第七十一話 ルイスの思惑+おまけ

「他にどこか調理場があるような所はあるのでしょうか?」

「どうだろうね。庭師とか森番の小屋とか?」

 そこまで言った時、突然馬小屋の方から悲鳴が聞こえてきた。ノアとキリは顔を見合わせて頷く。叫び声が上がった場所、そこにアリスが居る確率が高い。

 果たしてアリスは馬小屋に居た。おろおろする馬番の男を後目に持ち帰った野菜を細かく刻んでいる。どうやらアリスは妊娠初期の馬にご馳走を振舞っていたらしい。

 部屋にアリスを連れ帰ったノアは、ライラの待つ部屋に向かった。部屋の前ではルイスとカイン、ライラにリアン、そしてルーイが怖い顔をして待っている。

「おはよう、皆」

「おはよう。朝から大変だったな」

「まあ、いつもの事だから。この時期は僕もキリも超早起きだよ。アリスのおかげで」

 そう言って肩を竦めた腕にはアリスが抱きかかえられている。

「ノア様……面目ない」

 悔しそうに頭を下げたルーイにノアがにっこりと微笑む。

「今日の事できっと、皆分かったんじゃないですか? このままじゃマズイって」

 ノアの言葉にルーイは面目無さそうに頭を下げる。

 これでよく分かっただろう。どれだけ護衛達が城の警備を怠っていたのかが。いくらアリスがすばしっこいとは言え、見回りの護衛達の目を盗んで全ての籠を回収するのは難しいはずだ。それが簡単に出来たという事は、それだけ手を抜いているという事。

「で、何してたの? この子」

 まだ眠そうなリアンは腕を組んで寝息を立てるアリスを見て言った。

「それがね、馬に餌やってたの。馬の一頭が妊娠してるみたいで、高級食材ほとんど馬達のお腹の中だよ」

「……寝ぼけ方が斜め上だな」

「馬が妊娠? すぐに隔離してあげた方がいいんじゃない? ルイス」

「ああ。その通りだ。ちょっと行ってくる。アリスに礼を言っておいてくれ」

「うん。馬小屋にまだキリが居るから、どの子かキリに聞いて」

 ノアがアリスを部屋に連れ戻すと、心配そうにライラがついてきて、涙を浮かべながらアリスの泥にまみれた手と足を丁寧に拭いてやっていた。

「ノアさまごめんなさい。隣の部屋で寝ていたのに、私、全然気づかなくて」

「僕達も気づかないよ。大丈夫。それよりも、真っ先に報せに来てくれてありがとう。朝食まではまだ時間もあるし、もう少し寝ておくといいよ。アリスは一度抜け出したらもう外には出ないから。次に目を覚ました時は、アリスも起こしてやって」

「は、はい!」

 廊下ではリアンがまだ腕組をして待っていた。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃないでしょ? はい、これ。ライラに上着貸したでしょ?」

 そう言ってリアンは丁寧に畳まれた上着をノアに返してくれた。もう片方の手には自分のガウンが下げられている。

「ふふ。リー君はいいお嫁さんを貰ったね」

「なに、急に」

「いや、ライラちゃんはいい子だなって話。アリスが居なかったら、僕も求婚してたかもね」

「させないよ、そんな事」

「冗談だよ。さて、もうひと眠りしよっかな……眠い」

「ちょ! 僕もう完全に目、覚めちゃったんだけど⁉」

「えー……ベッドに入って目瞑って百数えてごらん。すぐ寝れるから」

「アリスと一緒にしないで!」

「はいはい……おやすみ~」

「ちょっと!」

 慌ただしく部屋に戻る二人を見届けてルーイはもう一度誰も居なくなった扉に礼をしてその場を立ち去った。腹の中は煮えくり返りそうになっている。

 バタン! と乱暴に騎士団の執務室の扉を開けたルーイは、机の上にあった籠を片手で薙ぎ払った。ルーイのそんな態度に、部屋に集まっていた護衛達がビクリと体を強張らせる。

