第七十三話 夢見るアリス
アリスは夢の中でどこか草原の真っただ中に居た。正面の木の下に美味しそうな野菜が入った籠が置いてあるが、その籠の前に大きなゴリラがウロウロしていてなかなか近づけない。ポケットを漁ると出て来たのは硬貨のみ。いつも夢の中ではこうだ。たまにナイフやトランプを持っていたりするが、今日は何もない。何かないかと辺りを探ってみたが、やはり何も無かった。仕方なくアリスは正攻法で行こうかと視線を上げると、木から頑丈そうな蔦が生えている事に気付いた。
(蔦と言えば……ターザン……)
アリスはゆっくりとゴリラから距離を取りながら後ろに回り込むと、木からぶら下がる蔦を引っ張り、強度を調べてみた。結構固い。いけそうだ。
アリスはその蔦をひっぱり降ろしてくると、先端を輪にして縛り、それをゴリラに輪投げの要領で投げつけて次の瞬間強く蔦を引っ張った。すると、蔦はゴリラを締め付けるようにギリギリと絞まる。琴子時代に見たテレビで、引っ張るだけで絞まる縛り方を見ておいて本当に良かった。
アリスはゴリラを引っ張ってそのまま木に括りつけると、バタバタさせているゴリラの足元の野菜を取って硬貨を入れた。ゴリラは何か叫んでいるが、生憎アリスにゴリラの言葉は分からない。
(こっちからも匂いがしてる)
アリスは野菜を持ったままフラフラと歩き出した。すると、どこからともなくゴリラが次から次へとやってくる。ここでようやくアリスは理解した。どうやらあのゴリラは仲間を呼んだらしいという事に。
「う~ん……どこであんなの覚えたのかなぁ……」
心配そうなノアとは対照的に引きつるルイスとリアンとトーマス。
『いざと言う時にはお嬢様はアサシンのような動きをするので』
キリが言ったという言葉を思い出した三人は寒さではない震えに体を抱えた。
「あれじゃあアリスさまが不利ですね~。野菜持ったまま戦うなんて」
「そうだねぇ。不利というか、万が一野菜に傷がいった時の方が僕は心配かな。よし、ちょっと待ってて」
そう言ってノアは席を立った。しばらくすると中庭にノアが大きなバケツを持って姿を現し、アリスの肩を掴んで何か言っている。アリスは頷き、ノアの持っているバケツに野菜を入れると、それを持ってまたフラフラと歩き出した。
やってくるゴリラを撒いて人気のない所にやってきたアリスは、野原の真ん中にノアが居る事に気付いた。いつものノアはアリスを捕まえようとソワソワしているのに、今日はバケツを持って笑っている。そんなノアにアリスが近づくと、ノアが言った。
(アリス、そのままじゃ野菜に傷がついちゃうよ。これに入れておいたら?)
(うん! ありがとう兄さま)
やはりノアは気が利く。襲ってくるゴリラから逃げたのは、偏に野菜が心配だったからである。このバケツがあればアリスは無敵だ。そう、夢の中のアリスは何でも出来るのだ!
アリスはバケツを持って歩き出した。正面から真っすぐに向かってくるゴリラ。早く野菜を回収したいのに面倒だ。アリスは持っていたバケツを勢いをつけて振り回し始めた。中に野菜が入っているので遠心力で物凄い力が出る。それに気づいたのかゴリラは近寄っては来なかった。でも逃げてもくれない。面倒くさい。
アリスはゴリラの正面で、ふ、とバケツを離した。それと同時に走り出す。勢いのついたバケツは弾丸のようにゴリラに命中してゴリラが倒れた。それと同時にバケツの中の野菜も飛び出したので、それをキャッチすると、またバケツに放り込んで歩き出した。
「ぶはっ!」
「まあ!」
思わず飲んでいた酒を噴きそうになったルカと、驚いたように目を丸くするステラ。
二人はまだ仲良くバルコニーで酒を飲みつつ鑑賞していたのだが、さっきから繰り出されるアリスの突拍子もない攻撃に翻弄される騎士達を見て、何だか可哀相になってきた。
だが考えようによってはとても恐ろしい事だ。もしもあれがバケツではなかったら、あの騎士たちは簡単に殺されていたかもしれない。
次々に倒れていく騎士たちを見つけては場外に運び出す門番が一番忙しそうだ。
「相手が少女だという事に遠慮もあるのだろうが明らかにあちらの方が一枚上手だな」
「何かしらね、あんな少女が騎士達をバタバタなぎ倒すのを見ていると、胸がスカっとするわ」
「え⁉」
意外なステラのコメントにルカがギョッとしてステラを見ると、ステラはルカを見上げてふふふ、と笑う。何か思うところがあるのか無いのか、酒を飲んで体は熱いはずなのにゾッとしたルカだった。
(あんな所にも!)
