第35話 新たな生活
俺が透真様の元に戻ってから、2ヵ月近く経った。
あまりにも対応の違う周囲に、困惑するしかない毎日である。
まず俺に対する態度が、180度変わった。
今までは嫌悪に満ちた表情ばかりだったのに、今は腫物を扱うような感じか、媚を売るような人が近寄って来る。
俺にすり寄ったところで何かが得られるとは思わないが、みんな関係無いらしい。
誰かが噂しているのを聞いてしまった。
俺は透真様のお気に入りだと。
全くもってそんなわけないと否定したい。
どこをどう見たら、お気に入りになるのだろう。
戻ってからの透真様の対応を、きちんと見ているのか。
「おい、あの書類どこへやった」
「おい、あそこの社長のところへ行くときはついてこなくていい」
「おい、どうしてそのスーツにしたんだ。この前、送ったのを着てこい」
「おい、お茶」
最後のは訴えてもいい気がする。
秘書ではあるが、俺にも仕事はたくさんある。
そしてお茶を淹れるのは、俺の仕事ではない。
しかし他の人が委縮してしまい、結局俺が淹れるしかなかった。
別においと呼ばれることは慣れているけど、話しかける頻度が多くなった気がする。
その大半が取るに足りないような用事や、よく分からない難癖ばかりだった。
「透真様。田中社長から連絡があり、今度会議に参加してほしいと言われたのですが」
「断れ。別にメールで事足りる」
「しかし急用だと」
「絶対に嘘だ。俺から断っておく」
「透真様にそんなことはさせられません。俺からしておきます」
最近、こういうことも多い。
前まではよく連れまわしてきたのに、今は会社に取り残されてばかりだ。
役立たずと言われているようで、気持ちは落ち込んでしまう。
戻ってきたのは良いけど、退屈だと思ってしまうのはわがままなのだろうか。
前の方が透真様の役に立っている実感があったのに。
「やっぱり俺のわがままだろうか」
「そうだな。すれ違いウケる、って言っておけばいいのか」
「うける? どこら辺がだ」
「本当に恋人じゃないんだよな?」
「何度も言っているけどしつこい。恋人同士じゃない。そんな想像をすることすら、透真様に失礼だ」
「う、ん。そうだな、失礼だな。うん」
最近の守もおかしい。
俺と透真様のことを恋人という関係なんじゃないかと誤解するし、透真様の話をすると微妙な表情を浮かべるようになった。
前のような嫌悪を感じるものじゃなかったけど、何故かいたたまれない気持ちになる。
「真達に足りないのは、話し合いと時間だけな気がするけどな。でもそっとしておいたら、そのまま変な方向に突き進んでいきそうで怖い。そしてそれに巻き込まれそうだ」
「大丈夫。真にはもう迷惑かけないから」
「そうだといいけどな。まあ、幼なじみだから最後まで付き合うけど。というか、結末を見守らなきゃ、終われないな」
頭を痛いぐらいにかき乱されて、そして鈍い音と共にテーブルの上に日本酒の瓶が置かれた。
「とりあえず飲んでなきゃやってられない。飲んでため込んでいる全てを吐き出してしまえ」
「そ、そうか」
あまり酒は得意ではないが、それでも守が言うのだから、今日ぐらい羽目を外してもいいか。
俺はコップを手に取り、日本酒を注いでもらった。
「よし。これからの真達に乾杯」
「か、乾杯」
これからの俺達ってなんだ。
はてなマークを浮かべながらも、コップとコップを合わせる。
そして勢いよく日本酒をあおれば、喉が焼けるような感覚がした。
やはり、酒は得意じゃない。
喉を押さえて、そして近くにあった食べ物をつまんだ。
塩辛い食べ物は、酒が進むのだろう。
俺と違って強い守は、まるで水かのように飲んでいる。
そのペースに飲まれて、俺もいつもより早く中身を減らしていった。
視界がぼんやりとしてきているし、全身が熱い。
酔っているのは分かるけど、それでも飲むのを止められなかった。
最近のストレスで、酒でも飲まなければやってられない気分のようだ。
まるで他人事のように分析しながら、俺は最初よりはゆっくりとコップを傾ける。
「真、大丈夫か?」
「……ん……だいじょうぶだ」
「あー、全然大丈夫じゃないな」
「だいじょうぶだって」
「ま、いいか。それで、愛しの透真様のことはどう思ってるの?」
「とうまさま? とうまさまは、おれにとってだいじなひとだ」
「大事ね。どれぐらい大事なんだ?」
頭がふわふわする。
守の声も、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
大事。
その言葉は理解出来た。
どれぐらい大事かなんて、そんなの決まっている。
「いのちをささげてもいいぐらい。だいじだ」
「熱烈だね」
「とうまさまがいるから、おれもいる。おれはとうまさまのためにそんざいしているんだ」
「そこまで言うのに、恋人は考えられないんだ?」
「だって」
「だって?」
守の顔がたくさんいる。
それが円を描くように動いていて、そしてその後ろに透真様の顔が見えた。
「とうまさまはきれいだから、おれがよごしちゃだめなんだ」
「……んだそれ」
凄い。
守の声までもが、透真様の声に聞こえた。
俺はそれが嬉しくて、よく分からないまま笑いながら意識を手放した。
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