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2022年1月4日 14:46 編集済
ヴィト、城を突破されたくなく、「破城槌」破壊を優先しました。今後も、奇襲を続ける予定ですけど、本編には詳細は書かないつもりなんです。こういう戦闘場面って面白いのかどうか、自分で書いてても、イマイチ、わかりません。カクヨムで戦闘場面ばかりの作品を読むことがあるのですが、どうも退屈になってしまって、作者は男女問わずなんですけど。戦いにおいて、美しく魅力的な書き方って難しいですよね。戦闘ではないのですが、眠狂四郎(柴田錬三郎作)のような戦う場面は非常に魅力があると思うのですが、たぶん、そこに眠狂四郎の戦いの美学があって、粋で、そこが読んでいて面白いのだと思うのです。中国史略もです。すごく面白かった。たぶん、人間ドラマが描かれているからだろうと思うのですが。これが書けなくて、退屈しております。次回もまだ、戦闘ですが、もう一度、一から読み直して、美学みたいなものを入れることができればと思っています。
作者からの返信
戦記ものは、視点があちこち飛ぶ印象があると思います。 『春秋』『戦国策』『史記』あたりを読んでも、多くの英雄が覇を競っていたように書かれています。 ですが、これらの作品。ひとつの出来事では主人公が固定されているんですよ。 で「この出来事はこの視点で書こう」というのが著者によって選ばれています。 それが列伝として描かれているのです。 戦いの場面ではそれぞれ活躍した武将に焦点を当てていて、それが群雄割拠を演出していたところがあります。 小説でもやればできなくはないのですが、よほど時系列の管理をしっかりして、この戦闘は誰目線で書くか、を決めないとすぐに「神の視点」になってしまいます。 本紀にはこのような「神の視点」が入るかなと思わないでもないのですが、記述しているのが史官だったり司馬遷だったりが、主人公をしっかりと決めて書いているので、「神の視点」にはなっていないんですよ。 誰を主人公にしてその戦いを書くのか。 ときに同じ戦いを別角度から描いて話を膨らませるようなこともしています。 なので、小説としてはひとり主人公を据えて「戦い」を描ききることを優先しましょう。群雄割拠させたいのなら、視点を別の主人公に移して書けばよいわけです。 まあシッゲイル公爵の視点にすると、結果的に「神の視点」になってしまうのでオススメしません。やるのなら別の小説で今回の戦いをシッゲイル公爵の視点から書くようにしてください。 『銀河英雄伝説』は節ごとに主人公を切り替えているので、やれてあのレベルなんですよね。あれでも小説としてはなかなか成立していなくて、結局完結させるのに本編十巻もかかっています。 小説賞を狙うのなら、十万字以上の「長編小説」で挑まなければならず、『銀河英雄伝説』をやっているゆとりはありません。 今の『フレーヴァング』なら主人公クロード、マリーナ、ヴィトセルクの側だけで書ききって、最終選考に残って書籍化を目指すときに、改めてシルフィン帝国側の視点を取り入れて『銀河英雄伝説』のような作品を目指そう、と言われるのが理想的です。 最初から『銀河英雄伝説』を目指すとまず間違いなく最終選考まで残りません。 三人称視点を捨てて三人称一元視点をお願いしたのも、その思惑があったからです。 主人公となる人物に魅力がなければ、連載十巻の作品になることはありませんからね。 美学を入れたいのであれば、視点を保有した主人公に一貫した信念が欲しいですね。「絶対に負けない」と言い放つだけでなく、実際に「負けない」ために手段は選ばない。または主義を貫いてでも「負けない」戦いを描く。 それができれば自然と視点保有者は美学を背負うようになってきます。
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ヴィト、城を突破されたくなく、「破城槌」破壊を優先しました。
今後も、奇襲を続ける予定ですけど、本編には詳細は書かないつもりなんです。
こういう戦闘場面って面白いのかどうか、自分で書いてても、イマイチ、わかりません。
カクヨムで戦闘場面ばかりの作品を読むことがあるのですが、どうも退屈になってしまって、作者は男女問わずなんですけど。
戦いにおいて、美しく魅力的な書き方って難しいですよね。
戦闘ではないのですが、眠狂四郎(柴田錬三郎作)のような戦う場面は非常に魅力があると思うのですが、たぶん、そこに眠狂四郎の戦いの美学があって、粋で、そこが読んでいて面白いのだと思うのです。
中国史略もです。すごく面白かった。たぶん、人間ドラマが描かれているからだろうと思うのですが。
これが書けなくて、退屈しております。
次回もまだ、戦闘ですが、もう一度、一から読み直して、美学みたいなものを入れることができればと思っています。
作者からの返信
戦記ものは、視点があちこち飛ぶ印象があると思います。
『春秋』『戦国策』『史記』あたりを読んでも、多くの英雄が覇を競っていたように書かれています。
ですが、これらの作品。ひとつの出来事では主人公が固定されているんですよ。
で「この出来事はこの視点で書こう」というのが著者によって選ばれています。
それが列伝として描かれているのです。
戦いの場面ではそれぞれ活躍した武将に焦点を当てていて、それが群雄割拠を演出していたところがあります。
小説でもやればできなくはないのですが、よほど時系列の管理をしっかりして、この戦闘は誰目線で書くか、を決めないとすぐに「神の視点」になってしまいます。
本紀にはこのような「神の視点」が入るかなと思わないでもないのですが、記述しているのが史官だったり司馬遷だったりが、主人公をしっかりと決めて書いているので、「神の視点」にはなっていないんですよ。
誰を主人公にしてその戦いを書くのか。
ときに同じ戦いを別角度から描いて話を膨らませるようなこともしています。
なので、小説としてはひとり主人公を据えて「戦い」を描ききることを優先しましょう。群雄割拠させたいのなら、視点を別の主人公に移して書けばよいわけです。
まあシッゲイル公爵の視点にすると、結果的に「神の視点」になってしまうのでオススメしません。やるのなら別の小説で今回の戦いをシッゲイル公爵の視点から書くようにしてください。
『銀河英雄伝説』は節ごとに主人公を切り替えているので、やれてあのレベルなんですよね。あれでも小説としてはなかなか成立していなくて、結局完結させるのに本編十巻もかかっています。
小説賞を狙うのなら、十万字以上の「長編小説」で挑まなければならず、『銀河英雄伝説』をやっているゆとりはありません。
今の『フレーヴァング』なら主人公クロード、マリーナ、ヴィトセルクの側だけで書ききって、最終選考に残って書籍化を目指すときに、改めてシルフィン帝国側の視点を取り入れて『銀河英雄伝説』のような作品を目指そう、と言われるのが理想的です。
最初から『銀河英雄伝説』を目指すとまず間違いなく最終選考まで残りません。
三人称視点を捨てて三人称一元視点をお願いしたのも、その思惑があったからです。
主人公となる人物に魅力がなければ、連載十巻の作品になることはありませんからね。
美学を入れたいのであれば、視点を保有した主人公に一貫した信念が欲しいですね。「絶対に負けない」と言い放つだけでなく、実際に「負けない」ために手段は選ばない。または主義を貫いてでも「負けない」戦いを描く。
それができれば自然と視点保有者は美学を背負うようになってきます。