第3話 麗しい蓮の精
「俺、金そんな持ってねぇけど…」
「知らないわよ、上等なスーツ着ておいて適当なこと言わないでくれる?
あ、店長、生一つ下さい」
それはお前もだろーが。
悪態をつきながらラーメンを啜る。
肘で突かれ、柔らかい皮膚の感覚を感じる、近い。
結局女の言うまま店に連れ込まれてしまった。
それを許せたのは、同じ感情を持った同志だからだろうか。
まず、食事とか上品そうに言っておいて、こ汚いラーメンかよ。
しかもこの野郎、ビールまで頼みやがってる。店長とはなんだ、知り合いか常連か?
ちくしょう、と呟きながら俺も、と店長の方へ声を上げる。
「お前もここ、入る予定だったの?」
問題の、と何の意味も持たなくなった会社のパンフレットをとん、と指で叩く。
女は視線を外した後、こくんと首を縦に振ってみせた。
「私、要領が悪いからずっと内定なかったんだけれど、ようやく、ようやく受かったの、この会社に。」
同じだ、と思う。俺もそうだ。
要領が悪いという一言で片付けられる毎日の中、やっとのことでこの会社に内定をもらったのだ。
それなのに一日目に夢を壊された。せめて考える時間が欲しかった。
ちら、と女の方を見ると、目許が崩れはじめていた。
…これは相当酒、弱いな。
「なのに夜逃げとか聞いてないわよね、妙な期待させないで欲しいわ…
このままじゃ、ヒカルの人生が…」
ヒカル?と聞き返すと、女は愛想よく笑い出した。
「弟、
先程まで無愛想だった女が、徐々に饒舌になっていく。よっぽど弟が好きなのか、飽きるまで話していた。目にハイライトが入った感じだ。笑うと意外に可愛い。
「私、私ね、弟と二人暮らしなの。だから、本当は美味しいもの食べさせたいし、修学旅行にも行かせてあげたいの…!でも、でも、」
そんなお金、うちには無いの。
女の一言が場所に残る。
場所に似合わない残酷な響きが静寂を誘う。
俺はその時気付いた。
肘パンでやけに体を感じたのは、こいつが安い薄っぺらなスーツを着ているからだ。
「ま、どうしようもねぇよな、一緒に頑張って仕事見つけようぜ」
フォローのつもりで微笑む。
女はこちらを見つめ、うん、と頷いた。その後、初めのトーンに戻る。
「え、あんたと一緒?地味に嫌なんだけど」
これは俺、地味に傷ついた。こっちは前向きに頑張ろって言ってんだぞ、わかれよ。
拗ねたようにそっぽを向くと、笑い声が返ってきた。
透き通るような横顔に見惚れる。つられて笑ってしまった。
「そういや、お前、何ていう名前?」
一頻り笑った後、問うてみると急に女の顔が険しくなった。なんだ、地雷か?
「なんで言わないんだよ」
「好きじゃないの、自分の名前」
「好き嫌い関係ない、お前の名前は?What is your name」
女は黙りこくる。目線がそれた後、小さく聴こえた。
「こまがわ、はす」
こまがわはす?と聞き返すと、ばっと女は振り返って「でかい声で言うな!」と叫んだ。こまがわはす。ラノベにでも出てきそうな名前だ。
「へぇ、どういう字?」
「…高い、麗しい川に、蓮の花のはす。高麗川、蓮」
小さく呟いてみる。
高麗川蓮。
こまがわ、はす。
「綺麗だな」
え、と女__高麗川蓮がこちらを見る。
口からこぼれた言葉。綺麗だ。
「ちょ、なに急に」
「いや、そのまんま、綺麗な響きだなーって思った」
「は!?」
恥じらいなのか、高麗川は口元を抑えて明後日の方角を見たままだ。
何か、こちらまで照れてしまい俺も視線をジョッキに戻す。
「…ありがとう」
そう、狭間からこぼれるのが聞こえた。
こいつツンデレなのか。意外に可愛いところもあるらしい。
「あんたは?」
急いだような高麗川蓮の声が鼓膜をくすぐる。急に自分の話題になり、焦る。
「俺?」
初川琳。
はつかわ、りん。
俺も自分の名前はあまり好きじゃない。昔から女に間違えられてばかりだから。
自分の名前をなぞると、高麗川は小さく瞳を輝かせた。
え、何?
「すごい、綺麗!ファンタジー小説の主人公みたい」
そうか?と素直に問う。
ファンタジー小説って、キラキラネームってことを暗に言ってるんじゃないか…?
「違う違う、すっごい、格好いいと思う!」
無邪気な表情に視線を奪われる。
こいつだって、高麗川だって、健気な姉なんだ。
「そんな良いもんじゃねぇよ、よく女子だと勘違いされるし」
「それ言ったら」
高麗川は笑みを作った。
「私だってレンって男の子と勘違いされるよ」
あ、そうか。
別にこれ、俺だけの悩みじゃないよな、そっか。
「さーて、行きますか!」
「会計、俺?」
もちろん、と頷く高麗川にため息をつく。懐は寒いが、悪い気はしない。
「二人で頑張ろうね、初川」
「…ん」
さあ、物語を始めよう。
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