19話:彼がクズだというなら私もクズだ
約束の金曜日。うみちゃん達を先に帰らせて校門前で彼を待つ。
「…うちの学校にあんな可愛い子居たっけ」
「一年生?…めちゃくちゃ可愛い…」
知ってる。けどどうせ中身を知ったら幻滅するんだろ。などと、周りから聞こえる「可愛い」という声にひねくれたツッコミを入れながら彼を待つこと数分。
「…柚樹ならもう少しかかるわよ。女の子に捕まってたから」
声をかけて来たのは柚樹さんではなく実さんだった。
「…実さんは帰らないの?」
「…帰るわよ」
と、言いながら彼女は私の隣に寄り添うように立つ。
「…」
「…」
話したいことがあるのかと言葉を待ってみるが、何も言わない。
「…帰らないんすか?」
「…手出しなさい」
「はぁ…?」
なんなんだと思いながら素直に手を出す。すると彼女は私の方を見ないまま、私の手の上に500円玉を置いた。
「…この間のお茶代。お釣りは要らないから」
そう言って彼女は私と目を合わせず去っていく。この間のお茶とはなんのことだろうか。記憶を辿る。
そういえばテスト週間に入る前日の昼、彼女が早退した日、彼女に温かいお茶を渡した。あれのことだろうか。
「…別に良いのに」
去り行く彼女の背中に呟く。聞こえていたらきっと彼女は「貴女なんかに借りを作りたくないから」的なことを言うのだろう。想像して苦笑いしながら500円を財布しまう。それにしても遅い。一体何をしているのか。LINKを開き「まだですか」と打ち込んでいると「お待たせー」と彼の声が聞こえてきた。
「いやぁ…ごめんね。ちょっと女の子に捕まっちゃってさぁ…参ったよ…はぁ…」
柚樹さんが合流すると私を「可愛い」ともてはやしていた声が柚樹さんに対する批判的な声に変わる。
『一条柚樹じゃん…マジかあいつ…一年にも手出してんのかよ』
『あの子、あいつの本性知らないのかな…』
『マジでクソだなあいつ』
別に私は彼に何かされたわけではないし、これから何かされるとも思っていない。
火のないところには煙は立たないというし、これだけ悪評の多い彼を簡単に信用してしまうのは如何なものなのかとも思うが、彼の妹の実さんは「自分に恋愛感情を向ける女性は相手にしない」と言っていた。寂しさを紛らわせるために女性を抱くが、恋心を利用するようなことはしないのだと。それが本当なら悪い人ではないはずだし…私に無理矢理迫ったりもしないはずだ。
私は彼に恋愛感情を向けたりはしないが、男性とそういうことは出来ないとはっきりと断った。私の代わりなんていくらでもいるのだから、わざわざ犯罪者になるリスクを冒してまで私を抱こうとはしないと思う。
「…行こうか」
「うん」
「ちょ、ちょっと君!」
駅の方に向かって歩きだそうとすると、一人の男子生徒に止められた。ネクタイの色からして二年生だ。リボンやネクタイの色は学年毎に分けられており、一年は赤、二年は黄色、三年は緑となっている。
「その男、やめておいた方が良いよ。今まで何人もの女の子が泣かされ「知ってますよ」え…」
彼の悪評なんてもう散々聞いている。だけど、私は噂なんて当てにしない。噂は尾鰭が付くものだから。あることないこと、本人のことをよく知らない人間達が勝手に言っているだけだ。本性なんて、接しないとわからない。だから私は…
「この人がクズかどうかは、私自身の目で見極めるんで大丈夫です。仮に何かされそうになっても自分の身くらい自分で守れますし」
「いや…でも、君みたいなか弱そうな女の…子…!?」
ごちゃごちゃ言う男子生徒に詰め寄り、掴んで投げる。その際、身体を打たないように勢いは殺して地面にそっと置くようにして倒す。倒された彼は何が起きたのかわからないと言う顔をして空を見上げたまま固まってしまった。柚樹さんは呑気におーと拍手をしていた。
「…手出されそうになったら思い切り地面に叩きつけてやるんで。別に心配してもらわなくて結構です」
「だってさ。心配しなくても俺は別にこの子に手出す気はないよ。投げられたくないし。わざわざ俺を投げるような子に手出さなくたって相手してくれる女の子探せば良いだけだし」
「…やっぱクズじゃん」
「俺はね、誰でもいいんだよ。誰でもいいからこそ、俺に恋しちゃってる子には手を出さない。私だけを見てなんて望まれたって、俺には無理なんだ。…無理なことを見栄張って出来るなんて言うより、無理だってはっきりと先に言う方がまだ誠実じゃない?…まぁ、理解してくれる人なんてほとんど居ないけどね」
柚樹さんは中腰になり、倒れたままの男子生徒を覗き込んでそう声を掛けると手を差し伸べた。男子生徒はその手を振り払い立ち上がる。
「…俺には理解できねぇよ」
「出来なくていいよ。俺の感覚が多数派じゃないことは自覚してる。…けど、多数派に合わせる気はないよ。だって俺、間違ってないもん。君達が間違ってるとも言わないけど、俺も間違ってない。ただ価値観が違うだけで、どっちが正しいとか無いと思う」
「…」
「俺は君達を否定しない。代わりにお願いなんだけど、君達も俺達を否定しないでほしいな。…さ、行こっか満ちゃん」
そう言って彼はさりげなく指を絡めてきた。…庇うようなことをしたが、悪評が広まったのはやはり自業自得な気がしてきた。庇わなくても良かったかもしれない。
「…何さりげなく手握ってんだよ。投げられたいんすか?」
睨むと「冗談冗談」と笑いながらパッと手を離し、ポケットに突っ込んだ。その胡散臭い笑顔に既視感を覚える。本当にこの人を信用して良いのかと警戒しつつ、隣を歩いて駅へ向かう。
「…満ちゃんさ、なんで実に懐いてんの?」
胡散臭い雰囲気が一変して真面目な空気になる。こういう切り替えもなんだかあいつに似ているなと感じながら質問に答える。
「放っておけないんすよ。…昔の病んでた友人に重ねちゃって」
「…なるほど。同情か」
「…そうっすね。…柚樹さんは何で私に近づいたんすか?」
「それは聞かなくとも分かるでしょ。…君は俺と同じだって聞いたから」
「それは実さんから?」
「…うん。そう。最近懐いてる女の子どんな子って聞いたら、俺に似てるって。恋愛感情ってものが分からないって。…俺ね、人から向けられる恋愛感情が理解出来なくて怖いんだ」
私も他人から向けられる恋愛感情に関しては嫌悪感を抱いてしまう。"自分だけを見てほしい"という独占欲が混じった好きが理解出来ないから。
「…分かります。…自分のものになってほしいって言われるのが嫌なんすよね?」
「そう。俺は、自分だけを愛してほしいって望まれることを重いと感じてしまうんだ。愛してくれるのは嬉しいんだけど…同じように私だけを愛してほしいと望まれても困っちゃうんだよね。…俺には友愛以上の愛がわからないんだ。周りからはさっきみたいにクズだって言われるけど…出来ないことは出来ないって先に言っておいた方が、余計な期待持たせなくて済むでしょ?」
実さんの言ったとおり、私と同じだ。
「…うん。私もあんたと同じです。…私も、自分だけを愛してほしいっていう独占欲に応えられない。…でも…寂しいんですよ。…みんな、当たり前のように特別な人を見つけて…私にもいつか分かるって言うんです。けど、そのいつかが具体的にいつなのかなんて誰も教えちゃくれない。…けど一人だけ、そのいつかは来ないかもしれない、来なくても人として欠けているわけじゃなくてそういう性質なんだって教えてくれたやつがいたんです」
「…そういう性質…」
