第7話 内線
涼音と居酒屋でひと悶着あってから一夜明けた翌日、芽生は不安と恐怖を胸に抱えながら出社した。
「おはようございます」
いつも通りなるべく静かな声で出社し、ロッカールームで制服に着替えた。朝、海斗が忙しい芽生の髪の毛をまとめてくれて、それに対してはルンルンな気持ちなのだが、会社でその雰囲気を出す気は芽生には微塵もなかった。
会社はお給金以上のことをしないと決めている。総合職のように、頑張れば頑張った分だけもらえるような手当は、あいにく一般職の芽生にはなかった。
出されたノルマをこなすこと、仕事をミスなくしっかりすること、そして、なるべく早く定時に帰って、愛する家族のために食事を作ること。お給金は必要最低限以外は貯金して、開業資金にすること。芽生はそう心に固く誓っている。
定時帰りの折茂の異名を崩さないために、芽生は自分のロッカーから、伊達眼鏡を取りだす。
スクエア型のブルーライトカットの眼鏡なのだが、会社では地味に見せるために欠かせないアイテムだった。目立たないように、そつなくこなしてすぐに帰るのだ。伊達眼鏡は、定時上がりが罪だと言われかねない視線をかわすのにも、ちょうどいい役割をしていた。
朝礼が始まり、いつも通りの朝が始まる。朝っぱらから部長あたりに呼び出されるかと思っていたので、芽生はいったんはほっとして業務についた。
しかし、それも束の間だった。
「……折茂、折茂!」
集中してエクセルとにらめっこしていた芽生は、呼ばれたことにしばらく気がつかなくて、ちょっと大きな声で呼ばれてからびっくりして振り返る。
部長が、顔を真っ青にしていた。
(あ、嫌な予感……)
「折茂、内線三番に、社長から……」
それが聞こえていた人々の間にざわめきが走り、芽生は盛大にため息を吐いた。
「……すぐ出ます」
部長の焦り顔を一瞥して、芽生は内線を押した。
「はい、総務の折茂です」
『今すぐ社長室に来い』
「断りたいのですが……」
『断る権利はお前にない。今は俺の会社の社員だ。俺の会社の仕事が最優先だろ?』
「ええ、ですから今、出勤簿の計算を……」
『二分で来い』
乱暴に電話を切られて、芽生は少しムッとした。ぷーぷーとやる気のない音を流す受話器を見つめてから、それを置いて、データを保存すると、机の中から席を外していますというポップを卓上に置いて、立ち上がった。
芽生の様子が気になるのか、ビクビクしていた部長が、ちらりと芽生を見る。
「――折茂、大丈夫? 何かあったら俺に相談して」
心配そうな顔をした、冬夜がさりげなく近寄ってきて声をかけてきた。
「ありがとうございます。社長に呼ばれたので、ちょっと席を外します。部長にも伝えて下さい……その、大したことじゃないみたいなので、騒がないでほしいです」
「もちろん。分かってるよ」
冬夜の安心できる優しい笑顔に癒されながら、芽生は総務部を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます