ウノ

百々子は鳥の背に這いつくばりながら、海の上の景色に圧倒されていた。有り得ないほど透明度の高さで海の底まで見えそうだ。泳いでいる魚や揺らめく海藻がくっきりと見える。

海の向こうには島が見える。大きな城が真ん中にそびえ建っていて、ピンク色の雲が白の周りを渦を巻くように浮かんでいる。その中に当たり前のようにドラゴンが飛んでいる。

「ドラゴンが飛んでますけど!?」

百々子は怯えながら振り返り、金髪の大男の顔を見上げた。真っ直ぐ城を見据えるその青い瞳が、ゆっくりと百々子の方へ向けられた。

「あれは城を守るドラゴンだ。だから大丈夫」

「大丈夫って?」

「俺とソラはあの国の戦士だから」

「ソラ?」

「この鳥だよ」

「そう言えばあなたの名前は?」

「戦士に名などない。ただ、国王からはウノと呼ばれている」

「私は百々子って言います。取り敢えず、頼れるのがウノさんしかいないんで、よろしくお願いします」

「百々子……。君はこの世界にいる限り、もうその名を名乗ることはできないだろう」

「どういうこと?」

「この後、すぐに国王との謁見になる。そこで説明する」

「私は帰れないの?」

「私はただの戦士……。その辺りの事情は知らされていない」

気付いたら、城はもう目と鼻の先にあり、ソラはゆっくりと下降しているようだった。城の屋根に突き出したヘリポートのような一角に、ソラは優雅に羽の音を立てず、ゆっくりと着地した。

百々子はウノに抱き抱えられ、ソラの背から飛び降りた。開け放たれた大きな両扉から、全身に鎧を身をまとった背の高い人が歩いてきた。

「ウノ! ご苦労であった! お前はもう通常の任務に戻ってよい!」

「は!」

ウノは霧状になって消えた。驚いている百々子に、鎧の男が近付いてくる。

「私はメラニー。国王を直接護衛している者だ。まあ、ウノのような戦士達のトップである。君の名は?」

「百々子です……」

「それが向こうの名だね」

「はい」

「その名はこの世界では使わない方がいい。向こうの世界の人間だとバレる」

「バレたらどうなるんですか?」

「まあ殺されるだろうな」

「あの、事情を説明してくれませんか?」

「そのつもりだ。じゃあ、着いてきてもらっていいかな? これから、国王のところに行く」

カチャカチャと音を立てながら歩く全身鎧のメラニーの後ろを、少し距離をあけて歩く百々子。目の前には長い廊下が真っ直ぐ伸びている。赤い絨毯が敷き詰められた床は歩く度にフカフカと柔らかい。見上げると天井は高く、10メートルくらいはありそうだ。ぶら下がっているシャンデリアは昼間なので明かりが消されている。そのために薄暗い廊下は不気味だった。たまにすれ違う、役職の分からない偉そうなおじさん達がいちいち百々子に怖い顔を向けてくる。どうやら歓迎されている訳ではなさそうだ。

廊下の突き当たりは扉も何もない、壁があるだけだった。

足元に、白いチョークで手書きされたサークルがあって、サークルの中は湯気が立っている。

「この中に入って」

「私一人で?」

「国王からの命令だ」

百々子はもう抵抗する気も起きず、言われるがまま、サークルの中に入った。立ち込める湯気が百々子を包み込んだ。湯気は温かくもなく、冷たくもない。匂いもしない。ただ、全身を撫でられるような感触があった。くすぐったくて、目を閉じて我慢した。

すると嗅いだことのある匂いがし始めた。この匂いは……。はっとして目を開けると、そこは自分の部屋だった。瞑想した時の座禅を組んだ姿勢で、百々子は我に返ったのだった。

「あ、あれ?」

百々子は立ち上がった。部屋を飛び出し、バタバタと階段を降りる。

「お母さん!」

しかし人のいる気配は全くしない。部屋中の電気は消されている。窓の外は夜の暗闇。電気をつけると、やはり誰もいない。

「やれやれ……」

後ろから声がした。

振り返ると、黒いメイド服の、息を飲むほどの美人が立っていた。

「誰!?」

「今から死ぬお前に、何も話すことなどない」

そう言うとメイドは人差し指を百々子に向けた。真っ白な、蝋のような指だ。するとその指先に、まるでチャッカマンで点火したみたいに、小さな黒い火がボッと点いた。黒い火は勢いを増し、丸く球体になった。黒い炎は、燃えれば燃えるほど、部屋の中が暗くなった。

「死ね!」

メイドが叫ぶと、黒い炎は百々子に向かって飛んできた。百々子は避けることができず、黒い炎に包まれ、倒れた。

燃えている、けど、熱くない。なんだろうこの感じ……。全然、痛くも痒くもない。でも、身体が全く動かない。

メイドが真上から百々子を見下ろしている。

何故かその目には、驚きの色が隠せないようであった。目を大きく見開き、小さく震えている。

「どうして……どうして死なないの!?」

メイドは頭を抱えて膝から崩れ落ちた。

百々子は訳が分からなかった。




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