「セクシャルマイノリティって分かります?いわゆるLGBTのことです。最近だとLGBTQなんて言いますけど…」
「うん。分かるよ。同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーのことだろ?…Qはちょっとわかんないけど」
「セクシャルマイノリティ全般を指す言葉らしいです。…クィア…だったかな?」
自身のセクシャリティを決められない、あるいは分からない人を表す"クェスチョニング"の略でもあるらしい。
「へぇ…なるほど。LGBT以外にもマイノリティは存在するってことか」
「そう。で、その中に恋愛感情を持たない人を表す言葉もあるんです。アロマンティックとか、アセクシャルっていうらしいです」
「ふむ。俺や満ちゃんはそのアロマンティックってやつ?…アロマンティックとアセクシャルはどう違うの?」
「他者に対して性的な欲求を抱くかどうかですね。性的なことは望まないけど恋愛感情は抱くことがある人はノンセクシャル…あるいはロマンティック・アセクシャルというそうです」
「あー…知り合いがそれかも」
静さんのことだろうか。
「…なるほどね。んじゃやっぱり俺もそういう性質の人間ってわけだ」
「やっぱり俺間違ってないんだ」と彼はうんうんと頷く。常識からは外れているかもしれないが『常識や普通なんてただの多数派でしかなくて、正解ではない』それがうみちゃんの口癖。私は彼女のその言葉を信じて生きてきた。
「そうです。私もあんたも、恋愛観が人とちょっと違うだけなんすよ。さっき自分でも言ってたじゃん」
私や彼、それから彼女達、私達は普通じゃないかもしれない。だけど同じ人間だと彼女が教えてくれた。だから私は誰に何を言われようと堂々としていられる。
実さんにも堂々としてほしい。『同性が好きで何が悪い』と堂々とできるようになってほしい。
「…尚更残念だなぁ…こんなに気が合うのに恋人になれないなんて」
はぁ…と彼は深いため息を吐く。
「…私と恋人になりたかったんすか?」
「…寂しがりやなのよ。俺。…それを紛らわせてくれる人なんて、探せばいくらでもいるけどさぁ…好きになっちゃったって言われたり、好きな人が出来たから終わりにしようって言われたりするのよ。…君みたいな人なら、そういうの無いでしょ?…別に俺だけを見てくれなくて良いからさ…本命がいてもいいから…たまに俺を慰めてほしいんだ。…恋人というか、そういう人がほしいんだ。俺は」
寂しそうにそういう彼に同情してしまう。
「…わかります」
彼が女性だったら慰めてやることも出来たのだが。
「…満ちゃん、実のことは好き?」
「…さっきも言った通り、ただの同情です」
「本当に?…それ以上の感情があったりしない?」
「…あるかもしれないけど、好きなくとも恋ではないんすよ。…あの人のこと独り占めしたいって気持ちはなくて…ただ…幸せになってほしいんです。それは私じゃない誰かとでも全然構わない」
「…自分が幸せにしてあげたいとは思わないんだ?」
「…出来るなら、したいです。…あの人の寂しそうな顔見てると辛いから」
それは愛だとユリエルは言った。まだ分からないが多分そうなのだろう。
「…そうか」
「…柚樹さんにもそういう感情ってありますか?」
「あるよ。…俺も実が好き。俺の生きる理由と言っても過言じゃないくらい大切な存在なんだ」
「うわっ、重っ」
『人のこと言えないんじゃない?』と脳内の望とうみちゃんがツッコミを入れる。…いやいや、流石に弟が生きる理由とまでは…言えなくは…ないことはない…かもしれない。
「んー…まぁ…そうだよなぁ…シスコンだとは思う」
