たとえあなたが俺を嫌いでも

瀬川

第1話 意識不明の妹





 妹の美春みはるが事故に遭った。

 居眠り運転をしていた車に衝突され、何メートルも空を飛んだ。

 生きているのが奇跡なぐらい、それは大きな事故だった。


 どうして知っているのかというと、俺もその場にいたからだ。

 俺の目の前で、妹は自動車にはねられて飛んで行った。


 まるでスローモーションのような光景は、目に焼き付いて離れない。

 地面に倒れ血を流す妹。

 どんどん冷たくなる体に、俺は救急車が来るまでの間、全く動けずに見ていることしか出来なかった。



 そうして妹は、現在病室のベッドの上でたくさんのチューブにつながれて眠っている。


「美春……すまない」


 妹が生きていると分かるのは、機械から聞こえる心電図の音と、酸素マスクに定期的に現れる白い模様だけだ。

 それ以外は、まるで人形かと思うぐらいに動かない。


 だから、俺の謝罪も届かない。


「……俺のせいで」


 祈るように手を握り締め謝罪をするが、握り返してくれることなく、妹の目は閉じられたままだった。


「……また来る」


 もちろん返事は無いが、構わず俺は病室から出る。

 病室から出ると気合を入れるために、勢いよく自分の頬を叩いた。


 これから行く先は、俺にとって良い場所とは言えない。

 それでも行くしかなかった。





「おはようございます。透真様」


「ちっ」


「本日の予定ですが、10時から田中コーポレーションの田中会長とお約束があります……」


「知ってる。わざわざ言うな。無駄だ」


「かしこまりました」


 俺の仕事は、御手洗財閥跡取りの御手洗みたらい透真とうま様のボディガード兼秘書である。

 主にスケジュール管理をしたり、運転をしたり、ようは体のいい雑用係だ。


「透真様、肩に糸くずが」


「触るな」


「申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」


「……もういい。さっさと行くぞ」


 そして俺は、透真様に完全に嫌われている。

 いっそ憎まれていると言っても過言ではない。


 それでも傍にい続けているのは。


「お前が栫井かこい家でなければ、さっさとクビにするんだがな。家に感謝しろ」


「……はい、透真様」


 そういう定めだからという以外、理由はない。





 俺の生まれた栫井家は、代々御手洗家の執事をすることが決まっている。

 それは俺も例外ではなく、18歳になってからはずっと透真様に仕えていた。


 でも彼と出会ったのは、もっともっと昔、まだ幼稚園生の頃だった。

 その時は今のような関係性ではなく、仲が良かったはずなのだが。


 成長するにつれて、何故かどんどん距離が開いてしまった。

 理由は分からなかったが、きっと主従関係を意識されたのだろうと考え、俺は何も言わなかった。


 それが間違いだったと気づいた時には、すでに手遅れで、俺と透真様の距離は絶望的なぐらいのものになっていた。



 そして比例するように妹と透真様の距離は近くなって、いつしか家柄をこえて婚約するほどの関係性になった。

 婚約が嫌だったわけではない。

 むしろ2人が結ばれることを、俺は祝福していた。



 2人は、妹の成人を待って結婚するはずだったのだが、ここで問題が起こった。

 それが今回の事故である。

 怪我だけだったら、まだ良かった。

 しかし妹は意識不明になってしまい、結婚の話が止まってしまったのだ。



 いくら2人が愛し合ってたとはいえ、透真様は御手洗財閥の跡取り。

 いつ目が覚めるか分からない妹を、いつまでも婚約者の位置に据えているわけにはいかなかった。



 それに焦ったのが俺の両親で、俺にある頼みごとをしてきた。

 その頼みごとの内容を考えるたびに、俺の頭はずきずきと痛みを訴える。


 あの人達は、俺と透真様の関係が最悪なことを知らないのだろうか。

 知っていてあえて頼んだのだとしたら、頭がおかしいとしか思えない。



 ……妹の代わりに、俺が透真様のご奉仕をしろなんて。



 もしも仲が良かったままだとしても、男の俺に奉仕をされたいわけがない。

 いくら妹の事故が俺のせいとはいえ、とうてい受け入れられるものではなかった。



 しかしこの話は、俺の意思とは関係の無い領域に入ってしまった。

 どうしてか透真様の耳に入ってしまい、そして何故か彼がその提案を気に入ったのだ。



 だから俺の意見は何の力も無く、俺は妹の代わりに彼の傍にいることに決まった。


 最初は疑問でいっぱいだった。

 俺のことを嫌っていたはずなのに、どうして受け入れたのかと。


 しかし、すぐにその理由は分かった。



「美春が事故に遭った時、その場にいてなんで何もしなかったんだ」



 彼は俺を責めるために、わざと提案を呑んだのだ。



「お前が代わりに事故にあえば良かったのに。どうしてお前は、のうのうと俺の前にいるんだ」


「……もうしわけ」


「謝罪しなくていい。お前の言葉を聞いたところで、美春が目を覚ますわけじゃないからな。上辺だけの謝罪なんていらない」


「はい」


「美春が目を覚ますまでの間、お前は俺に奉仕するんだろう。逃げるなよ」


「はい」



 元々の好感度でさえ低かったのに、妹の事故の件から、さらに彼の俺に対する当たりは強くなった。


 顔を合わせればしかめられ、話しかける言葉は最低限さえも許されない。

 それでも何とか仕事に支障が出ていないから、未だに傍にいることが出来る。



 彼が俺をいらないと言わない限りは、今のところ俺は傍で仕えるつもりである。




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