第2話

 妙な女に会った二日後、誠治が仕事から帰ると、玄関前にその女はいた。先日とは違い、随分ラフな格好だ。あれで髪が短ければ、男に見えるかもしれない。そう思っていると、女はこちらを見る。

「あ、おかえり」

 ふわりと笑う女に、誠治はしかめ面を返す。

「なんでいるんだ」

「これ返そうと思って」

 女が掲げる手には何かがぶら下がっている。よく見ると、先日女に履けと渡したサンダルだ。

「いらないものだって言わなかったか?」

「んー、でも、結構綺麗だから、大事な人のものなのかなって思ったんだよ」

「もう持ち主がいないから、いいんだよ」

 それを口にして、誠治ははてと思う。

 ではそのサンダルの持ち主は誰だったのだろうか。

「ふーん、そう」

 思い出そうとしたところで女の声が入る。見ると、女は立ち上がり、こちらにサンダルを差し出す。

「いらないって言ってるだろ」

「でも、返しとくよ。きっとその内、あった方がいいって思うから」

 女はそう言って、誠治にサンダルを返した。

「だから大事にしてなよ」

 笑ってから、女は歩き出す。

「今から帰るのか?」

 声をかけると、女は勿論と答える。

「返したいものは返したしね。さっさと帰りますよ」

「こんな時間に一人で?」

 既に終電は行ってしまったような時間だ。女一人では物騒ではと思うと、女は大丈夫だと言う。

「今日はチャリで来たから、平気だよ」

「だからって、こんな時間に」

「それに、そんじょそこらの人間にゃあ負けませんよ」

「そういう問題じゃないだろ」

「そういう問題だろ、あんた達は」

 にたりと笑い、女は闇夜に消えていった。

 怪訝そうにその様を見送って、誠治は口を開く。

「なんだ、あの女は」

 それから、手にあるサンダルを見た。誠治が使うものではないため長らく履かれていないそれは、僅かに踵がすり減っている。すり減り方からして、あの女によるものではない。あの女ではなく、他の誰かが履いていたのだ。はて、誰が履いていたのか。いらないものはさっさと捨てることにしている誠治が、わざわざ残していたこのサンダルの持ち主とは。

 考えるも、もやがかかったように思い出せない。それに苛立ち、舌打ちした。

 これ以上考えても無駄かと、誠治はサンダルと共に帰宅し、それを靴箱に戻した。



 この日、誠治は早めに退社した。折角なので、久々に何か作るかとスーパーに寄ったところで、数日前に見た女がいた。

「あ」

 こちらに気付いたらしく、近寄ってくる。先日と同じくラフな格好だ。

「どうも」

「ああ」

「あんたもここ使うんだ」

「帰り道の途中にあるからな」

「そう」

「お前もよく使うのか」

「うん。ここでしか売ってないものがあるんだ」

「なんだよ」

 話の流れで訊ねると、女はかごをこちらに差し出す。見ると、大量のチョコレートが入っている。緑色のパッケージには、『さわやかフレッシュミント』という文字が印刷されている。

「これが?」

「ミント味のチョコ。おいしいんだよ」

「そのためにここまで?」

「おいしいものは多少の苦労をしてでも食べたい方だから」

 そのために、自宅から結構離れたこのスーパーまで来るというのか。その情熱に少し呆れた。

「ネット通販とかもあるだろ」

「数量制限とか手数料とかあるし、しかも待ってないとだめでしょ、あれは。待ては苦手なんだ」

 女は苦笑のようなものを浮かべつつ、さてと踵を返す。

「じゃあね、小山田さん」

 その言葉に違和感を覚えつつ、誠治も目的のコーナーに向かう。



 それから、度々誠治はその女に会うことがあった。

 三日後にも同じスーパーで出会い、その時も例のチョコレートを買っていた。

「もうこの前のを消費したのか」

「だって好きだし。小山田さんも食べる?」

「いや、いい。甘いのは苦手だ」

「えー、なんだあ。見た目と違って甘いもの好きだったら面白かったのに」

「お前の都合なんて知らん」

 という会話をしてしまった。挙句、チョコレートを一つ押し付けられた。

 更にその数日後。今度は公立図書館で見かけた。この時は黒いパンツスーツを着ていた。彼女は天文学のコーナーで何かを探しているようだったが、ふとこちらに顔を向け、おやと言いたげな表情を浮かべる。

「やあ、どうも」

「ああ」

「小山田さんはおやすみ?」

「まあ、そんなもんだよ。そういうお前も」

「私は仕事の一環で」

「天文学のコーナーをうろつくのが?」

「そう。変な仕事でしょ」

「まあ、そうだな」

「否定してよそこは」

 女は苦笑する。

「否定のしようがないだろ」

「まあそれもそうか。っと、そろそろか。じゃ、仕事の続きがあるから」

 時計を確認し、そう言って女はそこを去って行った。それを見送り、結局本は借りないのかと妙に思いながら、誠治もその場を離れた。

 そんな風に、行く先々とまではいかないが、かなりの頻度であの女に遭遇し、短いやりとりをすることが増えた。どうやら、以前はそうと知らなかったが、以前から生活圏が重なっていたらしい。この歳にして妙な知り合いができたと、誠治は密かに思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る