苦笑いする柚樹さん。他にも兄が一人いると聞いているが、その人については聞かない方が良いだろうか。そう思っていると、彼の方から流れで兄の話をし始めた。
「俺らには二つ上の兄がいるんだけど…あんまり仲良くないんだ。兄はいずれ会社を継ぐ後継者として厳しく育てられて、俺は逆にどうでも良い存在だから放任されてて…俺は妹以外の家族とはほとんど話さないんだ。…妹にはヴァイオリンの才能があるから人として扱って貰えるけど、俺は居ないものにされてる。家に帰らなくても心配すらしないし…多分、そのまま一生帰らなくても何も言われないと思う」
そう寂しそうに語ってから「まぁ、だからこそある意味自由でいられるんだけどねー」と、パッと笑顔を作る。それ以上はあまり深刻な空気にしないでくれと言うことだと解釈して深追いはしない。
「で、満ちゃんは?兄妹いる?」
「弟が一人」
「へぇ。いくつ?」
「一個下」
「…喧嘩強い?」
「…なんすかその質問」
「…いや、君の弟だからヤンキーなのかと思って。…少なくとも君は喧嘩慣れしてるだろ?」
「まぁ、私は。はい。でも弟は全然っすよ。あいつは私と違って穏やかなんで。常に頭の上に花飛ばしてるような緩いやつですよ」
彼が居るだけで空気が和らぐ。
「…ふぅん。対照的なんだ」
私の血の気の多さは多分、母に似たのだろう。逆に弟は父似だ。あの緩い雰囲気はともかく、気の弱さは似ている。
「…あ、そういやさ、行き先決めてなかったね」
駅を目の前にして柚樹さんが立ち止まり呟く。言われてみれば。私達は一番大事なことを決めていない。
「…柚樹さん家行って良い?」
「えっ、誘ってる?」
「…ソレ、切り落としてから言ってください」
股間を指差すと、彼は苦笑いする。
「…いやぁ…それはちょっと…俺の相棒なんで…棒だけに」
「無くなっても出来ますよ」
渾身のボケはスルーして会話を続ける。
「いや…うん…でもほら…やっぱり繋がりたいじゃん?」
「女としかしたことないんでその感覚ちょっと分かんないっす」
「女の子同士でも繋がれるでしょ。物を介してだけど」
「あー…ありますねー…使ったことないけど」
そもそもそういう発想に至ったことがない。
「…使ってみる?」
「マジで切り落としますよ。相棒」
「男性には触れられるだけも無理なの?」
「無理っすね。こっちが一方的に攻めるだけなら多分…いや、無理だな」
「無理かー」
「残念でした。他探してください」
「今日、誰も捕まんないんだよねぇ…」
「一人でしてろ」
「冷たい…」
などと最低な会話をしながら行き先を考えるが、特に行きたい場所は浮かばない。
「…あ、そういや俺、ノートきれそうなんだった」
「あぁ、じゃあ買いに行きますか」
「うん。じゃあ…」
電車に乗ってショッピングモールへ向かうことにした。
「…前に俺さ、痴漢されたことあってさぁ」
「あ? ちゃんと殺しました?」
「殺しはしないけど…最初、男でも痴漢に遭うって発想がなくて…まさかと思ったのね。そしたら思い切り股間触られてさ。そこでようやく痴漢されてるって気づいたんだけど後ろから『えっ』って聞こえたの」
「女と間違えられたんすか」
「そう。びっくりした」
「そいつどうしました?ちゃんと海に沈めました?」
「ちゃんと警察に突き出したよ。被害者俺ですーつって。よほどショックだったのか素直に認めてお縄にかけられてた」
とはいえ、柚樹さんは女性に間違えられるような身体つきをしているようには見えない。
「満員電車だったから誰触ってるかわかんなかったのかも」
「…なるほど」
「まぁでも、間違えられたおかげで被害者になるはずだった一人の女性を救えたんだから結果オーライだよね」
「…怖くなかった?」
「いや、向こうがその気なら場所変えて文字通り乗っかろうかと思ってた」
