第27話 新たな生活
空気が澄んでいると、心も健康になる。
ここに来てから、俺は充実している日々を過ごしていた。
「真坊ちゃん。今日も精が出るねえ」
「さとさん。おはようございます。最近、朝早く目が覚めるんで、体を動かしたいんです」
「あらあら。うちの孫にも見習って欲しいわあ」
畑を耕していると、近くから話しかけられる。
そちらを見てみれば、すぐ近所に住んでいて、よくお世話になっているさとさんがいた。
野菜や料理をおすそ分けしてくれて、いつも助かっている。
さとさんは、しわしわの顔をさらにしわしわにさせて笑った。
「煮物を作りすぎたから、後で持っていくね」
「いつもありがとうございます」
「真坊ちゃんは、今どき珍しく真面目な子だねえ。いきなり移住したいって来た時は村のみんなが驚いたけど、今は来てくれて良かったって言っているよ」
「俺なんてまだまだですよ。皆さんに迷惑ばかりかけていますし。畑も探り探り作っている状況です」
「真面目だねえ。ああ、そうだ」
耕す手を止めて話していれば、さとさんが懐の中を探って、何かを差し出してきた。
手の上には、美味しそうな干し柿があった。
「今年も上手く出来たから、嫌いじゃなかったら食べてちょうだい」
「いつもありがとうございます」
「いいのよ。この前、力仕事を手伝ってくれたから、そのお礼」
「そんな、好きでやっていることですし」
「若者がどんどん減っていて、みんな助かっているから、遠慮なく受け取りなさい」
もらった干し柿を一口かじれば、優しい甘みが口に広がる。
「美味しいです」
「それなら良かった。まだまだたくさんあるから、煮物と一緒に持っていくね。それじゃあ」
どこかへ行く途中だったようで、干し柿を渡して満足したさとさんは、手を振りながら去っていった。
あれで80歳を超えているのだから、とても若々しい。
俺もまだまだ頑張らなくては。
しっかりとした足取りで歩く姿を見て、自然と気合が入った。
この村に移住してきて、はや1カ月が経つ。
自分で言うのもなんだが、今のところ上手く回りとやっていた。
若者がどんどん出て行き、残った人達は少子化に悩んだ。
そこで外から人を呼び込もうと、募集をかけた。
農業に携わってもらう代わりに、住居をタダで提供する。
それに俺が応募して、村に移住したというわけだ。
最初は慣れない場所、初めての農作業に不安しかなかった。
しかし周りの人はこんな俺に優しくしてくれて、すぐに慣れることが出来た。
色々と聞いたりして迷惑をかけたけど、みんな親切だった。
今ではすっかり、1人でもほとんどのことがこなせる。
「美味しい」
干し柿の残りを口の中に放り込むと、俺は作業の続きに戻った。
仕事で疲れて、そのまま寝るというのも健康的で良い。
ここに来てから体が軽くなったのは、きっと気のせいじゃないはずだ。
前の時は睡眠時間など、あってないようなものだった。
透真様のためだと思っていたから、当時は別に苦とは思っていなかったけど、今は大変だったのだとしみじみしてしまう。
疲れたら眠る。朝日が昇る前に起きる。
最近は、そんなルーティンで過ごしていた。
つい1カ月前まで、透真様の元で働いていたのが嘘のようだ。
あの時は全てが目まぐるしく過ぎ去って、疲れを感じる暇もなかった。
しかしこうして穏やかな日々を過ごしていると、あの時がとんでもなくおかしな状況だったと分かる。
「……元気にしているかな」
村に来てからテレビを見ていないし、スマホも未だに契約していない。
早く生活になれるために後回しにしていたのだけど、落ち着いてからは別に必要ないと判断したのだ。
だから向こうは今一体どんなことになっているのか、全く知らない。
知ったところで何か出来ることもないので、知る気もない。
家に帰れば、今まで溜め込んでいた本が俺を出迎えてくれる。
趣味は読書だと言いたいぐらいは好きなのだが、最近は忙しくて時間が取れなかった。
しかし今は、帰ってくれば自由に過ごせる。
ご飯も一人しかいないから、簡単に済ませることが出来るし、時間を気にしなくてもいい。
気を常に張っていた頃と比べると、随分とふ抜けてしまった。
元に戻れと言われても、すぐには無理かもしれない。
「戻ることもないけど」
いつの間にか増えた独り言を口にしながら、俺は本棚の中から1冊取り出すと、定位置である座椅子に座った。
「……目が痛い」
あまりにも話にのめり込んでいたせいで、気がつけば時間が経ってしまっていた。
体も凝り固まっていて、目も違和感がある。
目頭を軽くマッサージすると、大きく口を開けてあくびをした。
今日は食事の準備をしなくても、さとさんにもらった煮物がある。
それだけでおかずになるので、のんびりとしすぎてしまった。
「もう、この生活から抜け出せなさそうだ」
農作業で体を動かすのも楽しいし、ご飯も美味しいし、好きなことが出来る。
前までだったら考えられない環境に、居心地の良さを感じていた。
「村で一生を過ごすのも悪くないな」
それは願望よりも強い響きだった。
透真様よりもこの生活に天秤が傾き出していることに、俺は驚きと共に安堵した。
きっと、いつか彼のことを思い出さない日が来る。
そんな気がしてきた。
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