第3話
その日は雨が降っていた。午後から降り出した急な雨の中、誠治は折りたたみ傘を広げて帰ろうと駅の出口に向かうと、見覚えのある女がいた。先日からよく見かける女だ。雨に濡れながら、自転車を押している。今日もラフな格好だ。
傘を広げ、早足で近付く。
「なにしてるんだ」
声をかけると、女は訝しげにこちらを見て、それから目を丸くする。
「ああ、小山田さん。いや困ったね、朝は晴れてたから、チャリで来たんだけど、見ての通りで」
そう言って女は苦笑する。
「自転車置いてけば」
「大事な自転車だから、放置したくないんだよ」
笑いながら、女は自転車を押す。
「ずぶ濡れで帰る気か」
「風邪とかの心配は結構だよ。明日からしばらくお休みだし」
「そういう問題じゃないだろ」
ため息をつき、誠治は傘を女に差し出す。
「え?」
「持ってろ」
無理やり女に傘を持たせ、女の自転車をひったくる。
「あ、ちょっと」
「うちに行くぞ」
「は?」
「一応顔見知りだ。風邪でもひかれると、後味が悪い」
「いや、でも」
「俺は女には不自由してないから、お前みたいな貧相な女に興味もない」
「ちょっとそれはかなり失礼じゃない!?」
「そうか?」
「そうだよ!」
「気を悪くしたなら、まあ……、いや、謝る必要はないか?」
「さっきからちょこちょこ失礼だよね」
「まあ、お前だし」
「なんだよその理由。もうちょっと女の子に優しくすべきだよ」
「充分優しくしてるだろ」
「え、どこが?」
「うちに来いって話。予報によると、今晩ずっと雨らしいからな。うちに泊まって、明日の朝に帰ればいいだろ」
「む、確かに、そう言われると、優しい、のか? え、なんで突然」
「さっき言っただろ。不本意ながら、お前とは顔見知りになったし、行動範囲から、また会うこともあるだろ。その時に風邪引いたとか聞かされたら、後味悪いだろうが」
「それで、泊めてくれると?」
「そういうことだな。というわけだ、とっとと行くぞ」
「えええ、でも、流石にわる、わ、待ってよ!」
女の言葉を最後まで聞かず、さっさと歩き出すことにする。すると女は慌てた様子でついてきた。
「ちょっと、大事な自転車!」
「返してほしけりゃついてこい」
「なんだよそれー」
と言いながらも、女は諦めたのか、誠治の隣に並び、傘をさしかける。
「お前使ってろよ」
「やですよ。これで小山田さんだけずぶ濡れで風邪引かれちゃ、こっちの寝覚めが悪いってもんだよ」
「好きにしろ」
「そうしまーす」
女はそのまま誠治についてきた。
家に帰り着いて、お互いタオルで水滴を拭いたところで風呂が沸く音が聞こえた。
「よし、風呂できたから入れ」
「え? いや、ここは小山田さん先でしょ。家主だし、自転車押してもらったし」
「俺よりお前の方が冷えてるだろ。先に入れ」
「いやいや、小山田さん先どうぞ」
その言い様に、これは時間がかかると察し、誠治は女の腕を取り、風呂場に向かう。
「ぎゃっ、何、ちょっと!」
「いいから先に入れ」
脱衣所のドアを開け、女をそこに放り込み、ぴしゃりと閉めてやる。
「ちょっと小山田さん!」
「さっさと入れ。ここは開けねえからな」
実際開かないように引き戸を押さえていると、やがて向こう側からため息が聞こえる。
「じゃあ、お言葉に甘えて。……なんか調子狂うな」
ぽつりと呟く声の後、女が服を脱いでいるのだろう物音が聞こえたので、誠治はその場を離れ、二階に向かう。
姉が置いて行った服があるはずだとタンスをあさるが、どれを見てもあの女が着るには小さい気がする。そういえば、姉はフリーサイズの服を嫌っていたなと思い出し、誠治は結局自身の作業用のTシャツを出すことにした。下着もないよりはと、姉のものと誠治のものを持っていく。
脱衣所の前に立ち、ドアをノックするも、返事はない。ならば風呂の中かと、誠治はドアを開け、中に入る。そして持ってきた着替えを置き、その旨を伝えようとした時だった。
がらりとドアが開き、湯気と共に、女が出てくる。細く白い体だ。傷もしみもなく、胸もないに等しい。下半身の毛の色を見て、あの髪は染めているのか、地毛は白なのか、まさかそんなところを染めているのかと疑問に思っていたところで、女の長い髪から雫が落ち、風呂場に反響する。そこで、女は悲鳴を上げ、風呂場に戻った。
「信じらんねえ! なんでいるの!? いるなら言ってよ!」
わあわあ喚いているのを放置し、誠は脱衣所を出る。
「着替え置いたから使え」
そして女にも聞こえるように勢いよくドアを閉めた。
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