第5話 中華街のシェパーズパイ
とても小さな古い中華街だ。
十九世紀の終わり、私は単独で海外に来ていた。
世界中でおなじみの煌びやかな門はあるが、一ブロックほど歩けば中華街の端までたどり着いてしまう。
私が今その街並みを思い起こして、この話でどれほど再現できるものなのかはわからない。
あれからずいぶん経つし、きっと街並みも変わってしまっただろう。
遠く日本から離れてそこで暮らす学生たちは、醤油や味噌に飢え、中華街へ赴く。
当時、日本からの輸入品を取り扱う店は学生には高価で、冷凍の納豆を買うにも店の中で考え込むほどだったのを懐かしむ。
その代わり、少し風味は違うけれど中華食材の中から醤油を試したり、何か日本料理に代用として使えるものはないかと探し回っては、なんちゃって和食を作ったりした。
中華街には醤油や味噌で味付けられたのものが豊富にあった。
飴色の豚肉の餡が入ったの冷凍の肉まんを買い置きして朝食にしていたこともあるし、つるされた叉焼を白米に乗せて甘辛い醤油だれをかけたものをテイクアウトすることもあった。
昼に定額のディムサム(飲茶)をやっているので、わざわざ学校をさぼって行ったことも一度や二度ではない。
あの小ぢんまりとした中華街はナショナリティを問わず、色々なものを受け入れてくれる場所であったことは確かだ。
その中華街の入り口に真っ赤なカフェがある。
本当に真っ赤だったか真実を確かめる術はない。
とにかく私の記憶中のカフェは、紅のように艶なく赤く、端から端まで騒めきたち、夜にそこだけぽつんと明るいのだ。
日本とは違って、二十四時間開いているファミリーレストランも無い地域だ。
世界の片隅の小さな港街。
携帯電話もない時代、歩いていれば知り合いに出くわし、誰かの行方を尋ねればその答えが知れたりするような狭い居心地のいい街だった。
カフェは遅くまで開いていて、家に帰りたくない街の若者達がたまる場所だった。
クラブの開店を待っていたり、夕食後にコーヒーを飲んだり、恋人同士が名残惜しそうに身を寄せ合ったりする。
若者に限らずジャズの演者が出番まで暇つぶしにやってきたりもしていたっけ。
私といえば、人を誘うこともなく、そこに食べる為だけに向かうのだ。
もう帰りのバスはない。
悪友の部屋に転がり込むつもりの敢行だ。
治安の悪い通りもあるから、女の一人歩きなんて本当はすべきではないが、あまり自分の命が重くなかった私は、ベリーショートに刈り上げた金髪の頭にチャラチャラといくつもピアスをのぞかせ、傘は持たず防水のスノーボードのジャケットを、夏なら目深にかぶれるパーカーを羽織って、精いっぱい虚勢を張りながらカフェに入っていく。
実は特に美味しいカフェだというわけではない。
普通の味の普通のメニューは量がたっぷりで、線の細い娘たちは持て余してフォークでつつきまわして時間を過ごす。
ラザニアも平均的だがうまい人気メニューだ。
しかし私は一つのレストランで同じメニューばかり注文し続ける悪癖があった。
シェパーズパイ。
パイの鱗片もないイギリス発祥のオーブン料理。
羊飼いを表すshepherd’sがつくので羊肉を想像するが、このカフェのシェパーズパイは牛肉をつかっていた。
羊肉ではないのをコテージ(cottage)パイといったり、フランス語だとHachis Parmentierという料理がそれにあたる。
レシピに自由度のある料理だと言える。
共通するのは、ひき肉と玉ねぎを炒めて肉汁を引き出してグレービーを加えたフィリングの上にマッシュポテトを敷き詰めてオーブンで焼くという所だけだ。
トマト味のミートソースを使うレシピも、たくさん野菜を入れるレシピもある。
中華街ではきっと羊肉も取り扱っていただろうから手に入らないということはないので、そのカフェでは牛肉を使うので正しいのだろう。
日本のようにきめ細やかな細引き肉ではなく、中華包丁で叩いたような肉片が入っているのが愛嬌があっていい。
ほかの店のシェパーズパイも食べたけれど、私はしつこくこのカフェのシェパーズパイを求めた。
ナツメグのきいたひき肉と玉ねぎ、セロリに人参トマトベースではないグレービーソースからはかすかに醤油の香りがする。
そこに乗っているのはそっけないマッシュポテト。
きっと今の私ならもっとおいしいマッシュポテトがいくらでも作れる。
ジャガイモを潰して牛乳で伸ばしただけのようなパサパサのマッシュポテトに申し訳程度のチーズが乗っている。
ナツメグを効かせて作るのは羊肉を使うときの臭い消しだと後に知って、やっぱりこれはコテージパイではなくてシェパーズパイで間違いないと確信した。
とにかくこれはこの味で完璧なのだ。
それでもカフェの店員が押し付けるように子袋に入ったケチャップを付けてくれるから、私はしぶしぶそれをかけて食べる。
ガツガツと腹を満たし、食べ終わったら安いポンペイかコロナを買って友人宅に転がり込む。
間が悪いと煙草を強請られたり、変な薬を売りつけられそうにするから速足で。
きっと友人は面倒だなという顔で私の寝床を用意してくれるはずだ。
つまみなんかは食べた記憶がないから、あとはずっと吐くまで飲んでいた。
それまでどうやって生きているということを感じていたのかわからないくらいに、生きているなと感じたのだっけ。
なぜこんな思い出話をしているかというと、しばらくぶりに大叔父の墓参りに行った夫に大叔母が土産として持たせてくれた「グラタン」がまさにそのシェパーズパイだったからだ。
夫の大叔父はハイカラな人で、なかなかのグルメだった。
大叔父の父が客船の料理人で、見た目が西洋人らしい夫の曾祖母よりもうんとおいしい西洋料理を作ったと語っていたのが懐かしい。
大叔父の亡くなった後も、料理上手の大叔母は私たちを招いては昭和の美しい西洋料理を振舞ってくれる。
肩のこるコース料理ではなくて、お箸でいただく家庭の味だ。
生前の大叔父もきっと大叔母の料理をたくさん褒めただろう。
スパイスはほとんど効かさない美しい味だから、コテージパイと言った方がいいかもしれない。
この味を作る大叔母が好きだ。
ひき肉と玉ねぎとトマトとマッシュポテトだけの優しい味で完結させられる精神性がこの人の生きざまだ。
調味料はたくさんあるし、その使い方も知っている。
しかし大叔母はこのシンプルさで味付けをやめる。
自分で何かを決めて、選んだり捨てたりしてきた大叔母そのものの味だ。
おふくろの味というのは、きっとこういうものをいうのだろうなと思う。
私はコロッケは作らない。
ポテトサラダは向かいに住んでいるご近所さんから聞き出したレシピだし、肉じゃがなんか生まれて数回しか作ったことがない。
そんなのは凄い単価の高い男を篭絡するために練習する料理だと思ってきたし、実際肉じゃがで落ちそうな男を好きになれたためしがない。
和食党の娘に請われて最近ようやく手を付け始めたところだ。
私のジャガイモ料理代表はシェパーズパイなのに、何年も作っていない。
マッシュポテトは頻繁につくっていたのにシェパーズパイにたどりつかなかったのは不思議だ。
私のシェパーズパイは実に良く私を表している。
ひき肉に玉ねぎ、セロリ、人参とマッシュルームも入れる。
ブイヨンとソースとケチャップ、それと醤油も隠し味に。
ナツメグは、健康被害の出ないぎりぎりの線を攻める。
最後に少し甘みも足してしまう、なかなか未練たらしい味だ。
何も捨てられない、何でも取り込みたい、それが私のシェパーズパイなのだろう。
マッシュポテトは牛乳で伸ばしてバターとハーブソルトで味を整える。
チーズは乗せても乗せなくてもかまわない。
味は薄めにしておくんだ。
ケチャップをかけて食べたいから。
私はあの味にまだ固執している。
あの街は私ができあがった場所なのだと思う。
だからこのシェパーズパイは私が自分の足で一歩踏み出した時の味がする。
あの街にいた時の話はあまり子どもたちにはしていない。
とてもではないが、子どもたちに危険な夜の街を徘徊するようなことはしてほしくないのだ。
少なからず私はあの町で危険に遭遇したし、未熟でその後もたくさんの失敗を重ねることになる。
それは単に私が愚かで、その道を通るほか大人になる道がなかっただけで、そのことがよかったなんて口が裂けても言えない。
子どもたちがいつかその話を必要とするまで、危険を武勇伝のようには語るのは慎むべきことだと思っている。
冒険をしてしまった味は、黙って料理に込めることにしよう。
戯れにインターネットで地図を表示してみる。
「あれ? あのカフェまだあるんだ……」
見つけてはいけないものを見つけてしまったような、複雑な気持ちだ。
概要が載っているが、今はもう、遅くまで開いていないようだ。
写真には外壁に赤色が見えるが、私の記憶にある程には真っ赤ではない。
過去を美化するのはよくないな、と苦く笑う。
相変わらずのメニューが載っている。
いつかあのシェパーズパイを食べに行かなくちゃ。
汽車と船と飛行機を乗り継いで。
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