第4話

 翌朝、誠治が目を覚ますと、何かを焼くような音と、魚のにおいをまず感じた。

 のそりと起き上がり、下に降りると、台所で誰かが料理をしているようだった。テーブルについて、ぼんやりとその様子を眺めながら、誠治は昨晩のことを思い出す。

 あの後、女と入れ違いで誠治も風呂に入り、出たところで裸を見たどうこうで喚く女をなだめつつ、一階の和室に布団をひいて寝かせた。その後、誠治もさっさと部屋に戻り、眠ったはずだ。

「あ、おはよう」

 声をかけてくる女に、おうと返しつつ、誠治は立ち上がり、洗面所に向かう。洗面所で顔を洗い、髭をあたり、ラフな服装に着替える。そうして居間に戻ると、朝食が並んでいた。そこに座り、手を合わせ、箸を取ったところで、誠治はそういえばと顔を上げる。目の前には、昨晩乙女の裸を見ておいてそんなこととは何事かと古くさい言い回しをしていた女がいる。

「何してるんだ」

「あれ、今それ聞くの?」

「特に害はないと思ったからな」

「ああ、そう」

 女の呆れたと言わんばかりの表情を見ながら味噌汁を口にすると、いつも使う味噌の香りがする。味もいつも誠治が作るのと同じだ。

「よくできてる」

「いきなり味噌汁誉められてもねえ。そういえば小山田さん、この家って炊飯器ないの?」

「あるぞ。いつもは下の棚に入れてる」

「あ、そういうことね。見当たらないから鍋で炊いちゃった」

「よく炊けたな」

「こういう便利なものがあるからねえ」

 そう言って女は、スマートフォンを見せる。なるほど、それで調べたのか。

 納得してから、黙々と朝食を平らげる。あらかた食べ終わると、女が緑茶を持ってくる。それを置いて、口を開いた。

「昨日はお世話になりました」

「ああ」

「そのお礼のつもりでご飯作ったんだけど、おいしかった?」

「悪くなかった」

「そりゃよかった」

 笑って、女は茶を飲む。

「もうちょっとしたら帰るよ」

「わかった」

「ところで、小山田さんは」

「そういえば、なんで俺の名前を知ってるんだ?」

 先程もそうだし、先日スーパーで見かけた時も、この女は誠治の名を呼んでいた。それを不審に思って訊ねたのだが、女は知ってるよと笑う。

「前、サンダル返しに来た時、夕方からずっとこの家の前で待ってたからさ。ご近所さんに小山田さんに用事かって言われたし、何より、表札に書いてあるじゃん。小山田誠治って」

 そう言われ、誠治はそういえばそうだったと思い出し、顔をしかめた。随分間抜けな質問をしてしまった。

「そうか」

「そうですよ」

「それじゃあ、お前の名はなんだ」

「え、何急に」

「お前だけ俺の名を知ってるのはどうも気持ち悪い」

「ああ、そう?」

「そうだ。で、名前は」

「カイドウセンリ」

 思わぬ名に、誠治は思わず顔をしかめた。

「は?」

「いや、カイドウセンリ。難しい方の街と道、千の里で街道千里」

「本気か?」

「本気ですよ。あー、ちょっと待ってて」

 そう言って女は立ち上がる。

「なんだ」

「んー、確か鞄にあれが入ってたはずだから」

 撥水仕様だと豪語していたリュックサックから、女は財布を取り出す。そしてそれから、一枚のカードを出して見せた。運転免許証とあるそれには、『街道千里』と確かに書いてある。それでカイドウセンリと読むらしい。写真もきちんと女のものだ。

「ほらね」

「悪かったな」

「いやいや、こういうのはよく言われるから、慣れてますよ」

 女は苦笑しつつ、免許証を財布に入れる。

「小山田さんは今日は外出?」

「いや。畑作業はするが、それ以外で外に出る用事はない」

「畑?」

「ああ。庭にある」

「へえ、見ていい?」

「かまわないが」

 すると、女は財布をリュックサックに戻しつつ、庭の方にいく。その後ろ姿を見て、誠治はデジャヴのようなものを覚える。

 こうやって、誰かに庭の畑を見せていなかっただろうか。確か、もう少し髪が短くて、だが服装はあれに似ていて。

「小山田さん」

 思い出そうとしていたところに、女から声をかけられる。

「なんだ」

「あれって茄子?」

 質問され、誠治もそちらに行く。

「ああ、あれは茄子だな」

「あとは?」

「あっちにトマトと、カボチャと」

 女に畑にあるものを教えていく内に、誠治は先程感じたデジャヴのことはすっかり忘れてしまった。

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