第3話 透真様との日常(夜)





 会社での仕事が終わってからも、俺の仕事は終わらない。

 秘書の仕事ではなく、透真様に奉仕する仕事へと切り替わるのだ。



 彼の持っている中の一つであるマンションへと帰ると、玄関先で胸倉を掴まれた。


「ぐっ!?」


 俺も鍛えているはずなのだが、彼の力は強い。

 壁に叩きつけられ、一瞬酸素が無くなる。


 彼の顔はぎらついていて、怒っているのだとすぐに察した。


「もうしわけっ」


「黙れ」


 何に怒っているのか分からなかったが、とりあえず謝ろうとしたら、低い声と共に唇が塞がれる。

 初めてではないから何をしているのか知っているのだが、それでもこうされる理由を未だに答えられない。


 彼がどうして俺にキスをするのか、初めてされた時から理解が出来なかった。

 憎んでいるはずの人間にキスをしたところで、何も楽しいことはない。

 むしろ気持ち悪くないのだろうか。


 呼吸を奪うのではないかというぐらいのキスを受けながら、俺は冷静に分析する。

 最初は呼吸困難に陥りそうになっていたけど、何度も何度もされていれば嫌でも順応していくものだ。


 順応していったとしても、彼の心までは察することは出来ないが。



 深いキスをされながら、俺は必死に彼の服を掴まないように気を付ける。

 何かに縋り付きたくなるけど、でも彼を対象にしてはいけない。

 俺に縋り付かれたところで、振り払われるだけだ。

 それが分かっていて、機嫌を悪くさせるようなことはしたくない。

 だから俺は、絶対に彼の服を掴まなかった。


 彼の顔が離れていき、キスの深さをしめすかのように、俺達の間を銀糸が繋ぐ。

 いくら慣れてきたとはいっても、少し呼吸は乱れてしまう。


 息を荒くしている俺を冷めた目で見ながら、彼は何も声をかけることなく、さっさと中に入っていく。

 その後ろ姿を、俺は何とも言えない気持ちで見送った。


 しかしすぐに覚醒して、中へと入る。

 俺は世話係なのだから、ここでボーっとしている場合じゃない。

 彼の世話をしなくてはと、呼吸を整えて歩き出した。





 美春が事故に遭ってから、俺と彼は一日中一緒にいる。

 彼の希望で、住んでいるマンションに行くように手配されたのだ。

 ずっと一緒にいて、手足になれというお達しである。


 そのせいで、俺は気を抜く時間が無くなった。

 彼が寝ている間でさえも気を抜けず、いつも緊張していた。


 しかし俺の罪は重いのだから、逃げることはせず、全てを彼に捧げるつもりだった。


「……まずい。これなら腐ったものを食べた方がましだな」


「申し訳ありません。ただいま別のものをご用意いたします」


「食材の無駄だ。もう二度と、こんなまずいものを出すな」


「かしこまりました」


 たまに理不尽すぎて苛つくこともあるけど、それは彼に対してではなく、そこまで子供っぽいことをさせてしまう自分に対してだった。


 基本的に俺が料理を作っている。

 しかし美味しいと言われたことなど、今まで一度も無かった。


 まずいと言われるのならましな方で、酷い時には何も言わずに料理を投げつけてくる。

 自分で味見した時に違いはないから、機嫌の問題なのかもしれない。



 彼が顔をしかめて食べている脇で控えている俺は、その様子を眺めながら小さく息を吐く。

 食べてくれない方が困るので、とりあえず口に入れてくれるのなら良かった。

 そのことに安心して、何も言わずに立って食べ終えるのを待っていた。


 食事が終わると、入浴の準備、就寝の準備と休む暇はない。

 俺に世話をされるのは嫌がっているが、それでも最後には受け入れてもらっている。

 俺も段々と慣れていって、色々と言われても耳をシャットダウンして聞き流した。





 どうやらそれが気に入らなかったようで、ベッドの上で押し倒された。


「……透真様っ、いかがなさいましたか」


「黙れ」


 部屋が暗いせいで、透真様の表情は見えない。

 それでも、良い感情を抱いていないことだけは分かった。


「お前はいちいち神経に触るな。見ているだけで反吐が出る」


「申し訳ありません。それなら、ここにいる間だけでも紙袋を被っていましょうか? そうすれば顔を見ないで済むでしょう」


 そうだ。

 それが良い。

 俺の顔を見て機嫌が下がるのならば隠せばいい。


 外は人の目はあるが、ここには俺と彼しかいない。

 それなら袋を被っていても、特に問題は無いはずだ。


「はっ。そんなの無駄だ。俺はお前の存在自体が、俺にとっては害悪でしかないからな。紙袋を被ったところで、それがどうにかなるわけがない。意味の無いことをするな」


「かしこまりました」


 しかし、俺の案はすぐに却下された。

 確かに存在自体が嫌なのであれば、紙袋を被ったところで意味はないか。


「美春の様子を見に行ったのだろう。お前のせいなのに、よく顔を出しに行けるよな」


 押し倒されたまま、顔を近づけたかと思えば、俺の傷口をえぐってくる。


「お前が代わりに事故に遭えば良かったのに。どうして美春だったんだ。どうして、どうして」


 涙を流しているかと思い、頬に手を伸ばしたが、彼の頬は濡れてはいなかった。

 俺の手は振り払われることなく、そのまま少しの間触り続けた。


「……俺も、そう思います」




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