第18話 彼の弱い部分
透真様が倒れた原因は、過労だった。
最近は眠れていなかったらしく、更には不必要に仕事を詰め込んでいたらしい。
いくら優秀だと言っても、人には限界がある。
その限界を迎えたのが、あの時だっただけだ。
病院に行き点滴を受ければ、顔色も少しずつ戻っていった。
それでもまだ目を覚まさない彼の顔を見ながら、俺は各所に連絡をとる。
どうやら仕事は終わらせていたみたいだが、一応伝えておいた方がいい。
しかし不利益になりそうなところや、こちらの弱みにつけ込みそうなところは避けた。
さすがに遅くても明日の朝には目覚めるだろうから、わざわざこちらの負になることを伝える必要は無いと判断した。
主に会社の重役に連絡を取り終えると、俺は少しだけ疲れを感じていた。
そんなに大変なことではないと軽く考えていたが、一から説明するのを何人にもするのは思っていたよりも重労働だった。
まず透真様が倒れたということを信じないものが多く、それを本当だと伝えるのに時間がかかる。
俺も向こうの立場だったら同じ感想を抱くかもしれない。
あの完璧で隙を見せない透真様が弱ったところなど、俺でさえ初めて見たのに、会社の人間となればなおさらだ。
だから過労で倒れるだなんて、夢にも思っていなかったのだろう。
それでも俺が懇切丁寧に説明すれば、最後には信じ、そして会社のことは任せてくれと言ってくれた。
不満を言う者がいないのは、彼の人望である。
厳しいところはあるが能力も高く一番働いているので、みんな尊敬の気持ちを抱いているのだ。
俺も例外ではなく、頼もしい人達が多いことに誇りを感じていた。
電話を終えた俺は、透真様の親と俺の親に連絡するべきか迷っていた。
本来であればした方が良いのかもしれないが、よくよく考えてみて彼はしてほしくない気がする。
それに、恐らく電話をしたところで返ってくるのは無反応と俺に対する怒号だ。
言われる言葉すらも予想出来るので、俺は電話するかどうかを透真様が起きた時に決めてもらおうと考えた。
報告するのは、別に事後報告でも問題ないだろう。
妹が起きていれば話は別だが、まだ手術が先だから目を覚ましていない。
俺は報告を後回しに出来たことに安堵すると、彼の眠る病室へと向かった。
透真様の病室は、もちろん個室だ。
急なことだったが、向こうから気を回して用意してもらえた。
俺は広すぎる部屋に入ると、静かにベッドへと近づく。
点滴はすでに終わっているから、今はただ寝ているだけだ。
その顔は、寝ているおかげかいつもの厳しさが無い。
つまり、昔の面影があった。
俺は懐かしさから、目を覚まさないように慎重に彼に手を伸ばした。
頬に触れるのは怖くて、額に手を当てる。
熱がある様子はなく、平熱だろう。
医者ではないから確実ではないが、もう大丈夫そうだ。
手の中にある存在が簡単に消えるはずはない。
それでも俺は、ほっと胸をなでおろした。
目の前で倒れた時は、本当に心臓が止まるかと思った。
腕の中の彼の顔は青白く、そして目の下には濃い隈があった。
大丈夫だと理性的に考えている頭と、もしかしたら死んでしまうのでないかと恐怖を感じる心が、ぐちゃぐちゃに混ざりあって自分が倒れそうだったぐらいだ。
それでも何とか持ちこたえたのは、自分が倒れたら彼がどうなるのか簡単に予想が出来たからである。
俺と彼しかいないマンション。
俺以外の人が状況に気が付くまで、半日はかかる。
いくら過労でも、それまで廊下で放置されていたら体に良いわけがない。
彼のため、それだけを頼りに俺は耐えた。
今、こうしてようやく安心出来、一気に疲れが襲い掛かってくる。
「……良かった」
目を覚ます前に、手を離した方が良い。
そう思うのだが、今度はいつ触れられるのか分からないから、名残惜しくて離せなかった。
更には、ここまで起きないから大丈夫だろうと、少しだけ動かしてしまう。
額、髪、優しく優しく撫でていく。
それでも彼は目覚める気配が無いので、俺は調子に乗ってしまった。
そうしてゆっくりと撫でていた時、彼のまつげが、ほんの少し揺れた。
本当に微かだったので、俺は気のせいだと思い、手を離さなかった。
それが完全に悪かった。
俺が油断している中、彼の瞳が開いた。
すぐに動けば、まだごまかせたかもしれない。
髪の毛にごみが付いていたとか、理由ならいくらでも作れたはずだ。
しかし俺は、彼と視線を合わせた途端、動けなくなってしまった。
彼は目を覚ましても状況を理解していないのか、すぐに怒号が飛んでくることは無かった。
何かを言われる前に謝った方が良いか。
今日だけでも2回触れてしまったことを許してもらえればいいが、無理だと思いながら口を開こうとした。
手も早く離さなくては、まずは手を動かそうとした瞬間、衝撃が走った。
「……どこにも、いくな……」
舌足らずな話し方で、彼は俺の手の上に自分の手を重ねた。
思わぬ温もりに、また固まってしまう。
何かを言おうとして、今この場ではふさわしい言葉ではないと、頭の中から消し去った。
「……はい。俺はずっとあなたのそばにいます」
きっと俺ではなく、誰かと勘違いされてかけられた言葉。
それでも、とても嬉しかった。
俺のこの対応は間違っていなかったようで、彼は安心したのか再び眠ってしまった。
重ねられていた手もベッドの上に落ちたが、しばらくの間、俺は幸せを噛みしめるために、そのままの状態で立っていた。
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