「どういう事だ? 4つだ。隠した籠は全部で4つ。それが全てやられていた」

 続いてルーイはポケットの中から籠に入っていた硬貨を取り出してそれを机の上に乱暴に置いた。

「ご丁寧にアリス嬢は野菜の対価を支払って行ってる。それどころか、その後は馬に野菜をやっていたそうだ。お前たちは、その間一体どこで何をしていた?」

「……」

「何をしていたと聞いてるんだ! どうして誰も答えない⁉」

「答えないんじゃなくて、答えられないんですよね?」

 そう言って外から顔を出したのはルイスの従者のトーマスだ。突然のトーマスの登場に護衛たちは驚きを隠せない。

「聞きましたよ。休みでもないのに街に降りて酒盛りしていたんですって? 中には籠の小銭を着服した者もいるそうですね?」

 騎士たちから表情が消えた。どうして知っているのだ?

 そんな疑問に答えたのは、ここには居るはずのない人物だった。

「アリスの硬貨を予め私が印をつけておいた硬貨と入れ替えておいたんだ。すると不思議だな。その中の一枚が街の酒場から見つかった。お前たちは気付かなかったようだが、一晩中仲間たちに見張られていたんだ」

 現れたのは、旅を共にした護衛たちを連れたルイスだった。

「ど、どうしてお前たちが……」

「お前! 反ルイス派なのに、何故!」

 口々に裏切りだと見張っていた者を罵る騎士たちを見て、ルイスは呆れたようにため息を落とした。

「どうしてルーイが私の旅の共に反ルイス派の中でも最も激しく反発していた者を付けたと思う? 最初の目的は炙り出しだったんだろう。そうだな? ルーイ」

「仰る通りです」

 反ルイス派をルイスの旅に同行させたのは、あくまで最初は裏切者を炙り出そうとしただけだった。反ルイス派が動いて道中でルイスに害すれば、後は芋づる式に反対派を炙り出せる、そう思ったのだが、意外にも反対派は道中楽しくやっていたうえに、帰りにはすっかりルイス派に寝返っていたのだ。理由を聞くと、彼らが反対していたのは、ただ単に下位貴族と仲良くなっていく王子に威厳を感じなかったからだというではないか。

「ところが、思いのほか旅は順調に進んでな。どうやら彼らは私が男爵家や子爵家と仲良くしているのが気に入らなかっただけらしい」

 ニヤリと笑って元反ルイス派を見たルイスに、元反ルイス派はバツが悪そうにそっぽを向いた。

 結局、どうせ仕えるなら尊敬できる主に仕えたいという純粋な騎士心だったようだ。

 けれど幾日かルイスの護衛として下級貴族たちとも触れあい、一緒に行動するうちに気付いたという。器の大きさは家柄ではない、という事に。

 旅が終わったあと、ルーイの元に一人の騎士が安い酒を持ってやってきた。初日にルイスに失望したと言っていた、一番年の若い騎士だ。

 彼は飲みながら散々ルイスの愚痴をいい、最後には笑って言った。

『や~でもぉ、俺、王子嫌いじゃないんですよぉ。なんかぁ、お高く止まってんのが王子の仕事ぉ、とか思ってたけどぉ、違うんだなぁって。周りの意見が聞けてこそなんだなぁ……あんなん男爵家に言われて素直にきくとかぁ、俺には無理だぁ。どんな相手も尊重してぇ話聞けるってぇ才能ですよねぇ⁉』

