彼女はどこかズレている
六畳のえる
彼女はどこかズレている
(あれ、あの人、今日もいる)
小学校からの帰り道、だいぶ人通りも少なくなった住宅街の真っ直ぐな道路。6年生の
10月ももう下旬。少し前まで半ズボンで駆け回っていたものの、母親から止められ地厚な長ズボンに。そんな冬支度をしている涼介ですら、彼女に一瞬寒気を覚える。
20代後半くらいの、比較的背の高い、ベージュのコートを着た女性。濡れ羽色の髪の毛は胸元まで伸びている。ストレートなのだろうが、ひどい寝ぐせがついたようにボサボサになっていた。
顔はパッと見は美人だ。しかし分かるのは眉と目元だけ。顔の下半分をすっぽり覆う、医療の世界で使うようなマスクで、鼻や口は見えない。
そういった特徴はあるものの、外見は比較的普通かもしれない。問題は
涼介からは横顔しか捉えることができない。人にあまり見られたくないような印象だった。
(やっぱり、変な人だな……)
そして涼介が何より気味が悪いと感じたのは、そのオーラだった。彼自身もうまく言葉にできないが、この現実世界から「ズレて」いるように思える。体をもそもそと動かしているし、間違いなく生きてるのだろうけど、なぜかそんな気がしない。
彼女が体をやや道路側に向けた。少しだけ観察してみると、液晶画面を見ているように見えるものの、視線はあまり合っていない。本当はこっちの様子を伺っているのではないか、という漠然とした不安に駆られ、涼介は足早に家へと向かった。
「はあ……」
夕飯とお風呂を済ませ、ベッドに横になりながら、涼介は恐怖を混ぜ込んだ溜息をつく。彼女のことを思い出さない方がいいと分かっているのに、そう思うと余計に意識してしまった。
「まさか、な」
更に想像は膨らみ、彼は自分の考えを否定するように首を振った。
昔、学校の噂話で聞いた、口裂け女。
口元を完全に隠す大きなマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に 「私、綺麗?」と訊ねてくる。「綺麗」と答えると、「これでも……?」と言いながらマスクを外し、耳元まで裂けた口を見せてくる。
そこで怖がったり、「綺麗じゃない」と答えたりすると、包丁やハサミで斬り殺されるという、日本では有名な妖怪だ。
「よし、寝よう!」
言い聞かせるように明るく叫ぶ。気を紛らわすために少しだけレーシングゲームをして、涼介は眠りについた。
***
(まただ。しかも同じ場所……)
次の日の帰り道、涼介が気配を感じて振り返ると、全く同じ場所に彼女は立っていた。火曜からなので、これで3日連続。
そもそも、と涼介は20秒前の記憶を辿る。あの場所に始めから彼女は立っていただろうか。いたら怖いと思って多少目を逸らして歩いていたのは事実。でも、気付かないなんてことがあるだろうか。まるで自分が通り過ぎてからフッと姿を現したかのような、そんな気さえしてしまう。
恐怖を感じつつも、怖いもの見たさで彼はまた観察してしまう。今日は気温も上がってそこまで寒くないはずなのに、昨日と同じコートをしっかり着て、ボタンも留めている。
(大きいマスクもそのままだし、風邪で寒いのかな? いや、それならそもそもこんな道路に立ってる必要ないよね……)
冷静に分析しようとするものの、彼女の雰囲気に呑まれ、涼介の思考はうまくまとまらない。自分が生きている世界、そこに暮らす自分や親や友達。普段一緒にいる人間と、やっぱり何か致命的にズレてるように、彼には感じられた。
その時。
(あ……)
彼女がこちらに向きを変える。涼介は、初めて彼女と目が合った。
黒いと思っていた瞳は、光を感じない薄灰色。たとえカラーコンタクトでも、こんな色は表現できないのではないか。真っ直ぐに自分の方を見てくるその不気味な視線に、彼は心臓を掴まれたかのようにその場で固まってしまう。
「…………っ!」
深呼吸をして、地面を強く蹴り、家へ駆けだす涼介。追っかけてきやしないかと不安になって一度振り返ったが、幸い付いてきていない。
それでも速度を緩めず、飛び込むように家に入り、彼女の生気のない目を思い出しながら彼は急いでゲームのスイッチを入れた。
***
「あのさ、バカなこと聞くんだけどさ」
「何だよ」
翌日、金曜日。休み時間に、涼介は前の席の
「口裂け女っていると思う?」
「はあ? 口裂け女って、あの耳元まで口が裂けてるっていう妖怪? いないと思うよ。ネットでも実物の画像とか一度も見たことないもん。作り話だって」
「だよな、いやあ、友達が見たっていうからさ! 変な話だよなあと思って!」
架空の友人のせいにして、涼介は笑って見せる。しかし、冗談で片付けて安心するつもりだったのに、「じゃああの女の人は……?」という疑問が、指に刺さった棘のように彼の頭に残った。
「えっと、口裂け女、口裂け女、と……」
放課後、涼介は図書館に寄って妖怪辞典を調べる。
「やっぱりこのくらいしか書いてないなあ」
解説の前半を読んだ後、彼は落胆を込めた独り言を漏らした。
大きなマスクをしてるというのは一致しているけど、ああいうマスクをしている若い女の人は他にもいる。それ以外に決定打になりそうなものはなく、断定は難しそう。「しばらく目が合うと、ターゲットにされる」といった記述もあり、彼の不安と恐怖を余計に煽るばかりだった。
その代わり、「口裂け女に出会った時は」という対処法のページが目に留まった。
口裂け女は、以前整形手術を受けた際、執刀医が多量のポマードを付けていて、その匂いがとても嫌いになった。そのため、ポマードと3回唱えると口裂け女が嫌がり、逃げられるらしい。
また、べっこう飴が好きなので、投げて取りに行った隙に逃げることもできる、と書かれていた。
帰り道。本当はあの場所は通りたくない。でも、あそこを通らないと、相当遠回りをしないといけなくなってしまう。図書館に寄ったせいで学校を出るのが遅れた涼介にとっては、この暗い中で迂回するのは避けたかった。
(今日はこれがあるしな)
長ズボンのポケットには、途中の駄菓子屋で買ったべっこう飴。これさえ持っておけば、いざというときも対処できるに違いない。
住宅街に差し掛かり、彼はおそるおそるあの通りを歩いていく。
電柱を通り過ぎて十数歩歩いた時、背後に気配を感じた。勇気を出して振り向くと、彼女が立っている。いつものコートにいつものマスク。また電柱の方に顔を向けている。
ただ1ついつもと違うのは、マスクをあごの方まで下げ、電話をしているということ。その口元は、裂けていない。まったくと言っていいほど普通の顔だった。
(……なんだ、普通の人じゃないか)
驚いた涼介に、次第に安堵の思いが広がる。途端、彼がそれまで感じていた彼女への違和感も雲散霧消してしまった。
そうか、自分が変に怖がっていたから、そう見えただけなんだ。彼は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺を思い出し、怖がりの自分に少し笑ってしまった。
「……君、どうしたの?」
突然、涼介は彼女に話しかけられた。電話の終わった彼女は、顔だけちらとこっちを見ている。口を確認しているうちに、ついつい近づいてしまったらしい。気が付けば、彼女と数メートルの位置にいた。
「あの、ごめんなさい。綺麗な人だなと思って」
「あら、ありがとね。ずっと見てたから」
咄嗟にごまかした涼介に、女性はにこりと笑う。その笑顔に、彼はすっかり猜疑心を解き、冗談めかして続けた。
「いやあ、あの、ホントは、いつもマスクしてるの見てたので、妖怪なんじゃないかと思って——」
「本当はそんな失礼なこと、口が裂けても言わない方がいいわよ」
コートのボタンを外し、マスクも取った彼女が、涼介の方に向き直る。
「ごめんね、分かりづらくて。私、横じゃなくて縦だから」
初めて真正面から彼女を見る。口に縦に線が入っている。口だけじゃない。頭のてっぺんから胸元まで、服で隠れてない部分に、まっすぐ裂け目が入っていた。
「あ…………あ………………」
恐怖に震えながら、彼が喉の奥で微かに呟く。
少し体を傾けたせいか、彼女の左半分がずるりと動く。いつもはコートで押さえていたであろうその半身がズレて、にちゃあと粘っこい音を立てた。
まるで人体模型のように真っ二つになった骨や臓器が見え、足をぬらぬらと赤黒い血が伝う。
「綺麗? これでも?」
いつもポケットに入れていた右手、その右手に持ったハサミを高く振り上げながら、女は涼介に尋ねた。
<了>
彼女はどこかズレている 六畳のえる @rokujo_noel
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます