第8話 俺と教育係





 俺には恩師がいる。

 それは、御手洗家前当主の秘書だった人だ。



 栫井かこい守衛しゅえい



 名前からして、御手洗家に仕えるために生まれてきたかのような人だが、見た目は穏やかな老紳士といった風であった。


 父親の父親。

 つまりは俺の祖父にあたる人で、幼少期に初めて会った時の感想は、優しそうなおじいちゃん。

 いつも目尻にしわを作りながら微笑んでいて、俺は一度も声を荒げているところを見たことが無かった。



 そんな祖父が父に代わって、俺に秘書をさせるために様々なことを教えてくれた。


 教育はマナー、言葉遣い、立ち居振る舞い、こういった基本的なことから勉強や運動まで多岐にわたった。

 組み手をしたこともあったが、まだ子供の俺を容赦なく叩きのめしてくれた。


「手加減をされているようじゃ、誰も守れない」


 地に伏して悔し涙を流す俺に、いつも祖父はそう言葉をかけてきた。

 その言葉を言われるたびに、俺は絶対に強くなってやると心に誓った。




 祖父と過ごした時間の全てが、教育だったわけではない。


 組み手をした後、よく頑張ったとアイスをくれた。

 勉強で間違っても怒ったりせず、次に繋げればいいと励ましてくれた。

 今まで幼馴染のような関係だったのに、透真様に仕えることになり混乱していた俺の話を、ゆっくりと聞いてくれた。


 精神面でも、かなし支えてもらっていたのだ。



 もし教育してくれたのが別の人、例えば父親だったら途中で何もかも投げ出し、逃げていたかもしれない。

 その頃の俺はまだまだ子供で、勉強を何故しなくてはならないのか、どうして透真様に対して敬語を使わなくてはならないのか、本当の意味で理解していなかった。


 だからいつものように話しかけてしまったり、不敬ともとれるような行動をしてしまっては、父親に怒られていた。



「どうして透真は友達なのに、一緒に遊んじゃ駄目なの?」


 その中でも特に、一緒に遊べなくなったことが俺にとっては辛かった。


 しかしそれを父親に言えば、顔を真っ赤にさせて怒られ食事抜きにされることもあり、いつしか言えなくなった。




 でもきっと祖父ならば答えてくる。

 もしかしたら、遊んでもいいと言ってくれるかもしれない。


 そんな期待を込めて、ある日、誰も周りにいないことを確認してから聞いたことがある。

 祖父は俺の質問に少し目を見開いた後、目尻を下げ頭を撫ででくれた。


「それはね。立場が違うからだ」


 優しい言葉だと勝手に思っていたところに、そんな厳しい答えが返ってきたので、恥ずかしい話だけど、俺はかんしゃくを起こした。


「何で? ずっとずっと一緒に遊んでいたのに。どうして駄目なの。俺と透真は仲良しなのに」


 なんでなんでと、祖父の服を掴んで聞いた。

 そうすると困った顔で、俺の手を包み込んだ。


「仲良しだとしてもね、どうしようもならないことがあるんだよ。そして透真様とのことは、そのどうしようもならないことなんだ」


「それ、じゃあっ。ずっと、遊んじゃ駄目なのっ? もう友達じゃないの?」


 悲しくなって涙があふれてきた。

 ポロポロと泣いていると、頭を撫でていた手が俺の肩に移動して抱き寄せてくる。


「守、よく聞きなさい。遊ぶのも駄目だし、友達じゃないという人もいるだろう。でもね、それは間違いだ」


 優しい声で話しかけながら、頭も撫でてくれる。


「……まちがい?」


「他の人には言っちゃ駄目だけどね。人と人との繋がりというのは、そう簡単に変わるものじゃないんだよ。守と透真様の関係は表面上は違うものになるだろう。だからといって、友達だった時のことが無くなるわけじゃない」


「なくならない?」


「ああ、そうだ。きっと透真様も戸惑っているだろうから、困った時は守が助けてあげなさい」


「たすける……わかった!」


 当時の俺には祖父の言葉が難しかったけど、それでもやることは分かった。

 この話は2人だけの秘密だと、誰にも言わないと約束した。





 それからの俺は、祖父に言われたことを胸に秘めて、教育を熱心に受けた。

 透真様とは主人と従者の関係だけど、前の友達のような関係だった時のことも忘れない。


 モチベーションが上がったおかげで、祖父に褒められるぐらい俺は力をつけていった。


「守はきっといい秘書になる。透真様を、ちゃんとお守りするんだよ」


「はい」


 そして全ての教育が終わった時にかけられた祖父の言葉は、今までの教育で大事なことが含まれているように俺には聞こえた。


「もう私から教えることはない。これから、一人で頑張るんだ」


「一人……」


 分かっていたことだけど、改めて事実を突きつけられると不安になる。

 下を向いた俺に、祖父はしゃがみ込んで顔を合わせた。


「大丈夫。一人だけど、守の周りにはたくさんの人がいる。透真様がいる。だから不安になることはないよ」


「……俺、頑張ります」


「そうだ。その意気だよ。守なら絶対に大丈夫だから。もしも何か困ったことがあったら、いつでも私を頼りなさい」


 そう言って笑った祖父は、その次の年に亡くなった。


 前当主様に向けられた刃物から守るため、身を呈してかばったからだ。

 その知らせを聞いた時、悲しいと思うよりも先に、祖父のことを誇らしく思った。


 仕えている人のことを守って死ねるなんて、なんて素晴らしい最期だろう。



 通夜の際、遺影の中で微笑んでいる祖父に、俺は透真様を絶対に守ると誓った。




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