「…あんた、見境ねぇな」
「ちなみに俺、バリタチだから抱かれるのは無理なんだけど」
「しらねぇよ」
少しでも心配した自分に呆れてしまう。
「流れで最低なこと聞いていい?」
「『満ちゃんはタチネコどっち?』とか聞くんでしょ」
「そう」
女しか相手に出来ないという話をすると必ず聞かれる。普段は適当に流すが、まぁ別に柚樹さんになら答えてやってもいいか。
「…どちらかといえば攻めたいです」
「ネコでもイケる感じか」
「イケるっつーか…限りなくタチに近いリバとしかしたことないんで」
「攻めたいけど攻めさせてくれないって感じ?」
「滅多にさせてくれませんでしたね」
とても高校生がする会話ではない。それもこんな誰が聞いているか分からないような公共の場で。
まぁ、専門用語だからわかる人にしか分からないからいいか…。
「そういやさ、満ちゃん誕生日いつ?」
「3月3日」
「女の子の日か」
「…間違っちゃいないけど、ひな祭りって言ってくんない?なんかあんたが言うと下ネタにしか聞こえないから」
「あはは…ごめん。ちなみに俺は8月8日ね」
そういえば、私は実さんの誕生日を知らない。そもそも、あまり人の誕生日に興味がない。知ったら祝わなきゃいけなくなるから。だから自分から聞くことはほとんどない。だけど…彼女の誕生日は知っておきたい。『なんで私の誕生日知ってるのよ。気持ち悪い』とまた悪態をつかれてしまうことは容易に想像出来るが。
「…双子ってことは、実さんも誕生日同じ?」
「そりゃそうでしょ」
「たまに違う双子もいるじゃん」
「あぁ、そうか。実も8月8日だよ。夏休み真っ只中だから祝われづらいんだよねぇ。実を祝うついでに俺も祝ってね」
彼女の誕生日は祝う方が良いのだろうか。祝わない方が良いのだろうか。私的には祝いたいが…。…プレゼントを渡しても目の前で捨てられたらやだな…。かといって、誕生日を知ってしまったからには祝わなかったら祝わなかったで怒られそうだ。
「…めんどくせぇな」
思わず呟いてしまうと、彼はしゅん…と悲しそうな顔をする。誤解させてしまったかもしれない。
「いや、ごめん。実さんの誕生日を祝うべきか祝わないべきか考えてて。どっちの選択してもめんどくさい反応されそうだなって思って。…私、あの人に嫌われてるんすよ。嫌われてるっつーか…めんどくさい感情ぶつけられてるっつーか…」
「うん。知ってるよ。…でも多分、あの子が君に抱いてるのは負の感情だけじゃないと思う」
「…うん」
分かっている。だからこそ放っておけない。
「…実のこと愛してくれてありがとね」
わしゃわしゃと頭を撫でられる。そうやって誰かに甘やかされるのは久しぶりで、胸が詰まる。
「…あれ、満ちゃん泣いてる?」
「…泣いてねぇよ」
私はずっと一人だった。恋愛感情を持たない人間もいるとうみちゃんは教えてくれた。だから私は、常識からは外れていてもみんなと同じ人間なんだと思えた。
だけど…私の周りには私と同じように恋愛感情を持たない人は居ない。そういう人間も居るって言ったって、私の周りには私しか居ない。寂しかった。けど今は違う。彼に出会えてようやく、私は本当の意味で一人では無いことを確認できた。
「…柚樹さんは、自分が周りと違うことで寂しいと思ったことない?」
「あるよ。…だから君に出会えて今凄く嬉しい。…空美ちゃんは、"普通"じゃないけど間違ってないって言ってくれたけれど、彼女も普通側の人間だからさ…結局、俺の気持ちは理解してもらえない。理解出来ないけど否定はしないよって言ってくれて、嬉しかったけどやっぱり理解してくれる人が一人くらいはほしいじゃんね。…だから、君のことを知った時、運命だと思った。…これで俺が女だったら良かったんだけどなぁ…」
