第33話 分かり合う時間





 しばらく涙を流した後、少しだけ気まずい空気になった。


 透真様が泣いているところなんて、久しぶりだ。

 本当に小さい頃は勉強が辛くて泣いていたこともあったけど、成長するにつれて涙を見せることはなくなっていた。


 それに俺に弱ったところを見せるなんて、彼のプライドが許さなかったのか、気を抜いたことも全く無かった。



 だから今、とても嬉しい。


「透真様。こちらをおどうぞ飲んでください」


 たくさん泣いたのだから、喉が渇いているだろう。

 俺はそっと氷を入れたお茶を差し出す。


「……すまない」


 すまない、なんて初めて言われた。

 俺は驚いて目をぱちぱちとさせて、彼を見てしまう。


「どうした?」


「い、いえ。何でもございません」


 今日の自分はおかしい。それは彼にも言えることだが。

 彼からの見返りを求めないと思っていたのに、一挙一動に心が反応してしまう。


 ただ一緒にいるだけで、幸せを感じていたはずなのに。

 どんどん欲張りになっていた。

 抱きしめていた温もりを思い出し、また感じたくなる。



 俺は彼の向に座り、お茶を一口飲んだ。

 口から喉、胃へと進んでいく冷たさが心地いい。


 ほっと息を吐くと、俺は頭を下げた。


「妹がご迷惑をおかけしました。……あの他の家族は迷惑をかけませんでしたか?」


 答えはすでに分かっているようなものだが、確認のために聞く。


「そうだな……」


「何をしでかしたんですか?」


「しでかしたというか、言われたというか」


「もしかしてですけど、妹のことをどうにかしてくれと言われましたか? まさか結婚を進めてほしいとか」


 無言は肯定の返事だろう。

 妹といい、透真様に対して何と不敬なことを。

 判断力が鈍っているにしても、ありえない行動だった。


 それぐらい妹との結婚という繋がりを、失ないたくなかったのか。

 上昇志向のあの人達が考えそうなことだ。


「重ね重ね申し訳ありません」


「いや、謝らなくていい。今回の件に関しては、自分でケリをつけるつけろと言われている。ちゃんと解決させるつもりだ」


「俺にも、何か手伝えることはありますか?」


「それは」


「身内の不始末の責任を取らせてください。それが俺の贖罪で、最後にやるべき仕事ですから」


「最後か……」


「透真様?」


 どうしてそんなに辛そうな顔をしているのだろう。

 俺を見つめて、そして視線をそらす。


「……傲慢な願いだと分かっている」


「はい、何でしょう?」


「戻ってきてくれないか?」


「戻る?」


 戻るというのはどういう意味だ。

 どこに戻ってきてほしいのか。


 分からずに首を傾げていると、ため息を吐かれてしまった。


「そうだな。はっきり言わないと分からないよな。俺のせいだ」


「はあ……?」


「俺の元に戻ってきてほしい」


「透真様の元へ?」


「ああ」


 彼は頷いたので、俺は頭を下げた。


「透真様、俺に気を遣わなくてもいいんですよ」


「……は?」


「あなたは優しいから、俺のことを救おうと思っているんでしょう。しかし、俺は大丈夫です」


「大丈夫?」


「はい。思っていた以上に、ここでの生活は心地いいものです。ずっといようと思うぐらいに」


「ずっと?」


「はい。周りの人も、こんな俺に優しくしてくれて、手助けしてくれます。……はは。そういえば、俺を将来雇ってくれると言われたんですよ」


「……あ゛?」


 何故かそこで、透真様が低い声で唸った。

 そして鋭い視線で睨んでくる。


「それは誰だ?」


「誰って、透真様の知らない人ですが」


 どうして怒っているのか。

 ただの世間話として話したのだが、この反応は予想していなかった。


「……けるな」


「透真様?」


「ふざけるなって言っている! ぽっと出の奴なんかに、お前を奪われてたまるか!」


 叫び声と共に、彼はこちらに来て抱きしめてくる。


「と、とうまさま?」


「お前はずっと俺のものなんだ! 誰にも渡さない! お前自身にもな!」


 顔が熱い。

 守によく鈍感だと言われているが、今回は分かってしまった。


 たぶん、信じられないことだけど、彼は俺を雇うと言った栄太に嫉妬している。

 俺の言い方のせいで、小学生だと思っていないのだ。


 知っている身としては、こんな勘違いをさせるとは思わず笑ってしまった。


「どうして笑っている?」


 抱きしめられているという近さだから、笑ったのがバレる。

 俺はもう一度笑うと、彼の背中を撫でた。


「透真様。あそこにある箱をとってきてもいいですか?」


「……逃げる気か?」


「違います。見せたいものがあります」


 抱きしめていた腕がほどかれる。

 俺は上に置いていた箱を持つと、その中から手紙を取り出した。

 そして透真様に差し出す。


「何だそれは。契約書か」


「違いますよ。読んでみれば分かります」


 警戒心を抱いている透真様は、ゆっくりと手紙に目を通し始める。

 そして段々と、その目は驚きに染まっていった。

 頬も心なしか赤い。


「分かっていただけましたか?」


 全てに目を通したのを確認すると、俺は話しかけた。


「ああ」


 口をとがらせながら、俺と視線を合わせようとしない姿に、こんなにも子供らしいところがああるのかと嬉しくなってしまう。

 結局俺は、透真様のどんなところも好ましくて仕方が無いのだ。




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