この男、人懐こいにつき

 昨夜、東雲が車で向かったのは、彼の一族が経営するイーストクラウドホテルである。

⇒「昨夜」が過去を指しているので、文末が平文になっていると若干ですが違和感を覚える方もおられるでしょう。

 通常「昨夜」と過去を指したら文末は「だった」「であった」を用います。

 ただ、比喩的表現として、あえて「昨夜」を平文で受けることもあります。ここは作者の意図に応じて正解が変わります。



いつのまにか車の中で眠っていた陽菜子は『着きましたよ』という言葉に従い、部屋に入った。ドアを閉める直前に清算するわねと言うと、東雲は笑って首を振った。

⇒ここで「部屋に入った。」を書くと先ほどまで眠っていて、起きた途端部屋に入ったような印象を受けます。降車場に部屋が直結している構造でないと成立しません。ここでは「言葉に従った。」で止めて、次文に「部屋へ入ってドアを閉める直前に」としましょう。



 そのまま陽菜子は疲れきって、適当に服を脱ぎ、ベッドに倒れただけ……。

⇒「三人称一元視点」なので、あえて「陽菜子は」を書かなくても「心の声」を書くだけで特定できますよ。

 ここでは

⇒疲れきって適当に服を脱ぎ、そのままベッドに倒れただけ……。

 のほうが自然な流れですね。



 洗面所に入り顔を鏡、そこに映る他人の顔をした女に驚いた。

⇒おそらく「顔を鏡」は推敲の消し忘れだと思います。

 合わせて考えると、次が書きたかった文だと思います。

⇒洗面所に入り、鏡に映る他人の顔をした女に驚いた。

 助詞「に」が三回出てくるのが気になりますが、「洗面所に入り」はここで文が切れる重文なのでよしとします。「鏡に映る」と「女に驚いた」ですが、少なくとも「鏡に映る」は慣用句なので変えられません。変えるとしたら「女に驚いた」のほうですが、「驚いた」

が受け取るには「女に」でないとならないので、ここでは変えようがありません。

 ですのでこのままでかまいません。

 もし変えたければ構文自体を変えます。

⇒洗面所に入り、鏡を見る。他人の顔をした女に驚いた。

 ただ、これだと構文は正しいのですが、作者の意図とズレると思いますので、こちらはあまり推奨できません。



髪が乱れ、目の下に灰色のクマを作り、頬のこけた見知らぬ女。

⇒「クマ」は目の下にできますので、あえて「目の下に」と書かなくてもかまいません。

 ただし以前からお伝えしていますが、主人公の心の変遷をたどるのが小説の醍醐味ですから、陽菜子がこのような流れて感じたのであれば、原文ママが正解です。



左手をあげると鏡の女も手を上げる。

⇒「あげる」「上げる」は表記を統一しましょう。

 ちなみに一般的には「手を挙げる」と表記します。「挙手する」と同様ですね。

 ただ漢字だと「同意のために上げた」ような印象を受けますので作者の表記からも「あげる」とかな書きするのがよいと思います。



 一週間も手入れしていない肌から、カサカサになった皮膚が剥がれる。

⇒これは名文ですね。化粧が剥がれたのでしょうが、それを「皮膚が」と言い換えて比喩が効果的です。



 ローションを付けると皮膚に吸い込まれていく。もう一度、鏡に写して年相応に戻ったと満足してから、念仏のように生きなければならないの、と言い聞かせた。

⇒この流れだと「ローションを一回付けて、もう一度鏡を見たら」になります。

 まさか一瞬で変わるわけもないので、時間を描写するべきです。

 文章に付け加えて表記するなら、

⇒ローションを付けるたび皮膚に吸い込まれていく。そうしてもう一度、鏡に写して年相応に戻ったと満足してから、念仏のように生きなければならないの、と言い聞かせた。

 とするのが一手。

 横着というか表記の問題で乗り切るのなら、

⇒ローションを付けると皮膚に吸い込まれていく。


 もう一度、鏡に写して年相応に戻ったと満足してから、念仏のように生きなければならないの、と言い聞かせた。

 と、改行と空行を入れて時間経過を表現してしまう手があります。

 時間経過を適切に表現したいところです。

 もし「紙の書籍化」を目指すなら横着せず前者のように文章だけで表記するべきです。



 部屋に脱ぎ散らかした喪服を見ると気分が沈む。おぼろげな記憶では自分で脱いだはずだ。

 〜

 赤く熟した小さめのリンゴを取って、かじりつき窓枠に座った。

⇒陽菜子がどんな格好をしているのかがなかなか浮かびませんね。「喪服が脱ぎ散らかして」あるのであれば、ブラウスとタイツ姿なのかなと感じますが、どこまで脱いでいるのかわかりません。さすがに素っ裸で「窓枠に座った」とも思えませんので。



保険金一億円という金額を客観的に考えると、笑いの発作が起きるほど喜劇的だ。

⇒これは実際に「笑いの発作が起きた」のか、比喩として書かれているだけなのかがなかなか微妙ですね。

 もし実際に起きたのなら原文ママでもかまいません。もし比喩としてであれば「起きそうなほど」と比喩であることを示す言葉を足したほうがよいでしょう。



 ふだん陽菜子はアルマーニ系のダークスーツを着ていた。

⇒「アルマーニ系」とあえて書く必要があるのかないのか。もしアルマーニしか着ないのなら「アルマーニのダークスーツ」ですし、もしアルマーニ風のものなら「アルマーニに代表される」「アルマーニのような」あたりが的確です。



 その答えがわかっている。

⇒「答えはわかっている。」ですね。「その」と書かなくても直前に書いたものを受けるので問題ありません。「答えは」とするのは「答え」について話しますよという合図になるからです。



それは父の趣味でもあった。

⇒誰の「父の趣味」なのかが曖昧ですね。「玜介の前に少し付き合った男」のであれば「それは彼の父の趣味でもあった。」です。陽菜子の父であれば「それは陽菜子の父の趣味でもあった。」になります。



 つきあってきた男達よりも、その時々のファッションで男が区別できる。

⇒「男」の字が重複していますね。ここは、

⇒つきあってきた男達も、その時々のファッションで区別できる。

 とすればよいでしょう。



周囲の人間に合わせて生きていくのは楽だが、自分が消えている。

⇒この表現もいいですね。真理を突いています。



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