後日談
いつかの未来
わたしと彼女は女同士。そして恋人同士。
だけど決して法の元で家族にはなれない。いや、なろうと思えばなれなくはない—養子縁組をすれば一応家族にはなれる—のだが、夫婦—もとい、
—と、いうのはもう過去の話だ。
あれから数年経った今、ようやく法が改正されて、わたしと彼女も法の元で婚姻関係を結べるようになった。
のだが…
「…ねぇ、満」
「はい」
「…わたしに何か言いたいことない?」
「あ?ねぇけど…何?」
『結婚しましょう』その一言がなかなか言えないでいた。法が改正されてもう一週間経つというのに。わたしたちはもういつでも家族になれるのに。
彼女の方から結婚について切り出すことは無さそうだ。だって、彼女は結婚なんて興味無さそうだもの。
「…あ」
急に何かを思い出したように彼女が声を上げた。もしかして、気付いたのだろうかと少し期待したのも束の間。
「…冷蔵庫にあったなんか高そうなプリン、食っちゃったこと怒ってます?」
期待は一瞬で落とされる。
プリンなんてどうでもいいのよ。
というか、一緒に暮らしてもう何年も経つのにそんなくだらないことで怒ると思われていることが心外だ。
「また買ってきますよ。んな怒んなよ」
「…違う。プリンなんてどうでもいいのよ」
「じゃあなんすか?…今日なんかの記念日とか?」
「…違う」
「じゃあなんだよ」
「…」
察してほしいなんてわがままであることは分かっている。だけどどうしてもプライドが邪魔をする。彼女の方から言ってほしい。『結婚します?』と。
「…浮気疑われてる?」
「…誰でもいいけどわたしが居れば他はいらないんでしょう」
「分かってんじゃん。…浮気じゃないとしたら何?」
「…」
「…当ててほしいってことですね」
「…そう」
めんどくせぇなぁとため息をつきながらも、彼女は隣に来てわたしを見ながら真剣に考えてくれる。こういうところが好きだ。素直になれなくて面倒くさい、わたしが嫌いなわたしでさえ愛してくれる。そこが好きだ。
「…好きって言ってほしいとか?」
「…違う」
「ハグしてほしい」
「違う」
「まぁいいや、とりあえずハグしましょう」
何故か抱きしめられる。違うが、彼女の体温が心地良いと感じてしまうのが悔しい。
「…好きです」
思わず漏れてしまう言葉に彼女は「私も」と優しい声で返すものだから、自然に「家族になりませんか」と言うことが出来た。悔しい。彼女の方から言ってほしかったのに。
「家族に…あぁ!そういや法改正されたんだっけ!」
それすらも忘れていたのか。呆れてしまう。やはり彼女は結婚なんて興味無かったようだ。
「…なんて、ごめんね実さん。…法が改正されたのは知ってたよ」
「…じゃあなんでプロポーズしてくれないの。…したら不便だからですか。遊ぶのに」
「遊ばないって。私はあんただけで充分満たされてるよ。満たされてるっつーか、溢れてるかな。だから、遊べる余裕なんてないんすよ」
「…じゃあなんで」
再度問うと、彼女はわたしの肩に頭を埋めて恥ずかしそうに「あんた、ロマンチストだから。プロポーズの方法とか、こだわらないと怒るかなって思って」と呟いた。なんだそれ。…結婚なんて興味ないんだろうと思っていたわたしが馬鹿みたいじゃないか。苛立ちは一瞬にして消えてしまった。
「…実さん、こだわらなくて良いっていうなら今から婚姻届貰いに行きます?…てか、いきましょう。いつ家族になれるのなんてめんどくせぇこと聞かれるの嫌なんで。プロポーズは後でいいだろ?」
立ち上がろうとする彼女を止める。
「…せめて、何か言ってください。…先にプロポーズして」
「…特別な演出とか何もないけどいい?」
「…構いません」
「じゃあ…」
こほんと咳払いをすると、彼女は私の目を真っ直ぐに見つめる。
「…家族になりましょう」
出てきたのはその一言のみ。待ってみるが、続きはない。終わりのようだ。
「…もうちょっと何かないんですか」
「あぁ?…ったく…めんどくせぇなぁ…」
「だって…一生に一度のプロポーズですよ。…こんな…あっさりとしたプロポーズ…寂しいです」
「…はぁ…」
深いため息をつくと、彼女はわたしをソファから抱き上げた。
「ど、どこ行くんですか…」
「…ベッド」
「ベッドって…きゃっ…」
少々乱暴にベッドに降ろすと、上に乗っかり荒いキスをする。そんな空気じゃなかったのに、何を考えているのか。
「なに…なん…なんですか急に…」
「…愛を伝えるならごちゃごちゃ言うより抱くのが一番手っ取り早いかなと」
そう言いながら彼女は服をポイっとベッドの外に脱ぎ捨て、わたしの服に手をかけて慣れた手つきでボタンをすいすい外していく。
「は、はぁ!?なんですかそれ…!」
「実さん。愛してますよ」
そうやって愛を囁かれると何も言えなくなってしまう。
「…そんなこと言って…貴女がしたいだけでしょう…」
「愛してるから触れたくなったんです」
「…誰でもいいくせに」
「あんたがいい。…あんたが居ればいい。…ずっと側にいて。私の隣で一緒に生きてください」
優しい声で愛を囁きながら、いつものように、割れ物を扱うように優しく触れていく。彼女の唇が—指先が触れた場所から、じんわりと熱が—温かい愛が広がって身体に染み込んでいく。
「ずるい…ずるいです…わたしを抱きたいだけのくせに…」
「…とか言いながら嬉し泣きしてるじゃん」
「嬉しいわけないでしょう…もっとちゃんとしたプロポーズしなさいよ…」
「素直じゃないなぁ…身体の方はこんなに正直なのに」
