第4話 弁当をつまむ
もし、フードポルノに枯れ専タグがあれば、きっと出てくるのは昭和のお婆ちゃん弁当であろう。
彩りはイマイチだが、絶対に美味しいお弁当。
ところで、今日は夜中に唐揚げを揚げている。
夜食の為ではない、明日は娘の遠足で、お弁当を持っていかなければならないのだ。
お弁当の話をしようとしたのだが、自分のお弁当の履歴を顧みると、たいした長さが無いことに気がつく。
幼小中までは給食で、高校生になって、はじめて昼食がお弁当になった。
当時のお弁当に対する強烈な記憶など残ってはいない。
早食いして、一刻も早く図書館で本を漁りたいが為だった。
女子高の割に自由な校風で、部室の電熱器でパンを焼いたり、瓶詰めの栗の渋皮煮が持ち込まれたり、奇を衒って教室で素麺を食べている級友がいたりもした。
その中で、私といえば、お弁当にあまりこだわりのないノンポリ派であった。
唐揚げや海老フライも手間がかかっていて美味い。
冷食の海老カツなど、冷めても美味しく食べられる。
おかずが進んで白ごはんが残ると、なかなか食べきれずに難儀するので、配分に気をつけて食べたくらいで、持たされるものを持たされたままに食べていたように思う。
あの頃の私は、感謝してお弁当を食べていなかったなと反省して、これを書きながら母親にメールで初めて弁当の礼を述べた。
とんだ親不孝者である。
そんなわけで、弁当に対する思い入れはあまり無いかった。
それが後に失敗を引き起こす。
どうやら私にはお弁当に対する哲学が足りなかったようだ。
学生時代など、かぶれまくってペーパーバッグにサンドイッチとリンゴとチョコバーなどという昼食もやらかしたが、それは不問としよう。
粋がってメンソールのタバコを吹かしていたようなものだ。
そんなかぶれた弁当を経て、私の弁当ストーリーは娘が三歳になる頃から始まる。
娘が年齢が低いうちは、本に薦められるままに可愛らしい弁当を作っていたように思う。
彩りが鮮やかで健康な味の洋食おかずを、小さなキャラクターの弁当箱に詰めるのは、仕事に復帰する前で家でゴロゴロしていた私にとって、それなりにやり甲斐があった。
お弁当作りの報酬は、見た目の感想ではなく完食だと思う。
弁当を見た時の、見た目に対する娘の反応は悪く無かったが、完食されずに帰ってくる弁当箱に、何度ため息をついたことか。
量を減らして⋯⋯
フルーツばかりをつめて⋯⋯
好物ばかりを入れて⋯⋯
食が細いと担任に心配されながら、色々と試行錯誤していた。
弁当を通年で作る間に、私は弁当哲学の袋小路に入っていった。
栄養と、見た目と、味と、外聞と、食育と……弁当とは様々な所に出口のある魔境だったのだ。
娘に四歳の誕生日の弁当を作った時、転機は訪れた。
流行りの、ご飯がカラフルになるふりかけで、ケーキを模して作ったデコ弁当。
写真映えするお弁当は、喜ばれはしたが完食されずに戻ってきた。
私はその日「園児のためのかわいいお弁当」の本をそっと本棚に戻した。
やめた。
私が食べたい弁当を作ろう。
思い立って弁当箱を変えた。
密封式のカラフルなものから、曲げわっぱの地味な弁当箱に変えたのだ。
母は冷たいご飯が苦手だとよく言っていたが、私の味覚は母よりも祖母に近いのかもしれない。
冷えたご飯は美味しい。
でも、湿気たご飯は嫌だ。
適度に水分を逃がしてくれる曲げわっぱは、ご飯が冷めても美味しい。
特に好きなのは祖母の海苔弁だった。
何でもない日に祖母はタッパーに海苔弁を作る。
蓋はしない。
湿気た海苔は許容できるが、水分を吸いなおしたご飯は、白い米に対する冒涜だ。
白い米、
醤油をつけた海苔、
白い米、
醤油をつけた海苔、
白い米、
醤油をつけた海苔。
のり弁は地層にして詰める。
最後に自家製の酸味の強い梅干しを米にめり込ませると出来上がりだ。
冷めて味の染みた所を食べるのが好きだった。
いや、祖母は今も存命なのだが!
まぁ、こどもの弁当にするときは、米ばかりというわけにはいかないので、弁当箱の半分に海苔ご飯を詰める。
斜めに詰めたご飯に寄りかかるようにして焼いた鮭を寝かせる。
塩茹でのインゲンは、冷やしてから取っておいた茹で汁に戻して、冷蔵庫で味を染み込ませる。
少し甘く味付けしたネギ玉。
少しだけ甘く焼くのが好みだ。
ブロッコリーは彩りとして毎回入れる。
茹でて半分に割った真ん中にマヨネーズをサンドして一房に戻す。
隠しマヨネーズを忘れるとクレームが来るので忘れないように。
ミニトマトも彩りの為。
赤かぶか、紅生姜でも良いのだが、ブロッコリーとミニトマトは頭を使わない所と割り切る。
可愛らしさの為に型で抜いたにんじんは、出汁と砂糖で甘しょっぱく煮る。
薄味で、などと日和ることなく、芯までしっかり味が染みるように煮染める。
金平か、ひじきの煮物か、煮豆か、塩揉みか、常備菜として作っておいた形がしっかりしていないおかずは、弁当が寄らないように隙間に詰める。
お婆ちゃんの知恵と、地味弁当の先駆者の本を読み漁り、私が食べたい弁当をつくっていく。
そうそう、ウサギにしたりんごは塩水ではなくて、蜂蜜につけてラップで巻いておく。
バランもカップも味の仕切りとして、当てにならない。
地味弁当は隣のおかずとの味の移し合いが醍醐味だが、デザートだけは例外としたい。
これだけは味が移らないように慎重に、慎重に。
中国人の知人は冷たい弁当を認めない。
中国料理ではリャンバン(冷製のおかず)と漬物以外は、熱々が旨さの基準なのだから当然だ。
周りの洋食ランチをものともせず、ご飯にとろりとした五香粉の香りのする何かをかけた弁当をレンジで熱々に加熱する彼女をよくカフェテリアで見かけた。
今思えば、あれはきっと、カフェテリアのメニューよりずっと美味しかったに違いない。
私は大きな思い違いをしていた。
見た目が良かろうが、子どもが好きなメニューだろうが、チーズ焼きやら、スパゲティやら、フライドポテトやら、洋食は冷えたら味が暴落するのだ。
ファストフードのポテトなど、冷えたら棒だ。
チーズ然り。
スパゲティ無惨、だ。
では、一番美味しいのは?
