第16話 少しの変化





 守の家でのいざこざがあり、ものすごく帰りづらかったが、帰らないという選択肢は無いので重い足取りでマンションに戻った。


 出来れば透真様がいなければいいと願ったが、そう上手くは人生いかないものだ。

 マンションの扉を開けると、玄関に彼の靴が綺麗に揃えられていて、思わず天を見上げてしまった。


「……ただいま戻りました」


 声はかけたくなかったが、言わないわけにもいかず、俺は出来る限り小さな声で帰宅の挨拶をする。

 中から返事は無かったが、気配はあった。


 俺は静かに廊下を進み、リビングの扉を開ける。

 そのまま自分の部屋に帰りたかったけど、部屋に戻るにはリビングを通るしかない。

 どうかリビングにいないでほしい。


 そう願うが、俺の願いが届くはずもない。



 リビングの扉を開けると、そこにはソファに座っている透真様の姿があった。

 テレビをつけることなく、片肘をついて黙っている。

 何も言わないが、雰囲気が恐ろしい。


「……ただいま戻りました」


 同じセリフを言ってみたけど、何も返ってこなかった。


 今日はもう話しかけない方が良い。

 挨拶は済ませたのだから、俺がいる必要は無いだろう。



 俺は頭を下げると、そのまま部屋に行こうとした。


「おい」


 しかし声をかけられてしまい、たたらを踏んで立ち止まる。


「はい」


 もしかして怒られるのだろうか。

 俺はげんなりとした気持ちになりながら、まっすぐ透真様を見る。


 俺と目を合わせることなく、彼はどこか遠くを眺めながら口を開く。


「あいつとは、どういった関係なんだ」


 あいつとは、きっと守のことだろう。

 それ以外、今話題にのぼるような人はいない。


「幼なじみです。家の近所に住んでいたので、よく遊んでいました」


「俺は知らない」


「そうですね。透真様と会ったのは、先ほどが初対面のはずですから」


「なんでだ」


「どうしてと聞かれましても……生活圏内が被ってなかったからでしょうか……?」


 どうして、そんな質問をしてくるのか分からない。

 それでも俺は疑問を頭の中に浮かべながら、質問に返していく。


「今まで、どれぐらいの頻度で会っていたんだ」


「そこまでは」


「栫井家に帰っていた時は、いつも会っていたのか」


「……はい」


 守と会っていたとしても、悪いことでは無いはずだ。

 しかし後ろめたさがあって、俺は気まずく答える。


「俺に隠してこそこそとか。いい身分だな」


「幼なじみですので、特におかしなことはしておりません。公私混同するつもりはございませんので」


 このままでは、会うことすら反対されてしまいそうな気がして、俺は生意気に主張する。


「……そうか」


 怒られるかと思ったけど、意外にも透真様は引いた。


「透真様、あの……心配ならば、これからはあまり会わないようにしておきますし。絶対に会社に関することは話さないと誓約書を書きます」


 逆にそれが恐ろしくて、俺は慌てて提案する。

 彼が何を気にしているのかは分からないけど、憂いがあるのならば取り除きたい。


「発信機でもGPSでも、何でもつけてもらって構いません」


 自分にやましいことは無いと、そう示すために更に自分への制約を重ねていく。

 しかし言えば言うほど、彼の眉間のしわは濃くなっていった。


 これ以上、何を望むのか。

 打つ手がなくなっていって、俺は次に何を言えばいいのかと考え込む。


「……そんなに、……いいのか」


 絞り出すような声を、最初は聞き取ることが出来なかった。


「すみません。もう一度おっしゃってもらってもいいですか?」


 失礼とは承知だけど、下手な答えを言うよりはマシだと聞き返す。

 前によく分からないまま返事をして、痛い目にあったことがあった。

 さすがに同じような失態は起こしたくない。


「……えっと、透真様?」


 しかしすぐに返事が無くて、俺は恐る恐る名前を呼ぶ。

 下を向いた表情は読めず、怒っているのか分からない。


 覗き込むことも出来ず、ただ待っていたら、彼の顔が勢いよくこちらを向いた。


「そんなにしても会いたいほど、あの男のことが好きなのか!」


「……はい?」


 どこをどう考えてその結論に至ったのか、思わず言葉が出てしまった。

 会いたいという言葉は否定しないが、好きというのはどういった種類の好きを指しているだろう。


 それについて考えていたせいで、返事が遅れてしまった。


「やはりそうか……おかしいと思ったんだ。いつもなら反抗しないはずのお前が、俺に秘密にしてまで会っていたんだからな。まさか恋人だとは思わなかった」


「……はい?」


 今、俺は幻覚でも見ているのかもしれない。

 彼の言っている言葉を、頭が理解しない。


 もしかしたら言語が噛み合っていないのか。

 そんな風に思ってしまうぐらい、その言葉は突拍子も無かった。


「やはり、そうなのか」


 そして俺の返事をどう受け止めたのか、納得したような顔で頷いている。


「いや、そういうわけではないのですが……」


「今更取り繕わなくても、分かっている」


 否定しても、何故か聞き入れてもらえない。

 何度言っても、変わることは無かった。



 こうして大変不本意なのだが、透真様の中では俺と守が恋人同士だという、とんでもない勘違いが定着してしまった。




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