第34話 俺のこれから





 栄太の勘違いを解消し、透真様の顔の赤みもようやく引いた。

 一気にお茶を飲みほした彼は、目がすわっている。


「それで、帰ってくるよな」


「開き直っていませんか?」


「ストレートに言うのが一番だと学んだからな」


 先程までの可愛らしさはどこへ行ったのか、ニヤリと悪い笑みを浮かべている。


「しかし、俺が帰って周りが納得するでしょうか。一度は逃げた人間ですし……」


「納得させるに決まっているだろう。それに心配しなくても、みんな喜んで迎える。俺も含めて身にしみたからな」


「……はあ」


「分かっていないみたいだけど、それでいい。戻ってくれるのならな」


 甘い言葉になれなくて、俺は顔が熱くなってしまう。


「透真様、変わられましたね」


「これでも必死なんだ。一度は逃がしてしまったからな」


「逃した獲物は大きかったですか?」


「ああ」


 冗談で言ったのに、本気で返されると恥ずかしい。

 この状態が続けば、調子が狂ってしまう。


「ここを引き払うのは嫌だろうから、誰かに維持してもらうか。……それとも、ここに一緒に住むか?」


「い、一緒って、透真様がですか!?」


「当たり前だろ。他に誰と住むつもりなんだ?」


「いやそういうことではなく……誰か適任がいましたら、維持をお願いします」


 ここには未練があるが、さすがに透真様を住まわせるわけにはいかない。

 優しくしてくれた人を裏切ることになるけど、それでも俺の優先順位は彼の方が高かった。


「心配しなくても、すでに手配済みだ」


「そうですか」


 俺の答えは予想していたようで、すでに手配がされていたらしい。

 そのことに、なんとも言えない気持ちになる。


 結局私は、彼の手のひらの上で踊らされていたのではないか。

 そんなふうに考えてしまうぐらい、手際が良すぎる。


「何を拗ねているんだ」


「拗ねているというか、俺がこうして逃げた意味があったのかというか」


「大切さに気づいたから、大事な時間だったな。このままだったら、失うところだったんだから。……手遅れになる前で本当に良かった」


「俺はもうあなたから離れません。これからは、ずっとそばにいます。あなたが望む限り」


 彼に望まれるなんて、一生ありえないと思っていたのだ。

 こんな幸運を逃すつもりはない。


「そうか。それじゃあ、これからよろしくな」


 差し出された手をすぐに掴み、俺は両手で握りしめた。


 もう二度と、この手は離さない。

 そう誓いながら、額をつけた。





 さとさん達に惜しまれながら、俺は1ヶ月ほどお世話になった場所に別れを告げた。

 よくよく考えなくても、俺の逃亡期間はあまりにも短かった。


 透真様が本気を出したら、こんなことぐらい簡単だというわけだ。

 帰りの車内、隣に近い距離に彼がいる。

 手を握られ、まるで逃がさないと言われているみたいだ。


「俺は逃げませんよ」


「分かっている」


 分かっていると言ったのに、手は離されなかった。

 その温もりに、俺の表情は柔らかくなってしまう。


 運転手は透真様と俺の見慣れない雰囲気に、バックミラー越しに少し目を開いていた。

 信じられない気持ちは俺にも分かるから、軽く頷いておく。


「今から帰って、仕事が溜まっているんでしょうね。帰ってすぐに書類の処理ですか」


「お、俺もやるから」


「当たり前です。最低限終わるまで、会社に缶詰めですよ」


「分かってる」


 怒っているのに、透真様は嬉しそうだ。

 もしかしてMなんじゃないかと、引いてしまいそうになる。


「なんか失礼なことを考えているだろ。その顔で分かるんだからな」


「いえ。どうして、そんなに嬉しそうなのかと考えていたんです」


「そりゃあな。こんなにも話しやすいと思わなかった。もったいないことをしていたな」


「話しやすいですか? ……初めて言われました」


「みんな気づいていないだけだ。俺のせいだな」


 Mじゃ無さそうだけど、俺を買いかぶりすぎている。

 俺がいなくなった期間に、本当に何があったのか。

 帰るのが、少し心配になってきた。


「……まさかとは思いますが、誰かに何かをしていませんよね? 帰ったら、人が半分に減っているとか……」


「……はは」


「その笑い方怖いんですが、本当に何もしてませんよね!?」


 不穏な笑い方に、俺は今からでも帰ろうかと車の外を見たが、手が繋がれていて脱走は不可能だった。





「まあ、丸く収まって良かったんじゃないの」


「全然良くない。あれから仕事で大変だったんだ。もうあんなことは二度と無理だ。これから絶対に透真様から逃げない」


「戻ってきたと思ったら、一週間連絡が通じなかったんだから、大変なのは知ってる。よく頑張ったな」


「ありがとう。守には迷惑かけたよな。色々と悪かった」


「いや、俺はほとんど何もしていないし。むしろバラして悪かった」


「守は悪くない。どうせいつかはバレていたことだ」


「だろうな。俺のところに来た時の顔凄かったし」


「……そうか。そんなに必死だったのか」


「嬉しそうな顔しちゃって。結局はおさまるところにおさまった感じか。それで? 今はラブラブ?」


「……ラブラブ? 何を言っているんだ?」


「…………は? 誤解が解けて、恋人になったんじゃないの?」


「? 何言っているんだ? 俺と透真様はそういった関係じゃない」


「え…………はああああああ!? 嘘だろう!?」


 俺の言葉を聞いた守の叫び声はあまりにも大きすぎて、近所から苦情が来るほどだった。




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