アリスはゴリラを次々に倒して野菜を探していた。籠は今の所三つ見つけたから、あと一つだ。昨日はそうだったから、今日も四つに違いない。そう思いながら探していると、城壁にぶら下げられた最後の籠を見つけた。その下にはゴリラがうじゃうじゃ居る。あんなの聞いてない。そうか、どうやらこの野原はゴリラの生息地なのだな。後から来たのはアリスの方だ。遠慮した方がいいのかもしれない。
でも、アリスもお腹が減っているのだ。少しぐらい分けてくれても罰は当たらないはずだ。それにちゃんと硬貨も置いてきている。ゴリラが硬貨を喜ぶかどうかは……分からないけど。
(もう面倒だし、正面から行っちゃお)
アリスは堂々とバケツを持ってゴリラの輪の中に足を踏み入れた。
「マズイな。キリ、行くよ」
「はい」
「ど、どうしたんだ?」
突然立ち上がったノアとキリにルイスが問いかけると、ノアが早口で言った。
「アリスにスイッチが入っちゃったみたい。相手は戦いのプロだから大丈夫だとは思うけど、一応見て来る」
「そ、そんなヤバイの?」
「ヤバイです。トランプで皮膚を裂くような力を発揮するので、バケツはもはやハンマーになりえます」
「……は?」
ポカンとした二人を置いてノアとキリは一気に階段を駆け下りた。心の中ではアリスの心配よりも、騎士達の心配ばかりである。
アリスはゴリラの巣に近づくと、バケツの中から丁寧に野菜を全部取り出した。一つずつ並べて、まるで自分の戦利品を見せつけるかのように。その動きに騎士たちは思わず動きを止めて見入っていたのだが、最後の野菜をアリスが地面に置いた瞬間、アリスは動き出した。
突然突進してきたアリスを正面から受け止めたゴリラには鳩尾に一発、それに気づいて右から飛び掛かってきたゴリラにはバケツを被せて足払い。後ろから来たのにも肘で鳩尾に、左から来たゴリラには左足で回し蹴り。
(あぁ~この感覚久しぶり! 楽しい! やっぱり夢っていいよね。思う存分動けるもん!)
夢ではないのだが。ゴリラは騎士達だし、アリスの見た目に反して重いパンチは内臓を的確に抉ってくる。
(でもな、夢の中とは言え、命は命。私が野菜盗ってるんだもんね。ごめんね、ゴリラさん。ちょっとだけでいいから寝ててね)
ゴリラたちは何か喚きながらアリスに襲い掛かってくるが、何度も言うが、アリスにゴリラの言葉は分からないのだ!
間合いを取って素早くゴリラの後ろに回り込み、首に手刀を充てる。。
(安心せい、みねうちじゃ! きゃー! 言ってみたかったんだぁ~)
「へ……へへへ」
目は閉じているのに笑い声を漏らすアリスは一体どんな夢を見ているのか。野菜を守る騎士達が青ざめる。
どうにか捕まえようとするのに、アリスはドジョウのようにスルリとすり抜け後ろに回り込んで手刀を打ち込んでくる。傷をつけてはいけない。分かっているのに、思わず手が出そうになってしまう。そんな中、一人の騎士が業を煮やしたのかアリスに殴り掛かろうとした。
「馬鹿! 手、出すな!」
しかしもう遅い。騎士の拳はアリスに向かって思い切り振りかぶられていた。そう、振りかぶったのだ。ところが、それを易々と受け止められてしまった。少女の小さな手に。そして次の瞬間、何が起こったか分からないまま地面に倒されて、脇腹に蹴りを入れられ失神してしまっていたのだ……。
(ゴリラが反撃してきた! ヤバ! 早く全員眠らせなきゃ!)
アリスはとにかく動いた。今まで疲れないように動いていたけど、そんな事は言っていられない。野菜を獲得出来るかどうかの瀬戸際なのだ。
アリスのスピードがグンと上がった。夢の中だからなのか、リミッターが外れた人間の動きというものを目の当たりにした騎士達は、思わず怯んだ。その間にもアリスは騎士達の鳩尾に重いフックを、首筋に手刀を入れてくる。
(も~~~ゴリラさんごめんなさいってば~~)
そう言いながらもアリスはまだ向かってくるゴリラをなぎ倒していた。中にはアリスの足を執拗に狙ってくるゴリラも居る。ゴリラは賢いな! アリスはそんな事を考えながらもその足を救い上げて反対側の足に引っ掛けてツイストしてやると、ゴリラは動かなくなった。
(足ゴリラごめんね! すぐ治る! 打ち身になるぐらいのはず!)
ここでいつまでもゴリラと戦っていても仕方ない。そう考えたアリスは壁からぶら下がる籠に視線をちらりと移した。壁に上るところはない。しかし、ちょうどいい場所に木がある。そして籠をぶら下げた部屋の窓は開いている。
アリスはクルリと踵を返すと、物凄い勢いで木に登った。下からゴリラが必死になって追いかけて来ようとするが、そんな事には構わない。あの野菜はアリスのものだ。
木の上だというのにアリスはスピードを緩めなかった。夢の中だから恐怖感も麻痺しているのかもしれない。しなる木の先端から窓に向かって飛んだアリスは、ギリギリの所で窓枠に捕まる事が出来た。そこからヒョイと窓に上り、スルスルと野菜の籠を引き寄せると、中の野菜を回収して硬貨を入れる。
(ゴリラさん、ごめんね! ちゃんとお金入れとくね!)
ゴリラに向かって手を振ったアリスは、窓枠に足をかけてぴょんとまた飛び降りると、途中で壁を蹴って最初に並べた野菜の元に着地した。
並べた野菜の泥を払ってバケツの中に嬉しそうに野菜を放り込むアリスは、今日の戦利品を見てホクホクする。
(ふぅ~大量大量!)
振り返ると、ゴリラ達はじっとこちらを見ていた。そんなゴリラ達に手を振って歩き出そうとした所で――。
(はい、アリス。今日はこれで終わりだよ。キリ)
(はい。お嬢様、観念してくださいね)
ノアとキリによってロープでグルグル巻きにされてしまった……。
(さっきはバケツ持ってきてくれたのに、兄さまはいっつも良い所で邪魔するんだもんなぁ)
その後、しょんぼりと項垂れたアリスは、兄の手刀によって落とされてしまったのだった。
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