌朝は、大抵アリスは半泣きになりながら自分の寝間着を洗うのである。理由はハンナが怖いから。

「ま、ちゃんと自分で洗うんだから怒らないけどね。しっかしこうやって上から見てると中々間抜けだね!」

 嬉しそうに口元を押さえて笑うノアにルイスが冷めた視線を送る。

「……お前、本当にアリスの事が可愛いのか?」

「可愛いよ。見てよ、あの恰好。踏んづけられたカエルみたいじゃない?」

「お嬢様の感性もよく分かりませんが、ノアさまはたまにそれ以上なので、私でも戸惑う事があります。正に今です」

 真顔でそう言って紅茶を飲んだキリにトーマスとオスカーが噴き出しそうになるのを堪えた。

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