「…そっちなの?私が男性でもイケたら良かったじゃなくて?」
「…女同士の方が気持ちいいらしいじゃん?」
「…いや、比べられないんで分かんないっすけど」
「男はほら、回数制限があるじゃん」
「あー…なるほど」
「女の子でもイケる子がいてさー…彼女曰く、やっぱ女の子の方が良いらしい」
「…ふーん」
「紹介しようか?女の子でもイケる子。何人かいるけど」
「…いや、遠慮しておきます」
私には実さんとの契約がある。…私があの契約を馬鹿正直に守ってるなんて、彼女は信じてくれないかもしれないが。
「…柚樹さんの遊び相手の中に柚樹さんや私と同じ人は今まで居なかったの?」
「居ないんだよねぇそれが。君が初めてだよ」
「ふぅん…やっぱ少数派なんすかね」
「羨ましいって言われたことはよくあるけどね。…恋って、楽しいだけじゃないらしくて、むしろ苦しいことが多いんだって」
「俺には一生分からなさそうだけど」とどこか寂しそうに彼はいう。
「…恋を知りたいとは思ったことない?」
「…ないことはないけど…一人しか愛せないのはちょっと耐えられんな。ほら、米ばかり食べてたらたまにはパン食いたくならん?」
「私は別に一人いれば良いんすよ」
そこは彼と私との違うところかもしれない。
「そうなんだ。飽きない?」
「飽きるっつーか…うーん…別に性欲自体はそんな強くないんすよね」
「あ、そうなの。ふぅん…」
「柚樹さんみたいにそういう関係の人が何人も居るわけじゃなくて、一人だけだったんすよ。で、そいつとは最近ただの友達に戻って。だから…柚樹さんみたいにふらふらと遊び歩こうかなぁなんて思ってたんすけど…」
実さんとの契約はあまり口外しない方がいいだろう。
「…今はなんか、そんな気になれないんすよ。私を受け入れてくれる場所が広くなって…心が満たされてるのかも」
今までは私をアロマンティックとして受け入れてくれていたのはうみちゃんと望——いや、正確にはうみちゃんくらいだった。望がそういう生き方もあるって受け入れてくれたのは高校に入ってからだ。「自分も海菜が例外なだけでそうなのかも」と言っていた。
はるちゃんのことはどう思うのかと聞くとなんで菊池さん?と首を傾げつつ答えてくれた。「ちょっと犬っぽくて可愛いとは思う」らしい。ちょっと可哀想になった。あんなに分かりやすいのに。
…まぁ、私も実さんから犬扱いされているわけだからはるちゃんのことを哀れむ権利はないのだが。
「…そっか…でも俺もちょっと分かるかも。高校入る前よりは寂しくないんだ。…実と…みんなと音楽をやるようになってから」
「クロッカスが柚樹さんの居場所なんすね」
「そう。たまにサボるけど…」
「たまに?」
「…週一くらいでサボってる」
「結構な頻度じゃん」
「まぁでも、どれだけサボろうが合わせる時までに仕上げてこれば許してくれるから。…仕上がってなかったらめちゃくちゃ言われるけど」
「そりゃそうっすよ」
まぁ、私も時々サボるから彼を責める権利なんてないのだが。
「…で、買うのはノートだけ?」
「うん。ノートだけ。満ちゃんなんかある?」
棚に文房具を眺める。何か買わなければいけないものがあったような気がするが…。
「あ、赤ペンいるわ」
「あー。赤使うよねー」
赤は簿記の授業でよく使うらしい。まだそこまで進んでいないが。
「検定試験も赤ペンいるんすか?」
「いや、検定はシャーペンでオッケーよ。むしろ色ペン持ち込み禁止だから。ルール上は赤で書かなきゃいけないけどテストとか検定では黒で書けって言われると思う」
「…二、三本買っとくか…」
そもそも私は普段から赤のインクの消費量が激しい。…問題集などの答え合わせの際に大量に消費するから。
