第2話 深夜にかぶれた朝食を

 好物を聞かれて、許されるなら「朝食」と答えたい。


 パンケーキ?

 勿論それもよいものだ。

 流行りのフワフワのやつではなくて、中力粉で作った、何だったらうどん粉で作ったような重いパンケーキにバターとアンバーのメープルシロップなど、たまらない。

 フォトジェニックなクロックマダムにクロックムッシュ、エッグベネディクト、フレンチトースト?

 ふむ、特別感があるし、卵料理の価値が上がって大変結構!

 そういうお洒落なものをカフェでゆっくり食べたいものだと思う。

 引きこもっているのでめったに機会がないが。


 私の好物であるところの朝食は、所謂、観光旅行などで泊まるホテルの豪華な朝食とは少し異なる。

 誰もが絵本の中に出てきた食べ物に恋焦がれたことがあるだろう。

 それに極めて似た衝動が、私の朝食好きの由来だ。

 各国の朝ごはんはもちろん、作品の中で登場人物が食べていたメニューなど、文化やストーリーに浸れる「かぶれている」朝食が好きなのだ。


 思い出してみれば、国語の問題集で読んだ向田邦子氏のエッセイで触れられていた「目刺し」が朝食の遊びの最初だったかもしれない。


 子どもの頃、我が家で朝の魚と言えば目刺しより鮭だった。

 鯵の干物は出た。

 味醂干しも出た。

 鯖は夜の魚だったように思うし、鰯があまり食卓にあがらなかったのは、曾祖母があまり魚を好きではなかったからかもしれない。

 それ故に、あのストローに貫かれた目刺しに対する憧れがあった。

 それを叶えるように、一人暮らしをするようになって、「今日は向田邦子風」などと始めたのがきっかけだった。



 今は「普通の」各国の朝ごはんに心が躍る。

 特別な日に食べているものではない、日常の朝食の再現こそが楽しみだ。


 何も難しいことはない。今は動画で一般の人が日常で食べている朝ごはんを覗き見ることができるし、知らない料理もレシピ頼りに作ってみることができる。


 国別で言うなら「下町の中国風」は割とレパートリーが多い。

 貧乏旅行で中国を旅したことがあるからだ。


 食べたことがあるものは再現しやすい。

いつも思い出すのは北京のホテルから徒歩で行ける小道の小汚い店の朝食だ。

 油条を揚げて砂糖をたっぷり入れた豆乳に浸すも良いだろう。

 この場合の豆乳は薄くてかまわない。

 清潔とは言えない店構えの飯店の軒先で、歩道まで飛び出して大きな釜で豆乳を沸かしている。

 雑に置かれた山盛りの砂糖を雑に豆乳に入れて、揚げたての油条を新聞紙にくるんで目も合わせずに渡される。

 殻にヒビを入れて紅茶で煮た茶卵と、小さめの包子に、海苔と化学調味料と油で下品めに味付けしたスープでもいい。

そんな風景を想像しながら食べる食事は、たまらなく美味しく感じる。

 今はどこでも輸入食材が手に入るので、粟のサラサラしたお粥を朝食に「飲む」事もできる。

(中国風のお粥の時は食べると言わない方がカッコいい)



 フランス風と称して、取っ手の無いカフェボウルになみなみとカフェオレを注ぎ、ジャムだけ豪華なタルティーヌといっしょに……など、お洒落ではないか?

 やっていることはバターとジャムを塗ることだが、日常感が大事なのだ。


 イタリア風にヘーゼルナッツペーストを厚くぬったパンにエスプレッソなども趣がある。

勿論、エスプレッソを無糖にしないのも、かぶれた朝食には欠かせない。


 


小説の登場人物が食べている朝食シーンの再現も捨てがたい。

 オートミールなどはレストランでは到底饗されることは無いメニューで、子どもの私には長らく空想の食べ物だった。

イギリス風などと称して、クイックオーツを小鍋で煮て、ポリッジにするも良し。

 シナモンとリンゴにするか、ゴールデンシロップの黄金色をニタニタと眺めるかは、その日読んだ本による。

 学友には、そんなの老人しか食べないし……と揶揄されたとしても、好きなものは好きなのだ。


 映画だって朝食の宝庫だ。

 映画「シェフ」のバターをこれでもかと使うチーズ入りホットサンドなど、涎が垂れない者があろうか。

 かぶれた朝食の範囲はどこまでも広がっていく。




 私は朝食を愛する。

 朝食は愛するが、ちょっとした健康ヲタクでもある。

 少しの時間の断食を始めたところ、大変体調が良い。

 これに関しては性差、個人差があるので、安易に導入するなかれ。

 あくまで私個人でやっている、自分の体を使った健康法の実験だ。

 所謂プチ断食をするにあたって、導入しやすかったのが朝食の時間を使ってのファスティングだった。


 さあ、ブレックファスト好きがファストをブレックしなかったら、いったいいつ朝食を食べるのか?


