第2話 透真様との日常(昼)





 透真様はきっと、俺のことを許してくれない。



 美春の件で一つ隠し事をしている俺は、彼と顔を合わせるたびに酷い罪悪感に襲われていた。


 その隠し事を知られれば、彼はすぐにでも俺のクビを飛ばす。

 下手をすれば、それは物理的になるかもしれない。


 しかしそれが怖くて、俺は内緒にしているわけではなかった。

 知られた時に、俺のことを切り捨てる彼を見たくないのだ。



 底辺にまで落ちている好感度の下は、何なのだろう。

 もしかしたら地獄かもしれない。

 彼がいなければ生きていけないので、気まぐれに命までは許してもらえたとしても、どっちみち俺の行く末は死だ。


 だから俺は、いつバレるのか死刑囚のような気分で待っている。





「おい」


「……はい。透真様」


 考えごとをしていたせいで、田中コーポレーションの田中会長と和やかに話をしていたはずの透真様の視線がこちらを見ていることに、全く気が付かなかった。

 呼ばれて意識をそちらに向けた俺に、次の瞬間、何か液体がかかる。


「っ」


 火傷をするほどではないが、熱い液体は彼が飲んでいたお茶のようだった。

 こちらを見ている彼の手に、湯飲みがおさまっているのを視界に入れて、すぐにそう予想する。


「茶が冷めた。そんなことに気づかないほど、呆けて立っているのなら邪魔だ。今すぐ出て行け」


「申し訳ありませんでした」


 髪の毛や顔から雫がたれるのを感じながら、それを拭くことはせずに頭を下げた。

 やり方はあれだが、俺が考えごとをしていて気が付かなかったのは事実だ。


 しかも今は田中会長のいる場。

 とんでもない失態をしてしまったにしては、まだ軽い罰かもしれない。


「田中様、申し訳ありませんでした。ただいま替えのお茶をご用意いたします」


「あ、ああ」


 濡れたまま田中会長に頭を下げると、戸惑った表情をされた。

 俺達のこんなやり取りを見るのは初めてだから、そういった反応をするのも無理はない。


 扉の前で俺はもう一度深く頭を下げると、音を立てないように気を付けながら部屋を出た。



 かけられたお茶は熱かったけど、時間が経てば冷める。

 シャツの染みを見て、これはクリーニングで落とせるだろうと確認すると、小走りで給湯室に向かった。





 お茶の用意と自分の格好を天秤にかけて、俺は前者を選んだのだが間違っていたらしい。

 すぐに熱いお茶を持って部屋に行けば、すでに誰もいなかった。


 慌てて近くにいた人に聞くと、透真様と田中会長はすでに話を終えて移動したと伝えられた。

 会社内だから危険は少ないとは思うが、それでも傍にいないのはまずい。


 俺は2人が行った先を聞いて、すぐに走って向かった。




「俺を見つけるまで、随分な時間がかかったな。これで襲われていたら、秘書失格だな」


「申し訳ありません。お怪我はございませんか?」


「見れば分かるだろう。それとも田中会長が何かをするとでも思ったのか。最低だな」


「申し訳ありません」


 1日に謝った回数を数えたら、3桁は軽く超えそうだ。

 それがどうというわけではないが、謝罪しすぎて寝言でも言ってしまった時がある。

 夢の中でも謝っているなんて、仕事のしすぎかもしれない。


 また意識が飛びそうになり、俺は慌てて首を振った。


「田中会長様はどちらへ?」


「もう帰った。お前がトロトロしている間にな。本当に使えない」


「申し訳ありません」


 いっそのこと、全自動で謝罪の言葉が出てくるように喉元にスピーカーでもつけてしまおうか。

 そうすればわざわざ言う手間が無くなる。


 まあ、そんなことをしたら秘書の仕事自体、機械に任せた方が良いと言われそうだ。


 ちゃんと、毎回自分の声で言おう。

 気づかれないように決めると、俺は彼に頭を下げた。

 こういう風に頭を下げる回数も、彼と一緒にいると多くなっていく。


 しかし俺の謝罪は、彼にとっては何の意味も持たない。


「お前の言葉は、本当に薄っぺらいな」


 ため息とともに、心底うんざりといった感じで言われた。

 今までうすぺっらい言葉を言ったつもりは無いが、彼にはそう受け止められていたらしい。

 多分、言葉通りに受け止めるつもりも無いはずだ。


 どうしてここまで嫌われてしまったのかと思い返すが、その原因が分かった試しがない。

 元々、馬が合わなかった、それだけなのかもしれない。


「本当に、お前の辛気臭い顔を見るだけで、嫌な気持ちになるな。いっそ袋でもかぶっていればいいんじゃないか?」


「かしこまりました。明日から、そのようにいたします」


「冗談だ。そんな不審者が隣を歩いていたら、俺の神経を疑われる。冗談も通じない、つまらない男だ」


「申し訳ありません」


「それしか言うことはないのか。オウムの方が、まだましな話をするな」


 酷い言葉を言われるたび、俺の心は少しずつ傷ついていることに彼は気づいているのだろうか。

 ひびが入り、そこから何かが流れて消えていく。

 全て流れ切った時、俺は壊れるのだろう。


 でも、止めるすべを持っていなかった。


「帰ったら分かっているよな」


「……はい」


 今日は粗相をしすぎた。

 酷薄な笑みを浮かべて俺を見る彼に、俺は視線をそらして答えることしか出来なかった。




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