『ああ、そうだな。王子としての矜持だろうな、あれも』

 相手の立場や地位がどうであれ、素直になるというのは簡単なようでなかなか出来ない。それが目下の者であるならばなおさらだ。

「私は家柄で付き合いを選ぶ気はこれからもない。その人物の人となりを尊重したい。私の今の護衛は、言わば父からのお下がりだ。いずれは自分の騎士団を持つことになるだろうが、まだその時ではない。だからと言っていつまでもお前たちを私の護衛につけているのも良しとは思わない。よって、今日を持って私の護衛の任を解く。明日から王の騎士団に戻って良い。今までご苦労だった。それから、私の客は父である王と母である王妃の客でもある。その客の金をたとえ硬貨であったとしても盗んだのはいただけないな。私の監督不行き届きでもあるが、庇い建ては出来ない。今回の事は全て王には既に報告してある。厳重な処罰を求めているので、今日の任務をサボった者達は王からの通達があるまで皆謹慎とする。以上だ」

 そしてルイスはトーマスと共に部屋を出て行った。

 ルーイは残されたルイスの護衛だった者達の様々な反応を見ていた。青ざめるもの、ホッとしたような顔をする者、名残惜しそうな者、反応は実に様々だ。

「え~俺ぇ、王子の護衛楽しかったのになぁ~」

 あの年若い騎士が言うと、一緒にブルーベリーを狩った者が、俺も俺も! と手を上げた。ルーイはその騎士達をそっと記憶に留めると、騎士達を部屋から全員追い出した。

 小さなため息を落として伸びをしたルーイは、今朝のルイスとのやりとりを思い出す。

 ルイスはアリスの部屋の前でルーイに言った。

『ルーイ。俺はこれから時間をかけて自分の騎士団の選抜をしようと思う。自分の命を預けるのに、今の護衛では不安が大きすぎる。俺の騎士団には俺を守るというのももちろんだが、何よりもルーデリアを守っているのだという意識がある者を置きたいんだ。だから騎士団の試験はただ一つ。アリス捕獲に積極的に参加した者だ。捕まえられなくてもいい。追い詰められなくてもいい。積極的にアリスに挑んだ者を教えてほしい。その中から王の騎士団を除いた者と面談を行う。そして、これは試験だという事は皆には知らせないでほしい。それから最も重要なのは、階級には一切こだわるな。いいな?』

