やきもきさせるな!
「えっ!」
俺、清水康太は自分の目を疑った。眼鏡をくいと上げてもう一度見る。
高校の友人の高野翔平が見知らぬ女と歩いていた。美人なのが横顔からわかる。仲良さげに腕まで組んでいた。
俺は絶望的な気分で俯いてマフラーを巻き直し、翔平たちと反対の方向へ足を踏み出した。
***
「お兄ちゃん、あのね、翔平君、浮気してるかもしれない。女性と歩いているのを見たって友達から聞いたの。でも、翔平君に限ってそんなことないよね」
数日前に行ってきた妹の鏡花の言葉を思い出す。あの時俺は何も言うことができなかった。
翔平を信頼していないわけではなかった。ただ、翔平はサッカー部のレギュラーだし、顔はイケメン、俺と違ってクラスでも人気者で典型的なモテる男だ。だから、無きにしも非ずと思ってしまった。
だがまさかこうして実際に翔平の浮気が本当に発覚するとは思ってもいなかった。俺は重い溜息をついた。
もともと鏡花が翔平と付き合うことに俺は心配をしていた。鏡花は俺と同じでどちらかというとおとなしいタイプの女子だ。肩までの黒髪に普通の顔立ちで背の低い鏡花。タイプ的に翔平と合うとは思えなかった。けれど可愛い妹の恋を応援しないわけにはいかない。俺は翔平とクラスメイトになったことを機に翔平と友達になり、いろいろな情報を聞き出した。そして、鏡花に流していた。
「俺は鏡花にはもっといい男がいると思うぞ」
と言うことも忘れなかったが。
だが、予想に反して、鏡花の想いは実った。料理上手な鏡花は翔平の胃袋を掴んだのだ。
鏡花が翔平と付き合うことになって、鏡花は女子たちに嫌がらせをされることもあったようだが、翔平はそんな女子たちから鏡花を守った。俺は翔平をいつの間にか信頼するようになっていた。それなのに。
(正直失望だよ、翔平)
なんだか心まで寒くなってもう一度マフラーをきつく巻く。そんな俺の脳裏に鏡花の顔がちらつく。
「お兄ちゃん! 私、翔平君と付き合うことになったの! 夢みたい!」
見たこともない笑顔で言った鏡花。その頬はほんのり上気していて、幸せに満ちていた。
「お兄ちゃん、今日は初デートなんだよ! このワンピース似合う?」
ことあるごとに報告してきた鏡花。シスコンだと言われてもいい。俺は鏡花が本当に可愛かった。だから鏡花の幸せをいつも願っていた。翔平には任せられると思っていたのに。
俺は翔平のことを鏡花に言うべきだろうか。きっと鏡花は泣くだろう。鏡花の泣き顔を想像すると胸が痛んだ。
俺が言うより翔平本人から聞いたほうがいいのだろうか。でも彼が正直に言うかはわからない。
俺は鏡花のために何ができるだろう。
こんな負け犬みたいにとぼとぼ歩いて家に帰るのか。
(それはダメだろう!)
俺は後ろを振り返った。まだ二人は遠くには行っていなかった。俺は一歩を踏み出した。
「翔平!」
俺の声に翔平が驚いたように振り返った。同時に腕を組んでいた女も振り返る。一瞬既視感を覚えたのはなぜだろう。
「翔平! お前、何やってんだよ! 鏡花は、鏡花のことはどうでもいいのかよ!!」
俺は勇気を振り絞って翔平に言った。
翔平はやや首を傾げ、
「え? 何が?」
と答えた。俺はその胸倉を掴んだ。
「何がじゃねえだろ?! 鏡花がいながら他の女とイチャイチャしてんじゃねえよ!!」
眼鏡の奥から翔平の目をただ睨みつけた。
「ちょっと待った!」
困惑したように翔平は言って、隣にいる女に視線を投げた。
「ねーちゃん、何笑ってんだよ! ねーちゃんからもちゃんと説明してよ!」
「ねーちゃん?」
翔平の口からこぼれた言葉に俺は力を入れていた腕を離した。
「どういうことだよ?」
隣で笑っていた女が、
「ごめんごめん。面白いことになっているからつい」
とぺろりと舌を出した。
「私、翔平の姉の里菜といいます。誤解させちゃったみたいで、ごめんなさいね」
俺は毒気をそがれて呆然と二人を交互に見た。
「だ、だって腕組んで……」
「ああ、うちの姉こんなんなんだ。俺と腕組むのしょっちゅうで。冬休みで他県の大学から帰ってきてて、最近一緒に行動することが多くて」
「姉弟……」
俺は発覚した事実にへなへなとその場に座り込んでしまった。
「じゃあ、鏡花の友達が見たってのも……」
「あ~、間違いなく姉だ」
なんだ、姉。
俺だって妹と一般の兄妹より仲がいい。こんな姉弟がいてもおかしくはない。
「……よかった……」
なんだか泣きそうになった。これで鏡花が泣かなくて済むと思うと。
「ごめんな、変な勘違いさせて。
俺、鏡花のことは大事にしてるから。だから康太、もう少し俺のこと信じてくれよ」
「一番悪いのは私かな。これからは腕組みはやめとくわね」
二人に続けて言われ、俺はよくわからない溜息をついた。
「私のことはいいから、誤解してる鏡花ちゃんのところに説明に行ったら?」
里菜さんがそう言い、
「そうだな。悪いけどねーちゃん一人で帰って」
翔平が頷いた。
家への道を翔平と歩く。
「正直びっくりしたよ。康太がこんなに熱い男だったなんて知らなかったから」
翔平が笑って言った。
「翔平だってもしお姉さんの彼氏が浮気しているのを見たら黙っていないだろ?」
「……確かに、黙ってないな」
翔平は一瞬考えてそう低い声で言った。
「翔平もシスコンなんだな」
「康太ほどじゃないけどな」
俺たちは顔を見合わせた。
「俺の妹泣かせるんじゃねーぞ」
「わかってるよ」
帰宅して翔平が来ていると告げると、部屋にいた鏡花が驚いて出てきた。
「翔平君」
翔平は出てきた鏡花の頭を愛おしそうに撫でて、誤解を解いていた。俺はそんな二人を見て安堵の溜息をつき、自室に上がった。
了
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