もともと冷たいお弁当はある。
サンドイッチなど、最初から冷たいので問題ないとは思うが、子供の弁当箱には入れにくい。
私は思い違いを恥じた。
無理をして各国料理を弁当箱に取り入れることはなかった。
それは、もっと各国料理を理解して、その文化の中の「冷えても美味しいおかず」を発掘してからても遅くなかった。
電子レンジを使わないで食べるのが前提の、冷えても美味しい和食の惣菜弁当が、当時の私に作ることができる一番美味い弁当なのだと見逃していた。
磯辺揚げはいいが、唐揚げはダメだ。
家で柔らかい唐揚げをあげるのは骨が折れる。
簡単で冷えても美味しいものだけを入れよう。
週に二日のお弁当くらい、栄養が偏っても、味が少し濃くても大丈夫だ。
美味しい地味なお弁当にしよう。
美味い洋食は帰って来てから、みんなで食べればいい。
それから、私のお弁当作りは変わった。
白飯に麺つゆを駆使した、濃いめの味付けのおかずが入ったわっぱ弁当。
娘は園でも有名なババァ弁当の子になったが、完食率はぐっとあがった。
小2になった今では、米に味をつけないでくれと注文をつけるほどの和食党になりつつある。
明日は久しぶりのお弁当。
小学生になってからは、わっぱの弁当を持って行く機会が無かった。
一年の遠足の時は、潰してゴミにできるように紙のボックスにいれたのだっけ?
一応、メニューは訊いて決める。
「お弁当箱どうする?」
「かっこいいから、わっぱで持っていくよ」
少し大人びたものがカッコよく映る年代に差し掛かったようだ。
「おかず、どうする?」
「唐揚げ!」
「面倒」
「唐揚げ、揚げてよ」
揚げ物は時間もコストもかかるし、後片付けも面倒だ。
あの冷凍食品より美味いのが簡単に作れるのならやっても良いが、加工肉の柔らかさには到底勝てる気がしない。
手作りが全て美味いなんて幻想だ。
私が揚げるより、プロが揚げたほうが断然美味い。
「それより君、今の季節は、芋、栗、南京と言ってだねぇ」
「だから、唐揚げがいいの!
それに芋とか私、粉っぽいやつ苦手なんだよねー」
地味弁当の有力選手である芋栗南京が苦手とは困った奴だ。
仕方なく私は唐揚げに取り掛かる。
揚げたてを食べるならいいのだが、弁当に入れる唐揚げとなると一筋縄にはいかない。
まず、モモ肉をしばらく水に浸す。
これをするのとしないのとではだいぶ違う。
一口大に切り、ここからは食品加工の工程だ。
フォークで刺しまくり、ほんの少しの重曹を揉み込む。
重曹で加工すると肉の旨味が少し落ちるので、調味料で旨味を再添加する。
下味をつけて、冷蔵庫で寝かせる。
起こすのは深夜になってからだ。
私は美味しい弁当のためなら市販品を厭わない。
だから唐揚げ粉を使う。
主婦が台所で揚げる唐揚げに完璧なレシピなど必要ないのだ。
ビールを片手に唐揚げを揚げる。
低温で揚げて、高温で二度揚げすると、外はガリっと中までちゃんと火の通った唐揚げが揚がる。
娘には悪いが、一番美味しい時につまませてもらおう。
加工が効いていて、柔らかくジューシーな唐揚げに揚がっている。
これなら冷めても硬くならずに、歯の抜け変わりの時期の娘にも美味しく食べられそうだ。
揚げたては文句なしに美味い。
ビールに合う!
揚げ物は揚げたてが一番だというのに、弁当に入れろとは、可笑しな奴め。
果たして、娘は弁当を完食して帰ってきた。
ふふふ、勝ったな、と誰と張り合うでも無く勝利を味わう。
「ごちそうさま、美味しかったよ!」
お母様方、この台詞にハラハラと感動の涙を流すなかれ。
私は知っている。
学校の先生は偉いもので、気の利いた先生は、今日帰ったらお弁当を作ってくれたおうちの方に「ありがとう、美味しかったよ」と伝えるように、ちゃんと指導してくれているのだ。
まぁ、そんな裏話は良いのだ。
弁当箱を開ければ分かることだ。
空っぽになった弁当箱には、おにぎりを包んだアルミホイルがぐりぐりと丸められて入っている。
私はこの瞬間の為になら、百二十点の唐揚げを、八十点まで落とすような無駄な手間をかけてもかまわないと思っているのだ。
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