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2021年2月9日 18:55
考えさせられるコメントを本当にありがとうございます。書くとは別に、こうしたことを考えるのは非常に興味深いです。さて、補助動詞なんですが。いつも、漢字にするか迷うところです。おっしゃる通りに視認性は漢字のほうがいいと思いますが、見た目の文字の柔らかさ、デザイン的な視認性で、ひらがなのほうが優しくなると思っております。とくに明智光秀は、エッセイと小説を合体させて書いてみたいと思って、自分的には本格的な小説というよりはエッセイ小説だと思っているのです。(かってに新分野を作っております。歴史は人気のないジャンルで、それを読んでいただきたくて、考えた書き方です)それで、補助動詞をひらがなにすることが多いです。さて、問題ですね。推し量るかな? 普通に。ただ、ひらがなのほうが、ここではいいかもとは思っています。柴田勝家は、人のいいおっちゃんで、秀吉との天下取りでも、計略負け。もともと織田家の古参でいなかのおじさん。文化的という意味では、光秀に到底及ばなかった人だという認識ではあるんですが。兵法を筆頭家老が知らないはずはないでしょうね。抑える、押さえる、勉強になります。昔は、朝日新聞用語辞典を引いて書いていたのですが、今、手元になくなって、こういう凡ミスをいたします。ありがとうございます。最後の一行。そうなんです。信長視点で書いていて、視点変更になっているのですが。光秀と秀吉のライバル関係を伏線として入れても面白いかもとは思ったのですが、結果として、明智光秀、本能寺までかけず、浅井朝倉との攻防で終わってしまい、秀吉と光秀のライバル関係、家康との関係。本能寺の変まで書ききれませんでした。ですから、なくても良い、一文ではあります。これから、考えながら、推敲いたします。ありがとうございます。
作者からの返信
アメリッシュ様、ご返信ありがとうございます。 まず補助動詞についてです。 アメリッシュ様が明確に基準をお持ちのようなので、以後補助動詞については添削をスルー致します。補助動詞はかるく考えている方が多くて、いちおう全員に「現在の日本語のルール」を書いて、あとはおまかせする、というスタンスでいます。 推しはかるですが、ここは一般的には「推し量る」ですね。ですがここもアメリッシュ様のルールを採用してひらがなでよいですよ。 柴田勝家は知っていても、織田信長自身が知らないとこの妄想は成り立たないので、ここは「アメの見る信長がわかる言葉」のほうがよいですね。 おそらくですが、信長はまともに勉強はしていないかなと。ただ必要なものは身近な人に尋ねて生きた知識を仕入れていたはずです。そうでなければ火縄銃の有用性にはたどり着いていませんよね。合戦で火縄銃を駆使したのは幕末になるまで信長の独壇場だった印象です。まぁ江戸時代は大阪冬の陣、夏の陣などを除けば大きな戦乱がなかったから、火縄銃を駆使した活かすような戦い自体が怒らない。 とまぁそんな印象があるので、「檄を飛ばす」などという内政や戦に関係ない知識は持ち合わせていなかった可能性が大かなと。 押さえる/抑える、は使い分けが難しいですからね。しかも狭いところでこんなに出てくるとは思いませんからね。 最後の一行については、当時秀吉は同じ平民出の光秀を気にしていて対抗心を燃やしている。という構図であれば、信長がちらとそのような光景を視界に入れて評価せずに終える手がありますね。「その姿を秀吉が見ていることに、彼は気づかなかった。」のではなく「その姿を秀吉が見ていたようだ。」と推量の形にすれば、信長自体はそれほど意識していなくても、そんな感じはしていたという表現にはなりますね。 推敲は細かな表現に気づいて、ひとつずつ潰していく、根気のいる作業です。どちらの表現のほうが読み手に伝わるか。意図を間違いなく伝えられるか。そのためにも誤字脱字にはとくに注意する。 このあたりを意識してくださいませ。カイ.アルザードSSTMより
