歯車が再びまわるようです
軽く唇を曲げ笑みを浮かべる程度で、喜怒哀楽を見せない青年だった。
⇒助詞「を」が三回出てくるのでややわかりにくさがあります。
減らすとしたら、
⇒軽く唇を曲げ笑みを浮かべる程度で、喜怒哀楽が見えない青年だった。
とする方法があります。前の「軽く唇を曲げ笑みを浮かべる」もそうなのですが、助詞「を」を動詞と直結すると、それほどくどさは出ません。なので原文でも意味はなんとかわかります。三人称一元視点で陽菜子の心の声でもある。だから、多少わかりにくくても、陽菜子の心理を反映しているのなら原文ママで。
来客用駐車場に旧型ジャガーのクーペタイプが停車していた。派手な赤で目立つ車だった。
⇒なにかイメージが結ばないなと思ったのですが、左ハンドルか右ハンドルかがわからないからですね。ジャガーはどちらも生産しているので、左ハンドルか右ハンドルかが書いてあると、読み手が映像を浮かべやすくなりますよ。
ちなみにジャガーはイギリスのメーカーで、イギリスも日本同様左側通行なので右ハンドル車が主流です。右側通行の国向けに左ハンドル車も生産しています。
公園前通りの黄金色に染まった銀杏並木はまだ美しく、道路には落ち葉を散乱させている。
⇒原文だと「落ち葉を散乱させているのは銀杏並木」と読めますね。
ただ主語を意味する格助詞「が」がないので、それを意識すると
⇒公園前通りの黄金色に染まった銀杏並木はまだ美しく、道路には落ち葉が散乱している。
となります。「散乱しているのは落ち葉」という係り受けです。
ですが、原文でもある程度わかりますし、擬人化の比喩ととらえれば原文ママでよいでしょう。そこまで意図していなければ「落ち葉が散乱している」のほうが自然ではあります。
頭のなかで無意味に単語を繰り返しながら、舗道から柵を超えて真直ぐに海に向かった。
⇒「柵を越えた」ですね。「超える」は「なにかを上回る」意で、「越える」は「なにかを通過する」意です。
営業マンらしい男がひとり、ベンチで暇をつぶしていた。おそらく帰社するには早すぎるが、かといって今日一日の成果もなく、時間をつぶしている中年の疲れた男。彼は顔を上げて、興味なさそうに陽菜子の姿を追っていた。
⇒ここも映像が浮かびづらいところですね。
問題なのは「陽菜子は中年の疲れた男を観察しながら歩いていた」ことになる点です。
「彼は顔を上げて、興味なさそうに陽菜子の姿を追っていた」という部分がそう感じさせます。
陽菜子はなにか目的があってここに来て「闇雲に歩い」ていたはずです。
ここでこの中年の疲れた男を観察しながら歩くでしょうか。
「陽菜子の姿を追っていた。」は中年の疲れた男視点なんですね。これを入れると神の視点になってしまいます。これが駄目だとすれば「興味なさそうにこちら(陽菜子)を見ていた。」と視点を陽菜子に置いてしまえば、すっきり解決します。
三人称一元視点は、視点の描写がとても繊細なのでわかりづらいところがあります。今回は「一元」であるべきなので、あえて一人称の書き方を交ぜています。
中に入っていた灰と骨を迷いもせず海に流す。
⇒多くの指摘があるとおり違法ではありますね。公海や定められたところでなら適法です。
とはいえ、退廃的な主人公の行動なので、ある程度逸脱してもかまわないでしょう。
「迷いもせず」にある程度意図が含まれているとも解釈できます。
もちろん後日警察から問い詰められる可能性が高いのですが、陽菜子が「流してはいけないとは知らなかった」と答えれば大きな問題にはならないでしょう。
恋人同士が設置されたベンチにすわり、ストリートミュージシャンの奏でるアルトサックスの曲に酔いしれる。
⇒「ベンチ」は基本的に設置されているものです。ここであえて「設置された」と書くとふだんはベンチを置いていないのだけど、夜になると置かれる、ような感じになります。
また「恋人同士が設置された」とあるので、「設置されたのは恋人同士」なのかと勘違いも生まれやすいですね。
陽菜子が顔を見るた。
⇒「顔を見る」「顔を見た」のいずれかでしょう。
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