 それは、深夜に決まってる!


 家族は寝静まり、私のキーボードを打つ音だけが響く。

 昼間に書いていると、エンターキーを叩く力が強くてやかましいとよく叱られる。

 どんな健康法を試しても、どうしようもなかったのは夜型であることだった。

 皆が外で浮かれ騒ぐ楽しい楽しい金曜の夜など、まるっと私の活動時間だ。



(今日はアレだな、ドイツ風)


 私は観光が苦手だ。

 観光するくらいなら、一か所に長めの滞在をしたい。

 そんな訳で、私の観光は文字と映像のみに留まる。

 勿論ドイツにも行ったことがない。

 深夜、私のイメージ頼りのドイツ風朝食が始まる。


 冷凍庫から買い置きのミッシュブロートを出す。

 ライ麦の混ざったみっしりとした灰色がかったパンだ。

 少し酸味と塩気がある。

 なんちゃってドイツ風朝ごはんの為に、予てより用意しておいたパンだ。

 プレッツェルも買ったのだが、持ち帰るのを待てずにその場で食べてしまった。

 ドイツ風のみっしりしたパンが一等好きだ。

 チーズ、パックのハム、少し放置気味のピクルス、瓶詰めオリーブ、とっておきのジャム。

 ここまでは冷蔵庫から出てくる。

 スモークサーモンなんて用意がないからお歳暮で貰う瓶入りの鮭フレーク。


 余談だが、私は鮭フレークのポテンシャルを高く買っている。

 ベーグルにクリームチーズとシャケフレーク、玉ねぎを乗せればスモークサーモンのサンドイッチに負けないB級グルメが出来上がる。もちろん焼いた塩鮭で代用も出来る。

 閑話休題。


 出来上がったのは、温かい物がなにも乗らない、冷たいサンドイッチ。

 このテーブルの上をサーモグラフィーの画像で見てみたい。

 満足して、パンをかじる。

 レンジで解凍しただけのパンからは、ライ麦の素朴な味がする。

 パンに、これでもかと具材を載せる。

 チーズはケチらない。

 ジャムもケチらない。

 塩気も気にしない。

 この遊びに躊躇はいらない。


 そしてこっそり飲むのは赤ワイン。

 朝ならあたたかいコーヒーがあってしかるべきだが、深夜にカフェインはいただけない。

 そこは、ほら、健康オタクなので。

 白ビールならベターだが、今日は買い置きが無い。

 夜食で食べる朝食にはアルコールが付いてもいいのだ!

 安いワインの時は、蚤の市で掘り出した原価の高い江戸切子の杯に注ぐ。

 値切って買った甲斐があった。

 これで味が三割り増しになる。


 バターも分厚く塗る。

 冷たいバターが体温で溶ける時の旨味といったら、肉食動物が油を舐める時はこんな気持ちに違いない。

 飼っていた猫が美味そうにバターを舐めていたのを思い出す。

 お気に入りのドイツ人カップル動画クリエーターの動画を流しながらワインでパンを流し込む。

 無駄がなくていい食文化だな。


 今日は動画でミルヒライスを知ってしまった。

 いつか試してみなくては。

 ミルヒライス?

 白米を牛乳で炊いて、甘くして食べるんだそうだよ。


 さ、深夜の朝食はおしまい。


 次は、冷える深夜のお酒を飲むか。

 呑みかけワインをマグに移して、マーマレードとレモン汁にクローブ、シナモン、スターアニスもある。

 なんちゃって料理にはスパイスの準備が欠かせない。

 この場合クローブとシナモンさえあればなんとかなる。

 全部入れてレンジでチンだ!

 ほーら、グリューワインの出来上がり。


 かぶれた、かぶれた!

 ここまでやれば今日の遊びは成功だ。

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