考えさせられるコメントを本当にありがとうございます。
書くとは別に、こうしたことを考えるのは非常に興味深いです。
さて、補助動詞なんですが。
いつも、漢字にするか迷うところです。おっしゃる通りに視認性は漢字のほうがいいと思いますが、見た目の文字の柔らかさ、デザイン的な視認性で、ひらがなのほうが優しくなると思っております。
とくに明智光秀は、エッセイと小説を合体させて書いてみたいと思って、自分的には本格的な小説というよりはエッセイ小説だと思っているのです。(かってに新分野を作っております。歴史は人気のないジャンルで、それを読んでいただきたくて、考えた書き方です)
それで、補助動詞をひらがなにすることが多いです。
さて、問題ですね。
推し量るかな? 普通に。ただ、ひらがなのほうが、ここではいいかもとは思っています。
柴田勝家は、人のいいおっちゃんで、秀吉との天下取りでも、計略負け。もともと織田家の古参でいなかのおじさん。文化的という意味では、光秀に到底及ばなかった人だという認識ではあるんですが。兵法を筆頭家老が知らないはずはないでしょうね。
抑える、押さえる、勉強になります。
昔は、朝日新聞用語辞典を引いて書いていたのですが、今、手元になくなって、こういう凡ミスをいたします。ありがとうございます。
最後の一行。そうなんです。信長視点で書いていて、視点変更になっているのですが。
光秀と秀吉のライバル関係を伏線として入れても面白いかもとは思ったのですが、結果として、明智光秀、本能寺までかけず、浅井朝倉との攻防で終わってしまい、秀吉と光秀のライバル関係、家康との関係。本能寺の変まで書ききれませんでした。
ですから、なくても良い、一文ではあります。
これから、考えながら、推敲いたします。ありがとうございます。
作者からの返信
アメリッシュ様、ご返信ありがとうございます。
まず補助動詞についてです。
アメリッシュ様が明確に基準をお持ちのようなので、以後補助動詞については添削をスルー致します。補助動詞はかるく考えている方が多くて、いちおう全員に「現在の日本語のルール」を書いて、あとはおまかせする、というスタンスでいます。
推しはかるですが、ここは一般的には「推し量る」ですね。ですがここもアメリッシュ様のルールを採用してひらがなでよいですよ。
柴田勝家は知っていても、織田信長自身が知らないとこの妄想は成り立たないので、ここは「アメの見る信長がわかる言葉」のほうがよいですね。
おそらくですが、信長はまともに勉強はしていないかなと。ただ必要なものは身近な人に尋ねて生きた知識を仕入れていたはずです。そうでなければ火縄銃の有用性にはたどり着いていませんよね。合戦で火縄銃を駆使したのは幕末になるまで信長の独壇場だった印象です。まぁ江戸時代は大阪冬の陣、夏の陣などを除けば大きな戦乱がなかったから、火縄銃を駆使した活かすような戦い自体が怒らない。
とまぁそんな印象があるので、「檄を飛ばす」などという内政や戦に関係ない知識は持ち合わせていなかった可能性が大かなと。
押さえる/抑える、は使い分けが難しいですからね。しかも狭いところでこんなに出てくるとは思いませんからね。
最後の一行については、当時秀吉は同じ平民出の光秀を気にしていて対抗心を燃やしている。という構図であれば、信長がちらとそのような光景を視界に入れて評価せずに終える手がありますね。「その姿を秀吉が見ていることに、彼は気づかなかった。」のではなく「その姿を秀吉が見ていたようだ。」と推量の形にすれば、信長自体はそれほど意識していなくても、そんな感じはしていたという表現にはなりますね。
推敲は細かな表現に気づいて、ひとつずつ潰していく、根気のいる作業です。どちらの表現のほうが読み手に伝わるか。意図を間違いなく伝えられるか。そのためにも誤字脱字にはとくに注意する。
このあたりを意識してくださいませ。
カイ.アルザードSSTMより