「っ…!もう…!あっ…ちょっと…待って…」
「待ちませーん」
「あっ——!」
明け方まで及ぶ行為の後、彼女は窓を開けて電子タバコ—害のないタバコらしい—を吸いながら「今から婚姻届もらいにいきます?」とサラッと言う。
彼女の口からふーっと煙が吐き出されるとタバコらしからぬ、バニラのような甘いな香りが部屋に漂う。こんなプロポーズ最悪だ。最悪なのに、彼女が結婚したいと思ってくれていたことを嬉しく思ってしまっている自分が悔しい。
「…二人で行くの?」
「一緒に行きたいかなーと思って」
「…貴女のせいで立てない」
「あらら。じゃあ私一人で行ってきます」
ベッドから身体を起こすと落ちていた服を拾って着替え始める。よく見たら着ようとしているのは自分の服ではなく、わたしの服だ。下着はちゃんと自分のもの—下着の下はともかく、上はサイズが全く合わない—のようだが。疲れてボケているのだろうか。間違えていることを指摘すると彼女はふっと笑ってわたしの方に自分の服を投げ渡した。
「使っていいよ。私がいなくなると寂しいでしょ」
そう言って憎たらしい笑みを浮かべる彼女に投げ返す。
「馬鹿!さっさと行きなさい!」
「ははっ。ごめんごめん。冗談」
彼女はけらけらと笑いながら投げ返された服に着替え直し、着ていたわたしの服を投げ返し、部屋を出て行った。彼女が居なくなった部屋は静かだ。寂しさを紛らわせるために、彼女が吸っていた電子タバコに手を伸ばす。
キャップを外し、煙を軽く吸い込み、吐き出す。
甘ったるい匂いを部屋に充満させ、ベッドに転がり目を閉じると側に彼女を感じた。
「…ん…」
目が覚めると、ベッドに彼女が座っていた。細い腰に腕を回して身を寄せると、振り返って優しく頭を撫でてからわたしの隣に寄り添うように横になった。
「おはよう。婚姻届、私の方は書き終わったから後で書いてよ。で、出しに行くときは一緒に行こう」
「…ほんと、あっさりしてるわね」
「んだよ。ただの書類なんだから別に事務的でいいだろ。ところで実さん、左手に何か違和感ない?」
「左手…?」
言われてみれば確かに。布団の中に仕舞い込んだ左手を顔の前に持ってくる。薬指に、見覚えのない指輪がはまっていた。
「これ…」
「婚約指輪。…婚姻届もらいに行くついでに買ってきた」
「…ついでで婚約指輪買わないでください。普通先に用意するでしょう」
「サプライズ」
「…忘れていただけでしょう」
「……忘れるわけないじゃないですか」
明らかに不自然な間があった。呆れてため息をついてしまう。
「…寝てる間に指輪ハマってるってロマンチックじゃない?」
「『婚姻届もらいに行くついでに買ってきた』という一言さえなければね」
「ごめんって。…実さんは用意してないの?私と結婚したがってたのに、自分からプロポーズする気は一切無かったんすか?」
「…」
用意していなかったわけではない。彼女がいつまで経ってもプロポーズしてくれなかったら、わたしからしようと思っていた。
重たい身体を起こし、ベッド横の引き出しから鍵のかかった小箱を取り出す。ドレッサーの引き出しから鍵取り出し、箱を開けるとまた小箱が出てきた。その小箱の中の小箱を開け、中の指輪が見えるように彼女の方を向ける。
「…なんでわざわざ鍵掛けてんの」
「…渡す前に見つけて欲しくなかったから。…左手出しなさい」
「…ん」
差し出された彼女の左手の薬指に指輪をはめる。ぴったりとハマった指輪を見て彼女はふっと優しく笑った。
「…これで貴女はわたしのものよ」
「…こんなもの無くたって、あの日からずっと、私はあんたのもんですけどね」
「…それ、外したら爆発するから」
「ははっ。マジで?」
そう笑いながら早速指輪を外す彼女。
「えー。なんも起きないじゃん。嘘つき」
「…本当に爆発するわけないじゃない。馬鹿」
「ははは。分かってますよ。…あ、苗字ってどうします?どっち取る?そのままにする?」
同性婚が認められる少し前、選択的夫婦別姓も認められた。結婚しても苗字を変えない自由が認められたのだ。別姓という選択肢が増えただけで、今まで通り同姓にしたい人は同姓に出来る。さまざまな手続きのことを考えると別姓の方が楽なのだが、わたしはずっと、一条という苗字が嫌いだった。あの家が嫌いだった。
「…貴女の苗字をください」
「ん。分かった。今書く?もってこようか」
「はい」
彼女が持ってきてくれた婚姻届の配偶者—妻や夫という欄はなくなり、配偶者に統一された—の欄に自分の名前を書き、捺印する。この一条という苗字の印鑑を使うのはこれで最後だ。
「…これを出したら、貴女と家族になるんですよね」
「そうだよ。あんたはこれから、月島実になるんですよ。…式、どうします?挙げたい?」
「挙げたい。…貴女のウェディングドレス姿が見たい」
「ん。じゃあとりあえずこれ出しに行きましょうか。一緒に」
差し出された彼女の手を取り、婚姻届をクリアファイルに入れて家を出る。
愛する人を選べない世界に絶望して全てを憎んでいた過去のわたしに教えてやりたい。絶望という真っ暗な闇を抜けた先には、こんなにも輝かしい未来が待っているのだと。
いつか貴女も、愛する人と手を取り合って家族として共に人生を歩む選択をすることができるようになるのだと。
恋はしないけど貴女を愛している 三郎 @sabu_saburou
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