そういえば、今月26日は弟の誕生日だ。今日は14日。まだちょっと早いが、ついでに見ておくか。
犬柄のシャーペンを手に取ると、隣から「意外とそういうの好きなの?」と柚樹さんが覗き込む。
「いや、弟のです。再来週誕生日なんでついでに見ておこうかと思って」
「あぁ、なるほど。弟くんのか」
「犬好きなんすよ」
「ふぅん。じゃあお姉ちゃんのことも大好きなんだ?」
「…私より弟の方が犬っぽいと思う」
「そうなんだ。へぇ…」
「これが弟です」
スマホでアルバムを開き、柚樹さんに見せる。
「…へぇ。可愛いじゃん」
「いやらしい目で見ないでくださーい」
「心配しなくても手出したりしないよ。この犬は満ちゃん家の?」
「うん。ポメラニアンのつきみ」
「つきみちゃん…女の子?」
「…人間以外もイケるんすか?」
「いや、流石に犬は無理よ」
「…犬は?」
「そこに引っかからないでよ。人間以外は無理ですって」
「冗談っす。つきみはメスですよ」
「ふぅん…いいなぁ…俺も犬飼いたいなぁ…あ、犬みたいな人間じゃなくて、動物の犬ね」
「いや…分かってますよ」
まぁ…柚樹さんなら「これ、俺のペット」とか言って人間の写真見せてきても驚かないが。
弟の誕生日プレゼントにシャーペンと消しゴムを買って、しばらくショッピングモールを見て周り、デートは終了した。
「今日はありがとね。満ちゃん」
「こちらこそ。…で、なんで同じ駅で降りてんすか。絶対家こっちじゃないでしょ」
「送って行くついでにちょっとつきみちゃんに会っていこうかと」
「…ちょっとだけですよ」
「わーい」
地上に出て家へ向かう。
「ただいま。ちょっとだけお客さん入れていい?」
「お客さん?」
「学校の先輩。つきみに会いたいって着いてきた」
家族の許可を得て柚樹さんを家にあげる。
「お邪魔します。お。弟くんこんばんはー」
「こんばんは。姉ちゃんがお世話になってます」
「別になってないけどな」
「つきみちゃんーこんばんはー。初めましてー」
柚樹さんがケージに近寄ると、つきみは誰?と言わんばかりに首を傾げた。
「一条柚樹です。君のご主人様の友達」
ケージからつきみを出して柚樹さんに渡す。
「大人しいんだね。満ちゃんと違って」
「あんまり人のこと警戒しないんすよ。…つか、多分今は眠いんだと思う」
大人しく抱かれたままくぁーとあくびをするつきみ。
「…つきみちゃん、このまま俺んちくる?」
「人んちの犬口説いてんじゃねぇよ」
「あいてっ…君、ほんと先輩にも容赦ないよね」
「もういいですか?下ろしてやってください」
「はぁい。よいしょ。つきみちゃん、ありがとねー」
柚樹さんが手を振るとつきみも片足だけあげ、そして柚樹さんの真似をするように手を振る。誰が教えたわけでもないが、彼女は人が手を振ると反応してくれるのだ。
「…何この子可愛すぎない?やっぱ持ち帰っていい?」
「駄目です。帰って」
「えー…また来てもいい?つきみちゃんに会いに」
「…どうしよっかなぁ…」
「駄目なの?」
「まぁ…いいっすよ。いつでも来てください」
「毎日来ていい?」
「それは無理。あと、来る時ちゃんとアポ取ってね」
「はぁい。つきみちゃん、また来るねー」
柚樹さんの声に対してつきみは返事をするようにわんと一鳴きした。
「じゃ、柚樹さん。またね」
「うん。今日はありがとう。…楽しかった。君と話せてよかったよ」
またねと笑って手を振り去っていく。私も彼と話せてよかった。自分だけじゃないことに確信が持てたから。
そして、今日一日彼と接して確信した。やはり噂は尾鰭がつくから当てにはならないと。
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