『もし、誰も参加しなかった場合は?』

『その時は、俺の人徳が無かったということだ。来年またアリスに来てもらって選抜しよう。俺はそれまでに騎士たちに誇れるような王子になっている』

 笑ってそう言い切ったルイスに、ルーイは気づけば胸に手を当てていた。そしてふとあの若い騎士との夜を思い出したルーイはルイスに尋ねた。

『ではもしも、王の騎士団の中から王子の騎士団に入りたいという者が現れたら?』

 その言葉にルイスは一瞬、きょとんとして笑う。

『そんな奇特な奴がいるとは思えないが……そうだな、その時は王と喧嘩でもしようか。そこまで望んでくれるのなら、例え相手が王でも負ける気がしない』

『……王子の望むままに、私も力を尽くします』

『ああ、頼んだ。俺の騎士団の団長が決まるまでは、すまないが、よろしく頼む』

 そう言って馬小屋に向かったルイスの背中は、既に王の風格が備わっているような気がしてルーイは思わず目を擦ったのだった。

 ルーイは執務室の椅子に腰かけて、二番隊長を務めているゾルを呼んだ。

「どうしました? 団長」

「ゾル、俺が王の騎士団から抜けたら、お前はそのまま王の騎士団長を務めてくれるか?」

 突然のルーイの申し出に、ゾルは訳が分からないとでも言うように首を傾げた。

「すまん。変な事言ったな。戻っていい。ああ、それからアリス嬢捕縛の件なんだが、全ての騎士たちに伝えてくれ。参加は自由だ。ルールは今まで通りだと伝えてくれ」

「? 王子の護衛の者が対象だったのではないのですか?」

「ああ。それだと一部の者のみになってしまうからな。王子は全ての騎士に参加してほしいそうだ」

 その言葉にゾルは神妙な顔をして頷いた。

「お前も参加していいぞ」

「馬鹿な事を。私まで参加したら王の警護は誰がするんですか」

「はは、確かに。悪いな」

「そう思うんなら、早く戻ってきてください」

 ゾルはそう言って部屋を出て行った。

 その夜から、客人が居る間は城内は夜になると異様に緊迫した空気が流れるようになったのは言うまでもない。




おまけ『馬小屋のアリス』


「ご迷惑をおかしてしまって申し訳ありません」

 青ざめる馬番にノアが声をかけると、馬番はヒぃ! っと短い悲鳴を上げてこちらを振り返った。

「あ、あ、あの! あ、あの子! だ、誰?」

「えっと、アリス・バセットと言います。僕の妹なんですが、ちょっと夢遊病の気があって」

「む、夢遊病⁉ 夢遊病で馬、馬の餌やるの⁉」

「餌?」

「え、ええ。ああやって高級野菜刻んで、さっきからずっと……なんか訳の分かんない動物が馬に餌運んでて……え? これ、夢?」

 夢だな。そう言って馬番は意識を失った。見事な現実逃避っぷりである。

「ドンブリ、なにしてるの?」

 ノアが声を掛けると、ドンブリは嬉しそうに駆けよってきたが、ノアの笑顔を見てピタリと動きを止めた。

「駄目じゃないか。君達にはしっかりアリスの見張りを頼んだよね? アリスがどこかへ行ったら、どうするんだった?」

「キュ……キュキュ……」

「クゥ~ン」

「そうだよね? 僕かキリに知らせるって約束だよね?」

「……キュ」

「クゥ」

「反省してるの? 二度としない?」

「キュ」

「オン」

「ならいいよ。リュックは?」

「キュ!」

 クルリと振り返ったドンの背中にはアリス捕縛セットが入ったリュックが背負われている。

どうやらこれはちゃんと持って出たらしい。一連の流れを見ていたキリは珍しく動揺したようにノアを見る。

「……ノアさま、いつからドンブリと会話が出来るように……?」

「はは。適当だよ適当。さて、じゃあ始めようか」

「はい」

 ロープを持ったノアがアリスに近づくと、アリスはノアに気付いたのかハッと身構えた。

「アリス、そろそろ朝だよ。どうして馬に餌あげてるの?」

 寝ぼけているアリスにノアが問うと、アリスは首を傾げて一頭の馬を指さした。指を指された馬は美味しそうに高級食材を食べている。

「キリ、その馬のステータス分かる?」

「馬、ですか。えっと――ああ、妊娠中ですね。かなり初期です」

「なるほど。それで栄養つけなきゃと思ったの? で、他の馬にもお祝いの野菜をあげていた?」

 ノアの言葉にアリスはコクリと頷いた。ノアはもう一度頷くと、そう言えばこのパターンもあったな、と思い出す。

 いつだったか、アリスが大量のお菓子を豚にやっていた事があった。それを見た豚の飼い主は大層怒ったが、すっかり豚が味をしめてそれから菓子を強請るようになってしまった。仕方なく豚の飼い主はお菓子をあげていたが、いざ豚の出荷の時に食べてみると、驚くほど肉が美味しくなっていたのだ。それからそこの豚は今も菓子をもらっているし、どこに出荷してもあっという間に売り切れてしまうほどの人気豚になった。

「アリス、あとは馬番の人のお仕事だよ。ちゃんと伝えておくから、これ以上お仕事を取っちゃ駄目。いいね?」

 コクリ。

 アリスは頷いてこちらに寄ってくると、ノアの目の前でようやく意識を失った。

「ふぅ、今日はロープいらなかったね。さて、ドンブリも戻るよ。キリ後は任せても構わない?」

「もちろんです」

 キリは持ってたロープをドンのリュックに戻すと、倒れてしまった馬番の代わりに、アリスが刻んだ野菜を馬達に振舞うのだった。


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